「適切な調査、支援を継続しなかったことなどが不幸な結果につながったのは否定できない」。今年2月26日、浅野天星ちゃん(当時4歳)虐待死事件で名古屋地裁が言い渡した判決は、児童相談所の責任にも言及し、各地の児相関係者に衝撃を与えた。
両親と天星ちゃん、妹の4人が、事件現場となった名古屋市港区のマンションに越して来たのは07年12月。住人とすれ違えば笑いかけ、ベランダで母親にまとわりつく色白の天星ちゃんを近所の主婦らは覚えている。2歳で既に、平仮名や片仮名、アルファベットも読めた。
半年後、当時未成年だった知人女性が同居するようになった。父親の隼也受刑者(26)=傷害致死罪で懲役7年が確定=が勤めを辞めた後の08年11月、女性が隼也受刑者の子を妊娠したと分かる。その後、母親も託児所付きの職場を退職。年明けに、隼也受刑者が母と離婚して女性と結婚する一方、同居は続けることが決まった。母や女性のアルバイトなどで生計を立てた。
名古屋市児童相談所(当時)が虐待通告を受けたのは08年11月下旬。いさかいが増えた家庭を訪ねたが、天星ちゃんには会えず、母親は虐待を否定した。父親は口の達者な天星ちゃんの顔や尻を平手でたたくことがあったが、虐待ではないのに疑われたと感じ、児相に不信感を募らせたという。職員が天星ちゃんに会えたのは昨年4月。あざなどは見つからず、虐待はないと判断し5月に調査を打ち切った。だが、父親はそのころから拳で殴り始めた。
昨年7月30日夕、マンションの暗い浴室の隅に、ひざを抱えた天星ちゃんがいた。2日前から「無断でパンを食べた」として、隼也受刑者に何度も顔や胸を殴られ、床やたんすに頭を打ちつけられていた。
「風呂掃除するからどいてくれ」と言う父親に「ぼくは大丈夫」とつぶやくと、抱え上げられて立たされた。「お母さーん。うわーっ」。泣き叫ぶ顔と胸に120キロの体重をかけた父親の拳がたたきつけられ、天星ちゃんは動かなくなった。1カ月後に息絶えた天星ちゃんの体には、濃淡のある無数のあざがあった。
公判で弁護側は「児相の不適切な対応に追い詰められた」と主張した。判決は、犯行は正当化されないとして主張を退けたが、児相に対しても支援の余地があったと指摘した。
親への接し方が司法の場で問われる時代が来たことを示したこの判決。名古屋市児相の当時の担当課長は取材に「複雑な家庭で小さい子にストレスが向かう要素を抱えていたのに、状況を十分聞き取れなかった」と支援の不十分さを認めた。
実は、児相で虐待対応の中心的役割を担う児童福祉司は、大学で社会学などを専攻していれば新卒間もない一般行政職でも就ける。大阪府や神奈川県など全員が専門職採用の自治体もあるが、1~3年交代の行政職が多い自治体も珍しくない。国として児童福祉司の専門性を養う機関や養成課程は整備していないのが実情だ。=つづく
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毎日新聞 2010年6月2日 東京朝刊