2010年4月19日
朝夕の勤行はまだやっていません。
一日一回、家族が眠ってから、声を潜めてひととおり唱題。
雨が降らないかぎり、ニセ本尊を暴く内容のチラシを、運動のためを兼ねて数百枚配布。
そして、模範音声を聞きながら唱題の練習。
ご本尊にお願いすることは、自分の仕事が進みますように、母の脚が良くなりますように、Kちゃんの収入が増えますように、Tちゃんの浮気が止まりますように、Sちゃんの健康、K君の自閉症、そして学会のH君の脱会、ご先祖様方の成仏。
そしてtoyoda.tvの閲覧。
私は凝り性なので、ついつい”この”テーマに心が奪われています。
仕事がまた停止しています。
実は、費用面で一つのハードルが現れ、この先どう進めるか迷っているという、理由ははっきりしているのですが、変に肩が凝ったり、”魔”の妨害を感じます。
日蓮正宗日記
魔の作用か?再び停止した仕事
日蓮正宗日記
H君よ一日も早く邪義への信奉を棄てよ!!
2010年4月18日
”ニセ本尊後”の創価学会員である友人のH君、休みの日は寸暇を惜しむようにして学会へ出かけてしまいます。
一体何が楽しいのでしょう。
「気狂いに刃物」という喩えがありますが、馬鹿に滅多なことを教えられません。
一刻も早くニセ本尊を捨てさせなければならないと思うと、気ははやります。
創価学会が本尊として与えているのは偽物であると聞かされ、驚く学会員も多いようです。
日蓮大聖人の教えを知らず、今のご法主は堕落した偽者と教えられ、少なくともお釈迦様の教えを拝する集まりではありません。
ただの新興宗教、”池田教”に過ぎません。
キリスト教を模した統一教会と同じく、仏教を模した邪教に過ぎません。
私は腹を据えて、H君の折伏を果たすべく、ご本尊に祈りを捧げたいと思います。
日蓮正宗日記
我が家に異形の邪鬼が現れた!
2010年4月17日
私は、視覚的にはきわめてはっきりしたものではないのですが、しばしば”霊体”を見ます。
今日は、家の廊下で”天邪鬼”を見ました。
私の心象の中で「天邪鬼だ!」と感じられたのですが、実際には「餓鬼」に近い姿に見えました。
餓鬼
大きな口をあけ、やや小さな目を見開き、私のほうを一瞬見ましたが、すぐに逃げ去りました。
体全体が灰色をしていました。
背丈は子どものように低く、かがんだ姿勢をしていたようにも見えました。
きっと、我が家に住みつく悪鬼が、ご本尊がいらっしゃるために居心地が悪くなり、うろうろしていたのではないかと思います。
日蓮正宗日記
私がずっと知りたかったもの=真理
2010年4月14日
私の所属寺院は長野市にある妙相寺となりました。
そして、信徒のリーダーである樋田さんが東京都内に借りたマンションの一室があります。
これを「峯國舎」と呼ぶそうです。
今日はそこへ行ってきました。
もちろん、8日にご本尊を授かったのもこの峯國舎でです。
ですから2度目の訪問ということになります。
今後は妙相寺のご住職が毎週来てくださり、勤行会をやるそうです。
私は勤行会の開始予定時刻よりもだいぶ遅れて到着したのですが、勤行の最中で、はなはだ痛み入りました。
この日の目的は、我が家の仏壇にあった本尊をご住職に委ね、また正宗のご本尊の代金(こういう言い方はふさわしくないのでしょうが、正しい言い回しをまだ知りません)をお渡しすることでした。
さて、ご住職はお経をかなりゆっくりお読みになるのですが、私は全くついていけません。
全くふがいないことですが、私は創価学会にいたわけでもないので、お経を読むのが全く初めてですから、まあしかたないなと思います。
この日は、”あの”脱会支部長竹本さんもいらしていました。
意外に気さくでよくしゃべる人なので、安心しました。
樋田さんと同じく、竹本さんとも気が合いそうだなと感じました。
改めて思うことは、日蓮正宗は、”素晴らしき封建主義”であろうということです。
日蓮大聖人を唯一の信仰の対象とし、その血脈(けちみゃく)を相承あそばされるところの現在のご法主上人を絶対の指導者として仰ぎ、そのお方がお認めになったご本尊をのみ、大聖人のお身代として尊命するわけです。
すなわち封建主義であり、独裁主義であります。
私はかねてより、「独裁主義こそ理想の政治形態である」と考えています。
独裁主義の唯一の問題点は、「独裁者が誤ってしまう」ということだけです。
が、実際には、誤らない人間がいないため、「独裁主義は悪いもの」という評価が定着しているだけです。
また、いわゆる「こわいお父さん」というものが絶滅したなど言われて久しいですが、こういうお父さんというのも、言わば独裁者ですね。
封建社会は終わったわけです。
おかげでどうなったか。
誰も彼もが平等で横並び、めいめいに自分の主張をするから、収拾がつきません。
しかも、主張を固持する本人も不安なわけです。
一言で言えば、「自分が本当に正しいのかわからない」ということです。
正否は多数決では決められないというわけです。
この大宇宙には、唯一の絶対的な真理があるはずです。
多くの宗教家、哲学者、また優れた科学者は、この真理を知りたがったわけです。
この真理さえわかれば、あらゆる迷いは消えるはずです。
私は、これが仏道修行者が求めた人間としての最終目標である「悟り」であると考えています。
が、人間は、自らの自由の故に不自由になっている、つまり主人を失った状態ですね。
ドライバーのいない車です。
だから、日蓮大聖人から血脈を継承するご法主、すなわち大聖人ご自身に”治め”ていただくということなのです。
ところが、主人の命令はしばしばわずらわしく、また主人はしばしな疎ましく感じられるものです。
だから”自由”がいちばん素晴らしい、と考えてしまいがちです。
でも、ドライバーがいなくなったら、車は動かないか暴走するかのどちらかです。
糸の切れた凧とも言えるでしょう。
日蓮正宗日記
さっそく功徳が?!数ヶ月ぶりに仕事が進んでいる!
