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目前の参院選を何とか乗り切るために、鳩山由紀夫首相に辞めてもらう。そういう狙いが見え見えである。考え違いというほかない。
首相が米軍普天間飛行場の移設問題で大きくつまずき、社民党は政権を離脱した。それをきっかけに、民主党内で首相退陣論が噴き出している。
確かに深刻な失政である。外交・安全保障分野に限らず、首相の言葉の軽さと判断のぶれは目に余る。国の指導者としての資質に疑問符がつき、内閣支持率の危機的な水準は世論が首相を見放しつつあることを示している。
自民党政権時代なら間違いなく引きずり下ろされているだろう。2001年の森喜朗首相から小泉純一郎首相への交代が典型だ。目先を変え、逆風をかわそうという発想である。
しかし、時代は決定的に変わったはずではなかったのか。
昨年の政権交代の大義は、永久与党の地位に甘え、有権者を差し置いて自分たちの都合だけで首相の座を「たらい回し」してきた自民党政治との決別ではなかったか。
その動きの先頭に立って有権者を引っ張り、巨大な支持票を集めたのが、ほかならぬ鳩山民主党だった。
トップリーダーの力量、理念政策の方向性、政治手法や体質といった政党の持つ統治能力そのものを有権者が見比べ、直接選ぶ。それが「政権選択」時代の政治の姿であるはずだ。
鳩山政権の迷走でかすんだ感があるとはいえ、政治の質を根本的に変える試みの意義は大きい。
そうした政治の流れから誕生した首相を退陣させようというのなら、早期に衆院解散・総選挙を実施し、有権者に再び政権選択を求めるべきではないか。それなしに「たらい回し」に走るのは、民主党の自己否定に等しい。
いま民主党がなすべきは、政権8カ月の失敗から何を学び、どこを改めるのか、猛省することである。
政権への期待はなぜしぼんだのか。
政治とカネの問題はもちろんだが、政権与党としての統治能力のほころびが限界に達しつつある。
とりわけ政権公約(マニフェスト)という有権者との約束の取り扱いを誤った。予算の見直しにせよ普天間にせよ、「やるやる」というだけで実現に結びつかない。財源の裏付けを欠いたままのもの、理念に逆行する利益誘導的な施策も目立つ。努力の上での挫折ならまだしも、最初から約束を守る気があったのかという疑問すら浮かぶ。
本来の理念や方向性は生かしつつ、公約を少しでも実現可能なものに書き改め、参院選で有権者に投げかける。
それしか失われた政権への信頼を取り戻す道はない。そのための議論の時間が退陣騒ぎで奪われるのは、民主党自身にとっても愚かしいことである。
広告の利便性やインターネット業界の都合を優先する規制緩和が進められ、個人のプライバシーが損なわれる危険があるとしたら、そんな政策は認められない。
総務省の研究会がこのほどまとめたネット広告に関する提言は見過ごせない内容だ。ネット接続業者(プロバイダー)が通信を傍受して利用者の情報を得るディープ・パケット・インスペクション(DPI)と呼ぶ技術を広告ビジネスに使うことを解禁するというのである。
利用者の同意取り付けなどに関する業界ガイドラインを作ることが条件とされている。
解禁すれば、利用者が初めて訪れたサイトにも「あなたにはこんな商品がお勧め」といった広告を出せるようになる。だがそれは、電話ですしの出前を頼んだら、電話会社から情報を得たケータリング会社の御用聞きが頻繁に来るのと同然だ。
憲法21条の2項は「通信の秘密は、これを侵してはならない」と定めている。この規定を事実上、棚上げにして、営利目的の通信傍受を条件付きながら認めるものではないか。これはとんでもない話である。
ネット利用者の操作履歴などを利用した広告は、ネット通販業者など通信の相手先が独自に情報を集めるという限られた形で行われてきた。これに比べ、通信傍受による広告は利用者がどこで自分に関する情報を集められ、どう使われるかが一段と分かりにくい。米国や英国でもDPIの広告利用は実用化されていない。
研究会の提言はネット業者のガイドラインを作る際の配慮事項として、情報収集の方法と用途を利用者にあらかじめ説明することや、利用者が拒否すれば収集を停止する、情報が外部に漏れるのを防ぐ、など6項目を挙げている。だが、この程度では厳密なガイドライン作りは無理だ。
業界がガイドラインを作れば、「通信の秘密の保護」を定めている電気通信事業法や政省令の改正は必要ないという総務省の判断は、まことに奇妙である。
広告事業という一貫した目的を持ち、組織的かつ大量に同意を取り付ける企業活動が法律をすり抜ける形で可能になっていいはずがない。
こうした問題をめぐる議論が先行している欧米では、市民団体の監視機能が強い。欧州では通信におけるプライバシー保護を目的とする委員会も整備されており、ネット業界の行き過ぎを抑制している。ところが、日本では消費者や市民団体の力が弱く、政府の取り組みもバラバラだ。
技術進歩や業界の行き過ぎから利用者のプライバシーを守る市民社会の土台づくりを急ぐべきである。