朝鮮半島が又もキナ臭い。第二次朝鮮戦争が起きても不思議で無い情勢である。今回は朝鮮戦争が勃発した時の日本の対応について考察したい。
我が国は江戸末期からロシア帝国のシベリアからの南下圧力に直面し、北海道に屯田兵を常駐させ、ロシアの南下を北海道、千島で食い止めていた。しかし、ロシア帝国は満州、沿海州から南下を画策し、朝鮮王朝を籠絡して、半島南端の釜山港にロシア極東艦隊の本拠地を置くことを画策した。釜山港は当時、我が国唯一の製鉄所である、八幡製鉄所の目と鼻の先にあり、深夜に釜山港を出港すれば早暁には八幡製鉄所の高炉を砲撃できる位置にある。釜山港のロシア軍港化阻止、これが日露戦争から日韓併合へ至る動機である。
1917年、ロシア革命発生、今度はロシア帝国主義に代わって、日本はもっと質の悪い、世界制覇をもくろむ共産主義の南下と戦うことに成る。日本は共産主義への防波堤として、清王朝の末裔を皇帝として擁立、満州国を建国する。また、華北華中では中共軍(八路軍)と死闘を演じる。共産主義は天皇制とは相容れないからである。
日本はこのようにして、満州を防波堤として、共産主義の南下と戦っていたのであるが、其れを台無しにしたのが、なんと、資本主義国家の雄であった米国である。何を血迷ったのか、愚かなる米国大統領、ルーズベルトは共産主義南下を満州で食い止めていた日本を卑怯にも無差別大量破壊兵器である核爆弾まで使用してポツダム宣言受諾に追い込む。その結果、満州という防波堤は決壊、満州どころかベトナムの果てまで共産化、半島は北半分が共産化して朝鮮戦争が勃発、最大五百万人の朝鮮人が犠牲になったという。仏印ではインドシナ戦争が勃発、ベトナム戦争へと発展する。
日本統治時代の朝鮮半島では小競り合いは在ったものの、数百万人が犠牲になる事など無かったのである。
原爆投下により数十万人を殺されて、日本は半島の経営を100%、アメリカさんへ渡したのである。さあ、アメリカさんのお手並み拝見と行こうではないか。
さて、当の韓国人だが、ご存知のとおり、日本人の援助があって、乞食から貧乏人へ出世させて貰っていながら、恩を仇で返すことばかり繰り返してきた。終戦直後、内地へ引き上げる邦人のうち約30万人が半島で行方不明になっているが、彼らは一体何処へ行ってしまったのか?韓国人に殺されたことは明らかである。慰安婦だの、強制連行だのと世界中で日本人の悪口を言って周っているやつらである。
第2時朝鮮戦争が始まればイラク、アフガンで手一杯の米軍は超法規的に自衛隊に増援を求めてくるであろう、韓国も弱体な自国の海軍空軍力を補填するため
自衛隊に援助を求めてくるであろう。その時日本はどう答えるべきかという事であるが、私の考えは以下のとおり。
第2次朝鮮戦争勃発はポツダム宣言の欺瞞性と日本による朝鮮、満州国経営の正当性を回復させる絶好の機会なのです。だからこう言いましょう
「アメリカさんも韓国さんも、身から出た錆でしょう、皆さんで解決して下さい。日本はもう関係ありませんから」
「恩を仇で返す韓国人のために自衛隊員の命を差し出すことは出来ません、韓国と米国、ポツダム兄弟で対処して下さい」
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