神に反逆するアニメに反逆する
June 06 [Sun], 2010, 4:53
大阪ではけいおんとワンセットでやってるから見ているわけですが、
どうにも嫌なアニメなんですよ。
このアニメが非常に見づらいのは、二つあって、
一つ目はキャラの行動原理がはっきりしないこと、
生前理不尽な目にあった、心残りがある、
だから簡単に成仏などしてやらない、神に反逆する。
その先に何があるのか、と問えば
この世界を手に入れる、ということらしい。
規範を守らせて成仏させることを良しとする「生徒会長」をひとまずの敵にして
ドンパチをやるわけですが、
その生徒会長を任命しているのが大人たち教師だというなら、
その存在の謎になぜせまらないのか、
なんでいつまでも天使という個人にばかり
固執するのかわからないわけですよ。
この世界を手に入れる、というわりにはこの死後の世界とされている箱庭について
仮説は立てても、何も、知ろうともしない。
ゆりというリーダーの「見立て」がことごとく間違っていたとしても
他のメンバーたちがそれに対してなんのリアクションも起こさない。
ただ習慣のように「ミッション」とか言う名のヒマつぶしを延々続けている。
これは楽しいヒマつぶしである、そのために仮想の敵が必要だから
天使を目の敵にしている、という自覚を持ってやってるならまだ分かりますが。
ようするに何をどうしたいのかまったくわからないまま安いメロドラマをすすめてる。
あとから世界観に対してどんでんがえしをする気であっても、人に銃を向けるのであれば
それなりの行動原理というものが必要でしょう。
一般生徒には銃は向けられない、なんておかしなモラルを持ち出すくらいだし。
何を、誰を制圧すれば「勝利」となるのか。
ゲームには、はじまりと、ルールと、予想される結果がまずあるはずなのに、
それもなくただこの人たちは何やってるんだろう。ということです。
二つ目は
この世界での倫理観がバラバラなことです。
倫理観というのが誤解されそうならフィクションラインと言い換えてもいい。
最初に、この世界は死後の世界だからもうだれも死なない。
「一回死んで来れば?これはこの世界でのギャグよ」
というわけです。
実際、主人公はハルバートで100ヒットされて血だらけになっても、
天使に串刺しにされても死なない、、、生き返る。
ギルド降下作戦、と銘打って、自分たちの仕掛けた罠でつぎつぎ人がやられていくけど、
あのバカ、みたいな感じで、死、「やられる」ことは日常茶飯事になってる。
そういうアニメなのか、と思って見ていると、
直井とか言うのがいきなり出てきて、
SSSの連中が大負けする場面になると、
「今までにないひどい戦い」とか言いだして、
SSSのメンバーが死屍累々な場面を映して
「これがいけないことだって分かるな?」とか天使に言って
うなづかせたりするわけです。
この惨状を悲しめと。
ここでは直井という奴のやることが悪になってる。
死をネタにするのがよくない、不謹慎だ、とかよく言われてますが、
違うんですよ。
死なない世界での、不謹慎ネタを前提にしたならそういうアニメですむんです。
「トラップで死んだSSS」と「直井にやられたSSS」の間にどんな差があるというのか??
要はその時点で味方のしたことはギャグで済まされて、敵対している人間の仕業は悪、
という都合のいいブレが随所にでてくる。そこが問題なんです。
そこで「お前の人生は本物だったはずだろう!」なんて一席ぶたれても
説得力ゼロじゃないですか。
何の根拠があってそういうことがいえるの?
