ここから本文エリア現在位置asahi.comトップ >  健康 > メディカル朝日コラム > 記事 記事
医局の窓の向こう側   

新年度人事

2006年10月30日

イラスト

イラスト・木村りょうこ

 皆さん、新年度が始まりましたね。職場にも新しい人が入ってきて、少し雰囲気が変わりましたか? ご自身が新しい所へ変わられた方もいらっしゃるでしょう。あ、そこのあなた! 今、手をぐっと握りしめて「ぜ〜ったい、2年で戻ってやる!」と決意を新たにしましたね。そうそう。その心意気が大切。そのためには、今は与えられた職場でしっかりとがんばることが大切です。人事に負けてちゃいけません。悲喜こもごもの新年度開始です。

 大学時代の同級生M君が、4月1日付で同じ病院に赴任してきました。3年前の同窓会では、大学病院で研究に診療にがんばっていると意欲的な態度を見せていたM先生。まさに順風満帆といった感じ。今回の赴任に当たっては、ついほんの1週間前に「そっちに行くことになりました。いろいろよろしくお願いします」と短いメールで私に知らせてきました。ちょっと「?」と思ったけれども、あまり深く考えず、同級生だ、歓迎会と称して赴任したら早いうちに一度食事に出かけようと返信を出しておいた。こちらとしては大学の話も聞きたいし、向こうもこの病院の様子なども知りたいだろう。不必要な摩擦を起こさないように勤務をするのもサラリーマン医者の務め。一杯やりながら情報交換しよう。

 1週間後のある日、約束を取り付けようと同級生の部室をノックした。「はい!」。ちょっと険のある返事が返ってきたが、私はすでにドアを押し開けて顔をのぞかせてしまっていた。振り返りざまに、眉間にしわを寄せたM先生と目が合う。「ああ、おまえかぁ……」。緊張した顔の筋肉をゆるませながら、同級生は力なく肩を落とした。「なんだよ。ごあいさつだなぁ」。そう言いながら体を滑り込ませた。この部室には彼と上司の部長の机が並べて置いてある。乱雑に書類が広げてある部長の机に比べて、赴任直後の同級生の机は何もなくて奇麗だった。まだ荷をほどいていないらしい。「この病院、どうよ? 結構忙しいでしょ?」。部長のいすの背もたれを抱くような形で座りながら、話のきっかけと、しゃべり出す。「どうよってねぇ。俺はぜ〜ったいあの医局長を許さん! 研究の邪魔するためにここへ飛ばしたんだ! 絶対大学病院へ戻ってやる!」。M先生は振り返った時と同じ表情になって、近くの段ボール箱を蹴った。M君によると、彼の研究業績はこのところめきめきと上がっていて、後輩の医局員も何人かが彼の研究を手伝いたいと希望し、面倒見の良い彼は後輩の指導をしながらますます業績を上げていたらしい。所属学会ではシンポジストの依頼も来ているという。医局の中に彼を中心とした「派閥の芽」ができ始めていたのだろう。

 医局を取りまとめている医局長は、在任期間こそ長かったが学問的業績はいま一つぱっとせず、卒年もそう変わらないM先生を疎ましく感じたらしい。派閥の解体と彼の研究の邪魔をするために、医局長は関連病院であるこの病院に彼を赴任させたというのだ。

「でも、業績が上がっていればそれは医局にとってもプラスになるわけだし、医局長が邪魔するかな?」。意地悪な質問だと思いつつ聞いてみた。M先生はにやりと笑いながら両手を頭の後ろで組みながら言った。「きれい事を言うなよ。俺をねたんだだけさ。人事は感情だよ」。同じ医局で同じ専門科で、業績の意味も分かるが故の嫉妬。近くにいるからこそねたみは激しいのだとM君は言う。基礎研究がメーンだったM君が、この病院で研究を続けるのは事実上無理だった。なんと言って慰めたらいいか分からず重い空気が流れた。

 がちゃりと扉が開いてM君の上司、A部長が入ってきた。私はあわてて部長のいすから立ち上がる。「いいよ、いいよ。それより真田先生、どうかしたの?」。部長は重い雰囲気を察したのか、私たち2人の顔を交互に見てにこやかにおっしゃった。「あ、いえ。私たち大学で同級生だったものですから」。「ああ、そうなの? そりゃあM先生良かったねぇ。連携取れて仕事しやすいね」。厳しい顔をしているM先生に向かって部長は陽気に話しかけた。

 M先生は返事もしない。M先生にしてみたら、この部長が医局に対して医師派遣を申し込んだ故に自分の赴任につながったと感じるのか、逆恨みと分かっていても部長に対して素直になれないらしい。こういうところがM君の子供っぽいところなのだけれど。部長はまだほどかれていないM君の段ボールをまたぎながら、自分の机へ向かってきた。「本棚、足りないかなぁ? 事務に言ってもう一つ、入れてもらおうか。M先生、カタログ見て好きなの言ってよ。注文しておくから」。部長がものすごくM先生に気を使っているのが分かる。私はいたたまれずM君の足をつついた。M先生はつっけんどんな返事をすると、私と部長を置いて部屋から出ていってしまった。

「真田先生、今度うちの病棟でやるM先生の歓迎会に来てくださいよ」。A部長は私に向き直って言った。優秀なM先生が来てくれたことを素直に部長は喜んでいるのだ。2人の気持ちを思うと心がちょっと痛かった。皆さん、来月もM君から目が離せないですよ。


筆者プロフィール

真田 歩(さなだ・あゆむ)

 医学博士。内科医。比較的大きな街中の公立病院で勤務中。診療、研究、教育と戦いの日々。開業する程の度胸はなく(貯金もなく)、教授に反発するほどの肝はなく、トップ研究者になれる程の頭もない。サイエンスを忘れない心と患者さんの笑顔を糧に、怒濤の日々を犬かきで泳いでいる。
 心優しき同僚の日常を、朝日新聞社刊医療従事者向け月刊誌で暴露中。アサヒ・コムにまで載っちゃって、少し背中に冷たい汗が・・・。


健康・企画特集





朝日新聞サービス

ここから広告です
広告終わり
∧このページのトップに戻る
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。 Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.