2004年12月
今年は、私の人生で最悪の年(annus horribilis)だったが、時間に余裕ができたおかげで、博士論文も仕上げることができ、学問的には実りある年だった。それ以外にも、いくつか重要な教訓を学ぶことができた。
第一に、RIETIやGLOCOMの経営者の「自爆テロ」に等しい行為をみると、人間は戦略的に行動するという経済学(ゲーム理論)の前提が非現実的であることを痛感した。結果として、どっちの組織も崩壊してしまったが、彼らがそういう(当然の)結果を予測して行動したとは思えない。場当たり的に感情にまかせて行動した結果、「組織防衛」のつもりで「組織破壊」をしてしまったわけだ。
第二に、日本でも司法はちゃんと機能していることが確認できた。たしかに高コストで効率は悪いが、裁判官が公開の場で当事者の主張を聞いてルールにもとづいて判断する制度は、官僚が警察と裁判官を兼ねるような制度より、紛争解決システムとしてはずっとましだ。日本の行政には、第三者へのaccountabilityという概念が欠如している。
Shleiferたちが実証したように、発展途上国や旧社会主義国などの法秩序が未発達な状況では行政中心の集権的なシステムが適しているが、制度が安定してくれば、当事者が分権的に紛争を解決する司法中心のシステムのほうが効率的で柔軟だ。日本の「国のかたち」を変えるうえで最大の課題は、行政を縮小して司法を強化することだという私の仮説を、身をもって検証したという点では、有意義な年だった。
第一に、RIETIやGLOCOMの経営者の「自爆テロ」に等しい行為をみると、人間は戦略的に行動するという経済学(ゲーム理論)の前提が非現実的であることを痛感した。結果として、どっちの組織も崩壊してしまったが、彼らがそういう(当然の)結果を予測して行動したとは思えない。場当たり的に感情にまかせて行動した結果、「組織防衛」のつもりで「組織破壊」をしてしまったわけだ。
第二に、日本でも司法はちゃんと機能していることが確認できた。たしかに高コストで効率は悪いが、裁判官が公開の場で当事者の主張を聞いてルールにもとづいて判断する制度は、官僚が警察と裁判官を兼ねるような制度より、紛争解決システムとしてはずっとましだ。日本の行政には、第三者へのaccountabilityという概念が欠如している。
Shleiferたちが実証したように、発展途上国や旧社会主義国などの法秩序が未発達な状況では行政中心の集権的なシステムが適しているが、制度が安定してくれば、当事者が分権的に紛争を解決する司法中心のシステムのほうが効率的で柔軟だ。日本の「国のかたち」を変えるうえで最大の課題は、行政を縮小して司法を強化することだという私の仮説を、身をもって検証したという点では、有意義な年だった。
テレビ業界の用語には、変な和製英語が多い。最近、民放で目立つのは、放送を「OA」と略す字幕だ。「オン・エア」の略語のつもりらしいが、「放送中」というのはon the airである。他にもたくさんある:
フリップ:「めくる」という意味の英語から転じて、スタジオで出す図のこと。NHKでは「パターン」という。これはテスト・パターンから来たらしい。
カフ・ボックス:アナウンサーが手元で使うフェイダーのこと。咳(cough)を消すためについた名前だという。NHKではFU(fader-upper?)という。
テロップ:これは不透明(OPaque)という言葉の前にTELevisionがついたものだというが...
