避難の途中に8人が命を落とし、1人が行方不明となった本郷地区。 井土一馬さんはあの夜、「避難勧告」を聞いて一緒に避難所へ向かった母のさゆりさんと妹の未晴さんを一度に亡くしました。 (写真(2)一馬君顔アップ) 「家から歩いて避難したけど、まともに普通に歩けなくて横の柵とかをつかみながら手すりがないと歩けない状況だった」「お母さんがこの柵の辺りでバランス崩したんです。それで足を取られて流されてもうて・・・」(井土さん) 普段の何倍にも増水した用水路に、2人は一瞬のうちに飲み込まれてしまったのです。 「当時ゴミが流れてたのをお母さんに見間違えたと思いたくて。お母さんが流れたなんて思いたくなくて。お母さんはいると思ったけどいないし。妹までいなくなっていた」 「ちゃんとした正しい避難勧告が出て、あの時間じゃない早い時間に出てたらこんなことにならんかった」(井土さん)
自宅から200メートル離れた小学校へ避難するには、増水した川と用水路の2箇所を越えなければなりませんでした。 少しでも犠牲者を減らすことはできなかったのか。専門家は、水害における避難の難しさを指摘します。 「途中に川を横切らなければいけないとか道の両側に側溝があるとか、非常に危険なところがあることを事前に分かっていないと、いきなり避難行動をするのはとても危険で、行政もそのことを十分に認識しておかなければいけない」(関西大学環境都市工学部 河田惠昭教授) 佐用町は先月、職員や学識経験者らでつくる「災害検証委員会」を立ち上げました。 「確かに避難勧告が遅かったという点については、あろうかと思うんです。それを含めて今検証委員会で聞き取り調査をしたり、その背景や至った状況を検証していただいておりますんでね」(庵逧典章佐用町長)
一方で、行政と住民による日ごろの防災活動が、功を奏した例があります。 去年10月、紀伊半島のすぐそばを通過した台風18号。 三重県の尾鷲市では、最大瞬間風速42メートルを記録し、92棟の家屋が被害を受けましたが、1人が軽傷を負っただけでした。 実は、「避難勧告」の出た時点で、すでに8割の住民が避難を完了していたのです。 地域の防災リーダーを務める山西敏徳さん(77)。 台風接近の連絡を尾鷲市から受け、朝から地域の住民に知らせてまわりました。 「危機管理室から電話頂いて、12,13名のお年寄りに連絡とって避難したらどうかですかと話した」(山西さん) 東南海地震が起きると、津波で大きな被害を受けるとされる尾鷲市。 津波の被害状況をCGで映像化したものを一般に公開し、日ごろから頻繁に避難訓練などを行なっていました。 台風の日も、避難場所までの道のどこに危険があるのか、住民自身がよく理解していました。 「常々もう最近は情報が、東南海地震についても多いしね、皆関心があると思うんです。それで皆さん、毎日心がけて生活して頂いておると思います。「逃げるが勝ち!」と、とにかく裸一貫で逃げると」(山西さん) この日、尾鷲市は午後4時に「避難準備情報」を発令。「避難準備情報」とは、「避難勧告」の前段階として自力で避難できない人などへ避難を促すもので、5年前から全国の自治体で規定されています。 その後も、台風の細かい情報は防災無線を通じて避難所や各家庭に伝えられました。 山間部や沿岸部など地域の異なる状況に応じて避難するよう、10分ごとに繰り返し呼びかけたのです。