2010-04-25 13:51:39

私って・・・?

テーマ:自分のこと

忙しすぎる。

夜も寝れない(時間が足りなくて)。

スケジュールはぎっしり。

でもまだ入れたい。

周りはもちろん言う。

「休みなさい。休息日を儲けなさい」

それでも分かっているけど、我を通して突っ走る私。

そして支援中にパニックになる。

もちろん休んでないからだということも分かっている。

分かっているのにやめられない。

これも一種の依存症。

主にヤフオクだ。

意志が弱いんだなぁ。

病院の先生もうんざりしているだろうけど、仕事として私を見捨てないで見ててくれる。

支援者は私をもっと分かろうと努力してくれている。

それにもう見破られている。

私のことを。

今のところ、ちゃんと私を支えてくれる。

彼は自分のやりたいようにやっているから、私のことは言えないはず。

なんか通所するのが怖くなってきた。

これ以上予定を詰め込んでいいの?

自由な時間がないよ。

ソートステイとか、簡単に行けなくなるよ。

何よりも彼に会えなくなるよ。

でも仕事をするのが自立なら、私にとって毎日通所することは自立に近い。

家でずっとヤフオクやってるより、健康的。

明日は、8時間の時間を使って、温泉と岩盤浴の一日。

きれいになってみせる。

そういう私にとって、リラックス出来る時間は重要だ。

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1 ■私の夢。

ゆこたん、本題とは関係なけど、私の夢を語ろう。夢は本の出版記念パーティーをやってtwitter・リアルでお世話になった人たちを招いて招待する事。感謝のお礼を述べる事。
 今話題の電子書籍で当事者として当事者の本を電子書籍で出版する事。(それは可能だと当事者の人に言われた)
 海外旅行で行きたいところを夢だと言えば、韓国・中国・シンガポール・スウェーデン・タヒチ・メキシコ・アメリカ(ニューヨークに叔母がいるから)・セーシェル・モルディブ・カリブ海の島々・ドイツ・フィジー・・・・いろいろある。
 仕事での夢をかなえるのが現実的で地に足がついて漆、ロマンがある。金にもなる。
(今の仕事は頑張っても2000円~4500円なので、本を書く事を副業にして稼ぐ)
 夢を現実化するという事が日常生活で大事だろうと私は思う。目標が出来てハリがある。
 そして仕事に頑張れる。モットーは今・夢・旅が私の信条です。こんなところか・・・・ゆこたんの夢は何???

2 ■千葉の生活32年の総括その1(昭和の時代)

ゆこたんに来年春、2週、3週の土日での千葉の地域の生活する決断を評価していただいて感謝です。
 私、色々考えたが、土日横浜の帰省は32年にもわたる事なので自分をもう一回見つめなおしていかないといけない。自己中心的な他のグループホームの人たちとのかかわりをどうするべきか考えていかなくてはいけない。
 後者はいずれ述べるとしても、前者について述べよう。
 私は横浜に住んでいて、1978年にN学園に入所が決まったとき、横浜から千葉の生活に切り替えが利かない。
 土日N学園に帰省が決まったときほっとした。それが足かせになるなんて想像もしてなかった。
 N学園で高機能自閉症の青年を対象にしたグループに私は所属して、そこのリーダー”愛称ミスター”とともに、地域のカフェに行ったり、牧場の仕事をしたり、地域のとんかつ屋に行ったりした。今で言う地域福祉の先駆的なことを私たちはしていた。
 地域の公民館の青年教室にも行ったが、土日帰省の壁が出来て、交流できなかった。
 そういう思い出のあるミスターもある事情でリーダーをやめた。
 それはさておき平日施設、土日帰省の生活になれてきた。それは84年に今のH学園がオープンしても変わらなかった。
 86年に実家のある横浜で山岳会に参加する話が出てきた。私は施設の人間関係に飽きたので参加した。今では信じられないが木曜日、山岳会の例会のある日、私は帰省した。私がわがままだった頃の時代だ。
 88年ガソリンスタンドで洗車の仕事をした。そこのお客様の千葉の方言にカルチャーショックを受けて千葉で働く事、生活をすることにダメージを受けた。それがそういう現実から逃げ回っていく事になる。それは平成編でも述べる。
 ガソリンスタンドの仕事は、店主の指示を聞かない。水を撒かないでという店主の指示に従わずに仕事、首になった。1冊目の本を出したのもこの年だった。そして昭和が終わった。

3 ■私が土日横浜に帰省する理由(平成編)

