<1面からつづく>
それぞれ既婚者だった菅野美広受刑者と理香被告は01年、理香被告の連れ子の長男や長女と共に同居後、再婚した。関係者などによると、長男は食事が遅い、動きが鈍いといった理由でたたかれるなどの暴力を受け、東京都児童相談センターに保護された。
長男は「パパとママにやられた」と話し、センターの職員は虐待ケースとして理香被告に会っていた。長男はセンターの一時保護所で生活し、7歳の時、親族が申立人となった審判で親権喪失宣告が出された。
このころ次女が生まれ、両親は親権喪失の半年後、事件現場となるマンションを購入した。しかし、05年には美広受刑者が性犯罪で逮捕される。被害者と示談が成立して釈放されるが、妊娠中の理香被告が離婚と中絶を迷った末、生まれたのが優衣ちゃんだった。
防げなかった優衣ちゃんの虐待死。津崎哲郎・花園大教授は「親権を奪われるほどの親の多くは、深刻な不安定要素や生きにくさを抱える。下のきょうだいへの虐待の恐れも含め目を配るべきだ」と指摘する。なぜ、親権はく奪の情報が生かされなかったのか。
都児相センターは「当時、下のきょうだいの通う幼稚園には何度か様子を聞いたが、その後生まれた被害児まで目を配る仕組みはなかった。どこまで見守るかは難しい」。練馬区は「(取材を受けて確認したら)児相から情報提供された当時の記録が出てきた」と説明する。
都児相センターの元幹部は「過去の虐待事例は蓄積され、照会もできるが、新たな通告などもないのに検索するのは、人権にもかかわり難しい」と話す。
同様の事件は過去にも起きている。長男への虐待で02年に親権を失った福島県内の父親は06年、三男に十分食事を与えず死亡させた保護責任者遺棄致死罪で実刑が確定した。
一家が都内に住んでいた当時、長男を保護した都内の児相は、長男を保護先から連れ去って転居した父親の親権はく奪を福島の家裁に申し立てた。それに連携した福島の児相は、長男が親族に引き取られた後も、次男らについて就学前から、三男は出生前からかかわる態勢をとった。それでも三男の死は防げず、死亡前1年半は家庭訪問さえしなかった対応の甘さが批判された。
都内の元児童福祉司は現場の実情を明かす。「1人の児童福祉司が担当する家庭は80~100件程度あり、新たな通告にも追われる。緊急会議や学校などとの打ち合わせ、事務処理も多い。一件一件丁寧にリスクに注意できればいいが、法律(児童虐待防止法)に中身が追いつかない」
虐待の早期発見・予防のため国は07年度、全乳児を区市町村が訪ねる事業を制度化した。だが、実施は自治体の努力義務で、優衣ちゃんへの訪問はなかった。
息絶える前、ごみ箱から優衣ちゃんは、最後の生を振り絞るように泣き声を張り上げた。小さな亡きがらには、50カ所近い傷といくつもの円形脱毛があったという。=つづく
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この連載は野倉恵、伊藤直孝、式守克史、大野友嘉子、上野宏人が担当します。
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■ことば
親権は民法で定められ、父母は未成年の子に対して保護・監督や教育、財産管理などの権利と義務がある。親権の乱用や虐待など深刻な悪い行い(著しい不行跡)のある親権者については、家庭裁判所が申し立てに基づき、親権はく奪を決定(親権喪失宣告)できる。申立人は民法や児童福祉法で、親族や検察官、児童相談所長と定められている。
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毎日新聞 2010年6月1日 東京朝刊