島津奔る | 関ヶ原 |
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1998年12月 新潮社刊 上下2冊 2001年6月 新潮文庫化 総計約67万部 |
1966年1月 新潮社刊 全3巻 1992年12月 新潮社刊 全1巻 |
類似点(他にもあるようです) | |
下巻 pp.148-149 軍議が始まろうとする時、知らせが入った。合渡川の敗報である。 「誤報だろう」 三成は、この期に及んでも強情だった。 自説を曲げない。おのれの脳裏に描いた戦略と戦況を固く信じ続けている。 |
下巻 p.153 軍議が、はじまった。 いや、はじまろうとした。そのとき、北方の合渡川渡河点での敗報が軍議の席上にもたらされた。 三成は、顔色を変えた。 「誤報ではないな」 なお、念を押した。この期におよんでも三成の自信はゆるがず、敗報が信ぜられないのである。 |
下巻
pp.265-266 正則は、銀の芭蕉葉の馬印をうち振り、 「死ねや、死ね死ね!」 と、絶叫し、臆する自軍の兵を斬ったりした。遂には退く自軍の不甲斐なさに堪えかね、 「返せーッ!」 と、馬印を持筒頭に抛り渡し、自ら槍をとって突撃しようとした。だが前軍は四散し、中軍は崩れ、後軍が退くのは留め処がない。 その時、加藤嘉明勢三千と、筒井定次勢二千八百五十が横合いから宇喜多勢を突かなければ、福島勢は壊滅したであろう。 |
下巻
pp.286-287 正則は自軍の腑甲斐なさに激怒した。馬にとびのり乱軍のなかに駆け入り駆けまわり、銀の芭蕉葉の馬印を振りかざしつつ、 「死ねやっ、死ねやっ」 と叫びつつ崩れを立ちなおらせようとしたが、いったん退き色の出た味方の足はとまらない。 (中略) 「返せーっ」 と正則はついには馬印を持筒頭に投げわたし、みずから槍をとって敵にむかおうとさえした。 (中略) このとき、東軍の加藤嘉明隊、筒井定次隊が宇喜多隊を横撃しなかったならば福島隊は壊滅していたであろう。 |
遁げろ家康 | 覇王の家 |
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1999年11月 朝日新聞社刊 上下 2002年2月 朝日文庫化 上下 総計約17万部 |
1973年1月 新潮社刊 前編後編 1997年9月 新潮社再刊 1979年11月 新潮文庫化 2002年5月 分冊化 上下 |
類似点(他にもあるようです) | |
家康に、爽(さわ)やかさや潔さが薄れ、どこか狡(ずる)さの印象が否めないのは、彼の処世術がこういうやり方の連続だった所為である。 | 家康という歴史上の人物が(中略)すこしも爽快(そうかい)な印象をもっていないのは、かれの生涯がこういうやりかたの連続であったことによる。 |
秀吉が、いまようやく手に入れた天下人の威望は、たった一つの理由による。 それは戦って敗れたことのないという信頼感だけで危うくつながっていた |
秀吉がいまようやく獲得した天下における威望は、たった一つの理由によって成立していた。 かれがかつて戦って敗れたことがないということであり |
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HOME LINK FREELY. Written by Fuyumi First edition: 5 April 2003 - Last update: 20 Jan 2007