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密約の重要資料、半数破棄か 東郷元局長、衆院委で証言

2010年3月19日11時41分

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 衆院外務委員会は19日午前、日米間の密約問題を調査するための参考人質疑を行った。元外務省条約局長の東郷和彦氏は、1999年に後任者に引き継いだ核持ち込み密約に関する文書のうち、最重要資料の半数の8点が発表されていないと証言した。鈴木宗男外務委員長は委員会として、破棄の可能性などの調査を検討する意向を示した。

 東郷氏によると、在任中に最重要資料16点を含む58点の関連文書を整理。文書の一覧表と対処方針メモのA4判計7枚とともに後任の谷内(やち)正太郎元外務次官に引き継いだ。また、当時北米局長だった藤崎一郎駐米大使にも、一覧表とメモを送付したという。

 東郷氏によると、文書は(1)60年の日米安全保障条約改定時(2)68年の小笠原・沖縄返還交渉時(3)74年にラロック米海軍退役少将が米議会で日本への核持ち込みをめぐり証言した際の対応(4)81年のライシャワー元駐日大使の発言を受けた対応(5)90年代――の五つの赤い箱形ファイルにまとめた。発表されていない文書には、小和田恒、丹波実両元条約局長のメモなどが含まれているという。

 東郷氏は、引き継いだ文書の行方については「個人的感想から言うと全部は残っていない」と言及。2001年の情報公開法施行の際、「外務省の内情をよく知っている人から関連文書が破棄されたと聞いた」とも述べた。

 また、東郷氏は条約局長在任中、核兵器を積んだ米艦船の日本寄港が「あり得たと思っていた」とした。密約調査の有識者委員会が「密約とは言えない」と位置づけた沖縄の核再持ち込みについては、「密約であると考えている」との見解を示した。

 参考人として呼ばれたのは東郷氏のほか、大平正芳元首相の秘書官だった森田一・元運輸相、元毎日新聞記者の西山太吉氏、外務省元事務次官の斉藤邦彦氏。

 大平氏の娘婿である森田氏は、大平氏が外相時代の63年にライシャワー駐日大使と会ったころから、「持ち込み」を意味する「イントロダクション」という言葉をつぶやくようになったと振り返った。急死する直前の80年4月には、首相執務室に当時の伊東正義官房長官、加藤紘一官房副長官を集め、「国民にわかってもらえるような何か良い方法はないだろうか」と尋ねるなど、密約解消を検討していた様子を証言した。

 また森田氏は旧大蔵省の課長補佐時代、沖縄返還に際して米側が本来支払うはずの土地の原状回復費について「課長の指示で沖縄に出張し、400万ドルという金額を割り出した」とも証言した。

 87年から2年間、条約局長を務めた斉藤氏は、核持ち込み密約は日米両国が高度な政治判断を下した結果だとの認識を示した。事務次官時代に首相に密約問題について話をしたことはないと述べ、歴代の首相や外相に説明したとする東郷文彦元北米局長によるメモについては、外務省によって公表されてから読んだと述べた。

 沖縄返還時の密約に関する機密電文を特報した西山氏は、沖縄返還時の原状回復費の肩代わりについて、有識者委が「広義の密約」と報告したのに対し、「秘密取り決めのジャンルに入ると認識している」と述べた。

     ◇

 【証言の骨子】

 ○関連資料58点を後任に引き継いだが、有識者委員会の報告書にすべては出ていない。(東郷和彦氏)

 ○情報公開法施行を前に関連文書が破棄されたと聞いた。(同)

 ○条約局長当時、1991年以前には核持ち込みはあり得たと思っていた。(同)

 ○核持ち込み密約について、大平元首相から「国民にわかってもらえる良い方法はないか」と相談された。(森田一氏)

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