2004年12月
NHKの海老沢会長が、4日のおわびのなかで「検証番組をつくる」と約束したそうだ。この話で、11年前の「ムスタン」事件を思い出した。
このとき、私はたまたま放送記念日特集を担当しており、各部門の部長以上を集めた会議で「この問題を取り上げ、『やらせ』問題への説明をすべきだ」と主張したのだが、却下されたので番組を降りた。しかし、その後も批判が強まり、結局1993年の放送記念日特集ではムスタン問題の検証を放送した。
くわしい経緯は『ネットワーク社会の神話と現実』の165ページ以下に書いた。そのころから、NHKは何も進歩していないわけだ。
このエントリーに2ちゃんねるからリンクが張られたらしく、いたずらコメントがたくさん来たので、すべて削除した。
ただ、こういう誤解はよくあるので、この際、整理しておく。「ドライカッパー」というのは文字どおりの銅線で、サービスの料金は含まない。鉄道でいえば、運賃のうち線路(物理的なレール)の料金がいくらかという問題だ。
NTTの場合、銅線の減価償却は終わっているので、ほとんどの経費は保守にかかる人件費だ。NTTの保守要員は全国で約1万5000人だが、このうち線路や局舎の保守にかかっているのが1万人とみても、1世帯あたりのコストは月100円ぐらいだ。もちろん設備更新のコストはあるが、接続部分を補修すれば銅線そのものは50年ぐらいもつので、どう計算しても1300円にはならない。
現在の指定電気通信設備の料金算定基準では、線路と交換網を区別していないので、実質的にはドライカッパー料金でサービス部門の余剰人員の人件費を補填しているわけだ。こういう不透明な形で電話網を延命するのではなく、余剰人員は交換網とともに別会社に切り離し、全面IP化にともなって清算するのが本来のありかただろう。
追記:NTTの立場に立って擁護すれば、設備単価は銅よりファイバーのほうが安いし、すべて光になれば保守コストも大幅に節約できる。ところがDSLの普及によって、日本はかえって銅線から逃れられなくなった。高いドライカッパー料金には、こうした「機会費用」が含まれていると考えることはできるかもしれない。
けさの朝日新聞が、社説でNHK不要論にまで言及している。私のところにも、あいかわらずNHKバッシングの取材(ほとんど断っているが)がくる。不祥事そのものよりも、その後の対応、特に会長の参考人招致を国会中継しなかったことが批判の的になっているようだ。
私にいわせれば「今ごろそんなことに驚いてるんですか」という印象だ。2年前の脅迫状の事件でも、批判を受け止めないで逆に居直る態度は明らかだったし、これは海老沢会長になってから一貫している。特に最近(着服事件の発覚までは)、新聞社などにも「抗議文」や内容証明を乱発していた。
私は、NHKが不要だとは思わない。むしろ「視聴料」ベースの民間企業として出直し、番組のアーカイブをBBCのように公開するなど、そのコンテンツを活用すれば、ブロードバンド時代を切り拓く役割を果たせると思う。
しかし、そういう仕事は海老沢氏にはできない。彼はテレビを知らないからだ。政治部記者だったから番組を作ったことはないし、原稿もほとんど書かない記者(というよりロビイスト)として知られていた。NHKでは「原稿を書く記者よりも押さえる記者が出世する」というのが、冗談のような本当の話である。
わが家も「So-netフォン」にしたが、信頼性は必ずしも高くない。特に携帯にかけるのは、よく失敗する。しかし、この程度で電話代が1/3になるのなら、しょうがない。
ブロードバンドの普及のおかげで、日本はIP電話でも世界最先進国になったが、大部分はSo-netフォンのような「バンドル」型だ。他方、電話会社の対応の遅い米国では、VonageやSkypeなどの「アンバンドル」型が主流だ。Economist誌によれば、今後「無線IP電話」が登場するのも時間の問題だ。どのビジネスモデルが勝者になるかはまだわからないが、敗者ははっきりしている。既存の固定電話と携帯電話である。
今後は、電話会社は「銅線リース会社」に限りなく近づいてゆくだろう。しかし「直収電話」でも、1500円前後の基本料金のうち、ドライカッパーのリース料が1300円というのは、べらぼうに高い。ソフトバンクなどが、なぜ「ドライカッパー料金を下げろ」と要求しないのか不思議だ。
UFJの検査妨害事件は、ついに元副頭取の逮捕という事態に発展した。もちろん彼らの犯罪(実質的な粉飾決算)は許されないが、彼らを監獄に送ることで、日本の金融システムは改善されるのだろうか。
粉飾決算に刑事罰を課すのは、それが株式市場の信頼性を失わせる「外部性」をもつためだが、事後的なペナルティを強めて犯罪を予防するためなら、巨額の罰金を課してもよい。摘発するほうも、大企業の経営者を監獄に送るには重大な覚悟と強力な証拠が必要なので、実際にはほとんどの事件は立件できない。
これが英米のようなコモンローの国であれば、当局が銀行側と「取引」して、粉飾を認めれば免責するなどの方法で、実質的な事実解明を行うだろう。日本では、監獄に送るか否かという選択肢しかないので、大部分の事件は闇に葬られてしまうのだ。政治家の事件は、もっとひどい。
私も当事者になって感じたことだが、民事訴訟はコストも時間もかかるが、手続きの柔軟性や透明性という点では行政処分よりはるかにいい。リバタリアンには、そもそも経済事件を民事と刑事で二重に罰するのはおかしいという議論もある。日本でも、もっとコモンロー的な解決法が考えられていいのではないか。
国産牛肉の履歴表示が、今日から義務づけられる。BSEの患者が1人も出ていないのに、こんな厳重な「セキュリティ」規制を行う国は他にない。
Schneierの Beyond Fear によれば、リスク管理において単なる「セキュリティの最大化」を目的とするのは間違いである。コストを無限大にかければ、どんな厳重なセキュリティも可能だが、本質的なのはその効果と費用のトレードオフからどう選択するかという経済的な問題だ。
しかしリスクが誇張される一方、費用は(たとえば履歴表示のコストとして)全員が薄く広く負担するので過小評価される傾向が強い。こうした費用対効果の評価をゆがめる主犯が、メディア(特にテレビ)である。