伊藤みどり、パリ、1989年に
テーマ:フィギュアラブ世界チャンピオンになった話をぜんぜんしてないじゃないか、と叱られそうですが。
ユーチューブでさがせばたくさんあるので、自分とこでやるのもなあと思っていたのです。
でもやっちまいます。
1987~88年シーズンは、オリンピックシーズンで、
カタリーナ・ビットやデビ・トーマスなど、メダルをとった選手は引退しました。
>>>カルガリーの伊藤みどり選手の勇姿はこちら
となると、1988~89年シーズンは、
「新世代の女王」を決定する大事なシーズンになります。
伊藤みどり選手は、パリの世界選手権では
「メダルとれればいいよね」
程度の期待(それでもすごい期待ですが)だったと思います。
完全に女王候補でしたよ。誰もが認める。
でも、コンパルソリーがね…。いつも10位あたりでしたから。
コンパルソリーは、1991年に廃止されることが決まっていましたから、
女王になるのはそれからだね~、とだれもが思っていたと思います。
(この改正は、たぶん「みどりルール」だと思います)
ところが、パリの世界選手権、
フタを開ければ、コンパルソリー6位!
金メダルイケルじゃん! と色めき立ちます。
完全に勝ちを狙いにいった伊藤陣営(イコール日本陣営)は、
SPで安全策をとります。
トリプルトゥ - トリプルトゥ を
ダブルトゥ - トリプルトゥ に変更したのです。
(これ、安全策になるんだろうか…)
伊藤選手も緊張したのか、なんと
ステップで方向を間違えた
と、あとのインタビューに告白しちゃってます。
長嶋茂雄か。
パリの世界選手権、ショートプログラム
このSPで1位となり、総合3位。完全に女王の座を狙えます。
そして、運命のフリー。
トリプルアクセルは回避しないと明言していました。
ヨーロッパ、北米が築いてきたフィギュアの歴史にアジアの女性が挑戦します。
歴史を動かすためには、圧倒的な力の差を見せなければならないと、
たぶん本人よりも周りが思っていたのではないでしょうか。
パリの世界選手権、フリー
演技終了後、パリの観客が伊藤選手を放しません。
>>>直前の全日本の演技はこちら
■■オマケ■■
そのとき2位になったクラウディア・ライストナー(旧西ドイツ)の演技。
この年のヨーロッパチャンピオンです。彼女はこの演技を最後に引退しました。
そして、このとき3位のジル・トレナリー。
アメリカのチャンピオンです。翌シーズンには世界女王となります。
実は好きでした。トレナリー。
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1 ■ムム・・
伊藤みどりさんの演技はヤッパリすごいと思いますがやはり最近は真央ちゃんを見慣れてしまったせでみどりさんがふとっちょさんに見えちゃいますね(><;)キャハ・・人のこと言えないか。(´д`lll)