2010年4月13日
いや・・・、ようやく仕事ができるようになりました。
このくらいはやらなければ、誰だって右肩下がりになります。
数ヶ月ぶり、いやひょっとしたら1年以上ぶりの仕事の進み方です。
ただ、まだ日蓮正宗を心から信じられているわけではありません。
ただ、私は昔から宗教に興味があって、
何とはなしにそういう方面のセンスはあるつもりです。
だから、信心とか信仰とか、目に見えないものを信じるとか、
古い言い伝えを信じるとか、そういうことが何事であるか、
うすらぼんやりとは理解しているつもりです。
ただそこにあって、日蓮正宗は難しいと思います。
同じ仏教でも、日蓮正宗以外のすべての宗門・宗派を否定し、
もちろん他宗教(キリスト教、イスラム教、神道など)も否定するわけですから。
否定と言っても、必ずしも全否定ではなく、
つまり”すべて”は日蓮正宗に「含まれる」のだと説くわけですね。
それにしても、まだ経典のすべてを読んだわけではないし、
お経だって唱えられませんし、
朝夕の勤行ですか、あれを毎日実行する自信はありませんし、
あんな長いお経を憶えるなんて、はっきり言ってそんな時間はありませんからね。
折伏だって、やる自信はありませんね。
でも、それを全部やるのが信徒の務めなわけでしょう?
かなり難しいと思います。
でも、良いものを授かったし、良い教えを賜ったと思いますので、
焦らず自分の考えを大切にしながら、お付き合いをさせていただこうと考えています。
日蓮正宗日記
先祖の霊も大歓迎?代々のしきたりをものともせず、我が家の仏壇に納まったご本尊
2010年4月10日
厄続きの我が家でありましたが、
実際には、稼ぎ頭であるはずの私の仕事がジリ貧状態であることが、
最大の問題点でした。
しかも、ここ3ヶ月くらい、
全く仕事のやる気が起きない!!
そこで、「この魔性のスパイラルから抜け出したい!」という気持ちが強くなり、
日蓮正宗のご本尊にすがりたい、すがればなんとかなるんじゃないか、
そんな気持ちになったのが、樋田さんに連絡を取ったきっかけの一つでした。
さて、ご本尊を安置したまでは良いが、どうも場所がしっくり来ない。
そこで樋田さんに相談したところ、「仏壇に入れるのがベスト」との回答。
しかし、仏壇の中身は天台宗のもの。
日蓮正宗のご本尊との同居はできないので、
お札やらを取り除く必要がありました。
生前の祖父が大切にし、それを母が受け継ぎ、
しかも菩提寺から授かった天台宗のお札が祀ってある仏壇、
どう考えても母が承知するはずがありません。
しかし、「本物の厄除けご本尊」ということにし、
「下さったお寺のご住職から正式の作法を教わったから、
まずはそれを守ってみようよ」というように母に話し、
あっさり承諾を得たのです。
しかも、このご本尊を仏壇に安置すると、どうも部屋の匂いが違う!
どうも、仏壇にこもった線香の匂いが、扉を閉めた状態なのに、
部屋の中に漂ってきているのです。
古い仏壇ですから、そういうにおいが染み付いていて、
扉を開け、近くに寄ればそういう匂いはします。
が、今までは、扉を閉めていなくとも、
そんな匂いが部屋に漂うなんていうことはなかったのですから、
とても不思議なことです。