私はハタチの夏に長野県の野辺山というところで、高原野菜収穫のアルバイトをしました。
プレハブ小屋に2ヶ月間住み込みです。これはかなり前に書きましたね。
あの日航ジャンボ墜落の年です。
そのプレハブへ東京農大から実習生が二人来て、毎日朝も早よから一緒に汗を流していました。
一人は少林寺拳法部の主将で、テレビドラマ「俺たちの旅」に憧れている点で私とウマが合いました。
“yamadaさんも旅っ子ですか!”なんて言うのです。旅っ子なんて言葉あるの?
農場の仕事ははた見と全然違って、ものすごい重労働なのです。
一箱15~20キロするダンボールに入ったキャベツを担ぎながら、3人(中村雅俊・田中健・秋野大作)
のうち自分が役をやるなら誰が良いか(我々の意見は上村香子が奥さんのグズ六ということで一致)、
なんで金沢碧をヒロインにしたんだ、大っきらいの回は良かった、最後に出てくるあの詩が泣かせる・・・等々
飽きもせず毎日同じような話をしていました。
もう一人は外見ひょろひょろ、髪は当時のフォークソングロン毛、「俺たちの旅」の話題を
振っても‘僕は欽ちゃんの「家族対抗歌合戦」を見てたので・・・’とつれないのです。
おまけに実家が静岡の大きい農家で、跡取り息子というのも我々からすれば面白くないところです。
重いモノを持ったことなど無くて、2日目に‘こんなにキツいんじゃ死んじゃいますよ~’なんて
甘ったれたことを言っているので、少林寺からキャベツをぶつけられていました。
けれども同じ屋根の下、同じ二段ベッドで暮らしていると、あっという間に仲良くなるものです。
そのひょろひょろの彼、タナカさんはジョン・レノンの大ファンでした。
ビートルズ発祥の地リバプールにも行ったし、ジョンが暗殺された翌年にはダコタ・アパートにも
行ってきたなんてスゴイことを言う。オノ・ヨーコとの最初のアルバム「Two Virgins」も持っていて、
知ってますかジョンは包茎なんですよ!アレ見て僕も自信持ちましたよハハハ、なんて面白いことも言う。
このタナカさんが面白い人なのです。
二人が実習を終えて帰る最後の朝。賄いのメシを食って、少林寺と一服してからプレハブに戻ると
タナカさんがしょげているのです。
そうだよな~短い間だったけど楽しい毎日だったもんな・・・と我々2人もしんみり。
ヤマダ「タナカさん。東京に戻ったら飲みに行きましょう!」
少林寺「タナカ!オマエこれが俺たちの旅なんだぞ」
タナカ「昨日切った爪が無くなっちゃいましたよぉ」
少林寺「・・・ん?オマエ何言ってんだ?」
タナカ「枕元に置いといた爪が掃除されちゃって無いんですよー」
ヤマダ「だからタナカさんなんだっつーんですか」
タナカ「子供の頃から爪は身体の一部だからずーっと溜めて来てるんですよぉ~」
タナカさんはプレハブ小屋で切った爪をフィルム缶に入れて持って帰ろうとしていたのです。
家ではコーヒーの空き瓶に入れてずーっと保存しているとのこと。
一人しょげるタナカさんの前で我々二人は大爆笑。
世の中には変わった人がいるものです。
タナカさんとはその後3~4年、年賀状のやり取りをしていました。
修行の為アメリカに渡り、カワイイ奥さんと一緒に写っているタナカさんは
日に焼け逞しくなり髪の毛も短くなっていました。
今はどうしているんだろう?相変わらず爪を溜めてるのかな?
いつのころからか私は「俺たちの旅」もビートルズのことも話す機会はなくなっていきました。
どうしてだろう・・・
それは「大人になったから」なのかにゃ?
ジョン・レノン。
��980年12月8日 凶弾に倒れる。
享年40歳。私と同い年です。
この季節、30年以上経った今でも街には“Happy X'mas(War Is Over)”が流れます。
今日の晩メシUPはお休みを頂戴して、ジョン・レノンの命日にちなみ毎度の与太話でした。
あんまりちなんで無いか(笑)
コメを切らしたので、明日の朝メシもお休みしま~す。