そもそもこの世界を「死後の世界」だとなぜ認識しているのかっていう根本から
あやしいわけですが、
死生観とか、人生の意味とか、かなり個人によって
価値観の違ってくることをテーマにしながら、
強盗殺人とか、脳溢血とか失語症とか、ドナー登録したから無駄な人生じゃなかったとか、
もう雑すぎる。
よくライターが矢面に立ってやり玉にあがりますが、こういうのは結局プロデューサー不在なんです。
そういった、まるで割り箸のやぐらの上に組まれたような物語に対して
「考察」を熱心にやっている方も多いですが、
作品からの情報が不備ありすぎるため、考察ではなくもう「二次創作」としか思えないものばかりです。
それも楽しみ方の一つですから、否定はしませんが。
そういう人たちは、上で言ったようなキャラの行動原理と世界のフィクションラインという
原点の様な問題をどう自分の中で処理してるのかな。
その辺のことに答えもなく、
物語はまとめに入ってるようですが、
果たして「成仏」することが本当にいいことなのか、
この世界で楽しくヒマつぶしすることが本当にいけないことなのか、
その辺のこともわからないまま、また主人公は行動してますよね。
キャラの掘り下げが足りないとか、不謹慎とか、唐突とか、
そういうのはどうでもいいことなんですよ。
この作品を語る時。
無神経なんです。
言葉というものに対して。
キャラクターの意思というものに対して。
不思議とそのへんが文にまとまった反論をみないので、
あえて書いてみました。
どうにも嫌なアニメなんですよ。
このアニメが非常に見づらいのは、二つあって、
一つ目はキャラの行動原理がはっきりしないこと、
生前理不尽な目にあった、心残りがある、
だから簡単に成仏などしてやらない、神に反逆する。
その先に何があるのか、と問えば
この世界を手に入れる、ということらしい。
規範を守らせて成仏させることを良しとする「生徒会長」をひとまずの敵にして
ドンパチをやるわけですが、
その生徒会長を任命しているのが大人たち教師だというなら、
その存在の謎になぜせまらないのか、
なんでいつまでも天使という個人にばかり
固執するのかわからないわけですよ。
この世界を手に入れる、というわりにはこの死後の世界とされている箱庭について
仮説は立てても、何も、知ろうともしない。
ゆりというリーダーの「見立て」がことごとく間違っていたとしても
他のメンバーたちがそれに対してなんのリアクションも起こさない。
ただ習慣のように「ミッション」とか言う名のヒマつぶしを延々続けている。
これは楽しいヒマつぶしである、そのために仮想の敵が必要だから
天使を目の敵にしている、という自覚を持ってやってるならまだ分かりますが。
ようするに何をどうしたいのかまったくわからないまま安いメロドラマをすすめてる。
あとから世界観に対してどんでんがえしをする気であっても、人に銃を向けるのであれば
それなりの行動原理というものが必要でしょう。
一般生徒には銃は向けられない、なんておかしなモラルを持ち出すくらいだし。
何を、誰を制圧すれば「勝利」となるのか。
ゲームには、はじまりと、ルールと、予想される結果がまずあるはずなのに、
それもなくただこの人たちは何やってるんだろう。ということです。
二つ目は
この世界での倫理観がバラバラなことです。
倫理観というのが誤解されそうならフィクションラインと言い換えてもいい。
最初に、この世界は死後の世界だからもうだれも死なない。
「一回死んで来れば?これはこの世界でのギャグよ」
というわけです。
実際、主人公はハルバートで100ヒットされて血だらけになっても、
天使に串刺しにされても死なない、、、生き返る。
ギルド降下作戦、と銘打って、自分たちの仕掛けた罠でつぎつぎ人がやられていくけど、
あのバカ、みたいな感じで、死、「やられる」ことは日常茶飯事になってる。
そういうアニメなのか、と思って見ていると、
直井とか言うのがいきなり出てきて、
SSSの連中が大負けする場面になると、
「今までにないひどい戦い」とか言いだして、
SSSのメンバーが死屍累々な場面を映して
「これがいけないことだって分かるな?」とか天使に言って
うなづかせたりするわけです。
この惨状を悲しめと。
ここでは直井という奴のやることが悪になってる。
死をネタにするのがよくない、不謹慎だ、とかよく言われてますが、
違うんですよ。
死なない世界での、不謹慎ネタを前提にしたならそういうアニメですむんです。
「トラップで死んだSSS」と「直井にやられたSSS」の間にどんな差があるというのか??
要はその時点で味方のしたことはギャグで済まされて、敵対している人間の仕業は悪、
という都合のいいブレが随所にでてくる。そこが問題なんです。
そこで「お前の人生は本物だったはずだろう!」なんて一席ぶたれても
説得力ゼロじゃないですか。
何の根拠があってそういうことがいえるの?
そもそもこの世界を「死後の世界」だとなぜ認識しているのかっていう根本から
あやしいわけですが、
死生観とか、人生の意味とか、かなり個人によって
価値観の違ってくることをテーマにしながら、
強盗殺人とか、脳溢血とか失語症とか、ドナー登録したから無駄な人生じゃなかったとか、
もう雑すぎる。
よくライターが矢面に立ってやり玉にあがりますが、こういうのは結局プロデューサー不在なんです。
そういった、まるで割り箸のやぐらの上に組まれたような物語に対して
「考察」を熱心にやっている方も多いですが、
作品からの情報が不備ありすぎるため、考察ではなくもう「二次創作」としか思えないものばかりです。
それも楽しみ方の一つですから、否定はしませんが。
そういう人たちは、上で言ったようなキャラの行動原理と世界のフィクションラインという
原点の様な問題をどう自分の中で処理してるのかな。
その辺のことに答えもなく、
物語はまとめに入ってるようですが、
果たして「成仏」することが本当にいいことなのか、
この世界で楽しくヒマつぶしすることが本当にいけないことなのか、
その辺のこともわからないまま、また主人公は行動してますよね。
キャラの掘り下げが足りないとか、不謹慎とか、唐突とか、
そういうのはどうでもいいことなんですよ。
この作品を語る時。
無神経なんです。
言葉というものに対して。
キャラクターの意思というものに対して。
不思議とそのへんが文にまとまった反論をみないので、
あえて書いてみました。