そして千葉での生活をダメージに感じていた。今思うとその事を支援者に言うべきだった。30代前半をニート生活で過ごして好き勝手していた。でも周りの利用者はどんどん社会に出て行って、私はあせりを覚えた。ベテラン支援者jからも社会にぶじこれきにんさん出なさいとハッパをかけられていた。戦後50年の節目に社会に出た。そこは誰にでも知っている大手スーパーで広告宣伝のPOPをコンピューターで打つ仕事。当時ワープロで文章を打つ私に向いている仕事だった。
 それでも土日帰省する方が自分も安定するので、習慣だから、スーパーが土日営業しても休みを土日にした。
 周りは土日スーパーで仕事した方がいいと圧力欠けられて悩んだ。苦しんだ。そうしながら休みの日を目標にして仕事に励んだ。
 それでも40代に突入しても土日帰省を続けた。上司から「40代になっても土日に帰省するの」このメッセージを仕事に追われていた私は真剣に受け止めなかった。今、考えると周りはそういう風に見るから、それを真剣に受け止めればいいが、私にその余裕がなかった。
 そのプレッシャーと広告宣伝部は3人の人手で多くの仕事をさばくプレッシャーで仕事をやめた。
 仕事をやめるときジョブコーチにも言ったが、ジョブは退職を受理せずに断った。
 それで仕事のストレスをスーパー側に手紙を出して憂さを晴らした。今の若者が2ちゃんねるでうっぷんを晴らすのとよく似ている。
 それでも退職してニート生活をした。
ちなみに山岳会はスーパー在職中退会した。この話は別の機会に述べる。
 そして99年に今のグループホームに入居しても、02年にパソコンが導入されても、私は郊外のS市に住むより、土日横浜に帰省して都会の空気を吸った方がいいと思った。
 それが間違いと気づくのは09年にtwitterをはじめていろんな人と交流したり、ゆこたんにブログで土日横浜に帰省する事がいけないという内側からの違和感、変えたいこだわりに土日帰省がなってからだった。twitterやる人には土日帰省は関係なくつぶやくからだ。
それと第1週、地域の病院に薬をもらいに通院する。(朝通院します。)その帰りに千葉、船橋、浦安あたりを一人で散歩すると、千葉も都会の魅力が合って住みやすいところだと思い、千葉のイメージが変わった事も大きい。
 
 

4 ■私が土日横浜に帰省する理由(平成編その2)

グループホームは家賃3万円を、自立支援法施行された06年にH学園は便乗値上げして4万5千円にしてから、土日横浜の帰省のほうが楽と思った。
 親も高齢化してメッセージ発信力が衰えた。H学園も自立支援法の施設経営に割かれてメッセージ発信力が以前より衰えた。自分がしっかりしなきゃいけない思いにかられた。
 twitter仲間の女性から「柔軟に考えて」「無理をしないで」という言葉を元にして月の2週、3週は地域生活をすることにした。
 アスペの会も2週、3週にあっても、千葉から行きます。こんな私を応援してください。お願いします。

5 ■Re:私が土日横浜に帰省する理由(平成編その2)

>ぶじこれきにんさん
長い文章は苦手なので、苦労して読みましたが、ぶじこれきにんさんの人生が分かってきたようです。
私も安易にアドバイスしてごめんね。
人それぞれ事情があるんだもんね。
本を出版する夢、大きいですね。
それに比べて私の夢は、地域で生活すること。
入院を繰り返さないこと。
ちっぽけだな~って思います。
でも私はそれでいいんです。
今が楽しいから。
2時まで起きていてダウンしても、楽しいからいいんです。
そのうちマジで倒れるんだけどね。
それでアスペの会に行けなかった。

6 ■5月のアスペの会

5月のアスペの会ではワークブックに自分のセルフチェック記入。会員の方は素直に書いていました。6月の例会にゆこたんが出るなら、Kさんからワークブックを渡されます。
 6月の例会の変更の連絡、会から私宛に来ていません。理由知っていたら教えてください。
 最近当事者グループのSSTトレーニングにゆきけいじさん、Nさんと会う事が多いです。
 けいじさんは仕事で苦労していて、土曜日まで働くので、その憂さをネットにぶつけたり、ゆこたんにぶつけています。SSTトレーニングでのけいじさんはおとなしいいい人です。こんなにまじめにSSTに来る人なの??と私は目を疑いました。けいじさんは根はいい奴なのかもしれません。
 

7 ■Re:5月のアスペの会

>ぶじこれきにんさん
質問なんだけど、当事者グループのSSTってどこでやってるの?
すごく興味があります。
私も参加したいです。

アスぺの会の変更のことは、どうしてかな?
私は携帯に来たので、そのうち文書で送られてくるのではないでしょうか?

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