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医局の窓の向こう側   

おやじ転がし

2006年11月06日

イラスト

イラスト・木村りょうこ

 ある学会で女性のI先生が賞をお取りになった。長年の研究が実を結んだのだ。最近はどこの学会でも実力のある女性の躍進が目立っている。女性は、まじめに一つのことを研究していたりするから良い仕事をされる方も多い。業績のみならず、I先生はきれいな人で人柄も良く、学会内での評判も上々であるとのこと。私も一度研究会でごあいさつしたが、気さくでチャーミングな方だった。しかし、このI先生について「おやじ転がし」と悪口を言いふらしている人がいるらしい。一体誰がそんなことを!?

 ある時突然、知り合いの偉い先生からS先生の人柄について問い合わせのメールがあった。

「S先生は学会評議会を侮辱するようなことを言って回ったりしているらしいが、一体どのような人柄の人物か?」。私の知っているS先生は人品いやしからぬ人物のはず。一体何が起こっているのか?外部の先生から人物調査をされているなんて、S先生はすでに評判を落としていることになる。

 後日、地区の研究会でS先生に会う機会があった。風評が事実ならば、S先生にそういうことは控えるようにやんわりと警告したいところだ。懇親会の席でS先生に近寄る。

「S先生、こんばんは」(う〜ん、あいさつがぎこちない)

「あ、真田先生。お元気ですか?」

「S先生、このところ学会や研究会の立ち上げなんかなさって、ますますご活躍ですね」

「いやいやそれほどでも。ま、僕は学会のお偉方に取り入るなんてことはできないから、こうやって地元研究会なんかを地道にやるしかないしね」

「はぁ……(なんか嫌みっぽい言い方だな)」

「I先生なんかおやじ転がしがうまくってさ、女は得だよね〜」

 確認するまでもなく、S先生が自分から言い出してしまった。私までに「I先生はおやじ転がし」なんて言うとなると、きっとよそでも言っているにちがいない。まぁ、ご本人には悪気はないのだろうが(あるかも)、これはちょっと問題だ。

「あのS先生、今の発言、セクハラになっちゃいますよ。控えられたほうが……」

「大丈夫だよ。僕、本人に向かって言ったことだってあるよ。笑ってたもの。いいんじゃない?」

 そんなこと面と向かって言われたらI先生だって笑うしかないじゃないか?顔、引きつってなかったか?

「S先生、本人におっしゃったって、それ、どこでです?」

「え〜っと、学会の懇親会」

 S先生、脇が甘い。学会の懇親会じゃあ評議員の先生もたくさんいらっしゃっただろうに。軽い嫌みを言ったつもりなのかもしれないが、「おやじ転がしをして賞を取った」なんてことは、すなわち「評議員が転がされて賞を与えた」と言っているのと一緒で、学会評議会や賞の権威を非難することになってしまう。そもそも個人攻撃のうえ、セクハラにまでなるそんなことを言って回れば、S先生の人格が疑われようというもの。実際、私に内々の問い合わせまできた。留学から帰ってきたばかりのS先生は、意気揚々と学会での活躍を考えていたのだろう。そんな中、自分と同年代の女性がすでにスター研究者になっていることをねたんだというのが本当のところかもしれない。S先生、女性であることがI先生をスターにしたんじゃない、彼女の業績こそが彼女をスターたらしめているのですよ、S先生だって内心分かっていらっしゃるはず。自分のいらだちをそんなことで解消するなんて、男の嫉妬は息苦しくてつらい。「そんな言い方、S先生らしくないですよ」。私はぽつりとつぶやいた。

 数週間たったある日、I先生にお会いする機会があった。彼女はこのことをどう感じているんだろう。話が聞きたくて、休憩と称してお茶に誘ってみた。「I先生、学会内でおやじ転がしって言われてるんですって?」。あえて意地悪な言い方をした。「ああ、それ……」。I先生はまたか、という顔をしてちょっとだけ笑い、ないしょ話をするように言った。「真田先生。女はね、男の人と同じだけの仕事をしてても足りない、って言われちゃうの。2倍の仕事をしてやっと同じって思ってもらえる。3倍やって初めて認めてもらえるの。もっと頑張ると次は足を引っ張られるのよ。だから、足を引っ張られている時は、今の私はいい仕事ができているんだって自分に自信を持つことにしてるの。怒っていたってしょうがないわ」。そう言うと涼やかにほほ笑みながら、優雅に紅茶をすすった。

 そうだ。男社会の医学界で評価されていく女性は、どれほどの困難を乗り越えていくのか。異性に対する嫉妬はセクハラまがいの発言にすら発展し、子供っぽいが故に傷つける。それすらも許容するI先生のしなやかさに、女性医師の強さと美しさを感じた。


筆者プロフィール

真田 歩(さなだ・あゆむ)

 医学博士。内科医。比較的大きな街中の公立病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。開業する程の度胸はなく(貯金もなく)、教授に反発するほどの肝はなく、トップ研究者になれる程の頭もない。サイエンスを忘れない心と患者さんの笑顔を糧に、怒濤の日々を犬かきで泳いでいる。
 心優しき同僚の日常を、朝日新聞社刊医療従事者向け月刊誌で暴露中。アサヒ・コムにまで載っちゃって、少し背中に冷たい汗が・・・。


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