「やらせ」のように、そもそも業界では(世間的な意味で)使われていないのは、次のような言葉だ:
エア・チェック:「録音」の意味で使われるようだが、これは民放でCMがちゃんと放送されたことを放送同録でチェックすること。
ダビング:一般には「コピー」の意味で使われるが、テレビ局では映像に音声を多重録音(overdub)する作業のこと。
「やらせ」のように、そもそも業界では(世間的な意味で)使われていないのは、次のような言葉だ:
他人が問題を理解しているのを知ることはやさしいが、どう誤解しているのかを知ることはむずかしい。きょう田中秀臣『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)を立ち読みしていて、「リフレ派」が何を誤解しているのかが初めてわかった。
田中氏によれば、日本経済の直面しているのは、X軸に衰退産業、Y軸に成長産業をとった生産可能フロンティアの上で、社会全体の効用曲線がY軸側にシフトしているような状況である。したがって「構造改革」によってX軸の企業を破壊しなくても、フロンティアに沿って徐々に新しい均衡に移行する「漸進的改革」をすればよいという。
こういう議論が成立するのは、生産可能集合が凸で、効用曲線も凸集合になっている場合に限られる。もしも生産可能集合が非凸であれば、フロンティアに沿って「漸進的に」望ましい均衡に移行することはできない。そして生産可能集合は一般には非凸だというのが、前述のRobertsの本でも強調されている点である。
これは図で描くと、高い山と低い山が並んでいるような状態だ。低い山の山頂にいる人は、局所的にはもっとも高い所にいるので、わざわざ山を降りてもう一つの山に登りたくない。まして、もう一つの山が今いる所よりも高いかどうかわからなければ、低い山の上から動こうとしないだろう。日本経済が陥っているのも、こういう「局所最適化」のパラドックスである。
ゲーム理論で(否定的に)証明されたように、こうした複数均衡のなかから最適な均衡を求める「均衡選択」の問題には一般的なアルゴリズムが存在しない。企業戦略や経済政策に求められているのは、このように個々人の努力では解決できない均衡選択だ、というのが私の博士論文の結論である。構造改革とか制度設計という言葉に意味があるとすれば、こうした戦略的な決断であり、それは現在の日本経済においてはマクロ的な安定化政策よりもはるかに重要である。
田中氏によれば、日本経済の直面しているのは、X軸に衰退産業、Y軸に成長産業をとった生産可能フロンティアの上で、社会全体の効用曲線がY軸側にシフトしているような状況である。したがって「構造改革」によってX軸の企業を破壊しなくても、フロンティアに沿って徐々に新しい均衡に移行する「漸進的改革」をすればよいという。
こういう議論が成立するのは、生産可能集合が凸で、効用曲線も凸集合になっている場合に限られる。もしも生産可能集合が非凸であれば、フロンティアに沿って「漸進的に」望ましい均衡に移行することはできない。そして生産可能集合は一般には非凸だというのが、前述のRobertsの本でも強調されている点である。
これは図で描くと、高い山と低い山が並んでいるような状態だ。低い山の山頂にいる人は、局所的にはもっとも高い所にいるので、わざわざ山を降りてもう一つの山に登りたくない。まして、もう一つの山が今いる所よりも高いかどうかわからなければ、低い山の上から動こうとしないだろう。日本経済が陥っているのも、こういう「局所最適化」のパラドックスである。
ゲーム理論で(否定的に)証明されたように、こうした複数均衡のなかから最適な均衡を求める「均衡選択」の問題には一般的なアルゴリズムが存在しない。企業戦略や経済政策に求められているのは、このように個々人の努力では解決できない均衡選択だ、というのが私の博士論文の結論である。構造改革とか制度設計という言葉に意味があるとすれば、こうした戦略的な決断であり、それは現在の日本経済においてはマクロ的な安定化政策よりもはるかに重要である。
NMEなどの音楽雑誌によれば、ほぼ一致して今年のベストCDは"Franz Ferdinand"だという。日本でも"Take Me Out"は一時よくラジオでかかったから、おなじみだろう。
個人的には、"SMiLE"やU2の新作なども気に入ったが、これらもベストCDのリストには入っているようだ。ところで、iPodのコマーシャルにも使われているU2の"Vertigo"のサビの部分って"You Keep Me Hanging On"の出だしにそっくりだと思うのだが・・・
個人的には、"SMiLE"やU2の新作なども気に入ったが、これらもベストCDのリストには入っているようだ。ところで、iPodのコマーシャルにも使われているU2の"Vertigo"のサビの部分って"You Keep Me Hanging On"の出だしにそっくりだと思うのだが・・・
ウクライナの大統領選挙で、ダイオキシンが話題になっている。日本でも、ゴミ焼却炉から出るダイオキシンには厳重な規制が行われているが、中西準子『環境リスク学』(日本評論社)によると、焼却炉から出るダイオキシンの環境リスクは、ほとんど無視できるレベルだという。大部分のダイオキシンは、過去の農薬汚染によるものであり、現在のダイオキシン規制の意味は疑わしい。
