平成13年6月4日。母親の順子さんは、その日、 勤めている採石会社の社員旅行で、中国・大連に向けて出発することになっていた。ところが、約束の正午になっても、集合場所だった勤務先に姿を見せない。しびれを切らした同僚が、正午過ぎに山上家を訪れてみたところ、母屋に離れと蔵を備えた荘厳な雰囲気の 旧家は、ものの見事にもぬけのからになっていた。 朝5時ごろに、新聞配達員が訪れたときには、正弘さんの車がなく、すでに家中に人の気配もなかったという。
一家の中で、最後まで消息が判明しているのは千枝さんである。 千枝さんの勤務先は、世羅町から約30km離れた、瀬戸内海沿いにある同県竹原市の市立竹原小学校である。前日の3日は日曜参観日で、千枝さんは、担任をしている1年生のクラスで 図工の授業を行ったあと、午後3時ごろまで、PTAの球技大会に参加した。その後、竹原市内の飲食店で行われた、PTAの親睦会にも出席している。彼女は、同市内のアパートで一人暮らしをしていて、4日は前日3日の振替休日だったが、その日のうちに千枝さん一家が失踪したという連絡が、警察から校長に入った。翌5日から、千枝さんにとっての初めての無断欠勤が続いた(広島県教育委員会は同年12月20日、欠勤が6ヶ月以上続いているとして、千枝さんを分限免職とした)。 順子さんのバッグには、旅行代金15万円が入ったまま残されており、一家の定期貯金も手つかずのままである。順子さんと千枝さんの携帯電話と免許証、政弘さんのポケベルも置いたままである。普段は畳んであり、パジャマが見当たらなかった。布団のシーツは乱れていないので、就寝前にパジャマ姿で出かけたとみられる。母屋の台所と廊下の電灯がついたままで、レンジで温めれば食べられるように朝食の準備もしてあった。しかし、玄関の鍵はちゃんと締めてあり、家の内外で争った形跡もなく、血液反応も出ていない。 玄関からは、4人分のサンダルがなくなっていた。ということは、パジャマ姿のまま、サンダル履きでの失踪ということになる。しかも、犬まで連れてである。そこまで追い詰められていたとすれば、考えられるのは金銭的トラブルなどによるメ夜逃げメであるが、 政弘氏には2000万くらいの預金があり、借金もなかったので金銭絡みのトラブルは考えられない。自宅登記を確認するも、金銭貸借はなし。 政弘氏の弟に当たる栗宗氏は、ご進物などを扱う会社を経営していたが、2〜3年前、この会社が倒産したという経緯がある。栗宗氏は現在廿日市市内において、同様の会社を経営しているとのこと。 山上家住所 広島県 世羅郡世羅町戸張 787 山上家電話 084-729-0611 山上千枝 当時住所 「クレールミウラ」2階右端の部屋。「広島県竹原市竹原町3488−1」 千枝さんは、当事広島県竹原市のアパートに一人暮らしをしていた。事件後一ヶ月という早い時期で引き払われており、現在は別人が入居済み。 当時の勤務先 山上千枝 「広島県立 竹原小学校」教諭 山上政弘 建設会社 勤務 山上順子 砕石会社 勤務 みなさんからの情報をお待ちしています。 |
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