化学物質がどれだけ寿命を縮めるかという環境リスクを定量的に比較すると、ダイオキシンの1.3日に対して、喫煙は10年以上で、受動喫煙でさえ120日以上だ。リスクを最小化するという目的に関していえば、タバコを規制するほうがはるかに効果的である。
こういう調査結果を中西氏が初めて発表したときは、「市民団体」から抗議が殺到したという。その前、彼女が流域下水道を批判したときは、日本の学会誌には論文掲載を拒否され、東大の研究室では「村八分」にされて、彼女は助手を23年間やった。学問的な事実をありのまままに発表することが大きな犠牲をともなうことは、日本では珍しくない。
化学物質がどれだけ寿命を縮めるかという環境リスクを定量的に比較すると、ダイオキシンの1.3日に対して、喫煙は10年以上で、受動喫煙でさえ120日以上だ。リスクを最小化するという目的に関していえば、タバコを規制するほうがはるかに効果的である。
こういう調査結果を中西氏が初めて発表したときは、「市民団体」から抗議が殺到したという。その前、彼女が流域下水道を批判したときは、日本の学会誌には論文掲載を拒否され、東大の研究室では「村八分」にされて、彼女は助手を23年間やった。学問的な事実をありのまままに発表することが大きな犠牲をともなうことは、日本では珍しくない。
Economist誌の「今年のベスト経済書」に選ばれたのは、John RobertsのThe Modern Firm (Oxford U.P.)である。
内容は『組織の経済学』以後の企業理論をやさしく解説したもので、理論的にはあまり新味はないが、BP、ソニー、ノキアなどの具体的なケースでそういう理論を検証しているところは参考になる。特に、新しい企業組織の方向としてdisaggregationとかloose couplingなどの特徴をあげているところは、「モジュール化」の議論と通じるところがある。
内容は『組織の経済学』以後の企業理論をやさしく解説したもので、理論的にはあまり新味はないが、BP、ソニー、ノキアなどの具体的なケースでそういう理論を検証しているところは参考になる。特に、新しい企業組織の方向としてdisaggregationとかloose couplingなどの特徴をあげているところは、「モジュール化」の議論と通じるところがある。
ワシントン・ポストの"Filter"コラムに、今年のITニュースのランキングが出ている。
それによれば、今年の主役はGoogleで、脇役はFirefoxとiPodというところらしいが、来年はこれらがすべて「真の主役」マイクロソフトの挑戦を受ける年になるだろう。
それによれば、今年の主役はGoogleで、脇役はFirefoxとiPodというところらしいが、来年はこれらがすべて「真の主役」マイクロソフトの挑戦を受ける年になるだろう。
「おわび特番」のあとも、NHKへの批判は収まる気配がない。当初は不正経理への批判だったものが、だんだん海老沢会長個人への怒りに変わっているようだ。彼が「ジャーナリスト」にはとても見えないことが、NHKの「いやな体質」を体現しているように見られるのだろう。
しかし、あえて海老沢氏の立場に立って弁明すると、これは彼が悪いのではない。民放各社も、同じようなものだ。これまでの放送業界では、電波を取ることが最大の利益の源泉だったので、その専門家である政治部記者が経営を行うのは当然だ。NHKの総務省記者クラブには、記者が2人いる。1人は原稿を書く記者で、もう1人は「波取り記者」とよばれるロビイストだ。海老沢氏は、後者のエキスパートとして出世した。彼は、もともとジャーナリストではないのである。
これは新聞も同じだ。かつては新聞とテレビは独立だったが、田中角栄が新聞とテレビを系列化したため、電波利権の配分を通じて自民党が新聞社をコントロールするしくみができてしまった(この系列化にもっとも熱心だったのが朝日新聞だ)。日本の電波政策が先進国でもっとも遅れている原因はこのタブーにあり、また「封建的」な電波政策がこうしたタブーを温存しているのだ。海老沢氏をたたくだけでは、根本問題は解決しない。
海老沢氏への攻撃がやまない背景には、これまで彼の後ろ盾だった野中広務氏が引退し、橋本派の力が落ちたことも影響しているのだろう。派閥の盛衰と運命をともにするのは、派閥記者の宿命だ。
しかし、あえて海老沢氏の立場に立って弁明すると、これは彼が悪いのではない。民放各社も、同じようなものだ。これまでの放送業界では、電波を取ることが最大の利益の源泉だったので、その専門家である政治部記者が経営を行うのは当然だ。NHKの総務省記者クラブには、記者が2人いる。1人は原稿を書く記者で、もう1人は「波取り記者」とよばれるロビイストだ。海老沢氏は、後者のエキスパートとして出世した。彼は、もともとジャーナリストではないのである。
これは新聞も同じだ。かつては新聞とテレビは独立だったが、田中角栄が新聞とテレビを系列化したため、電波利権の配分を通じて自民党が新聞社をコントロールするしくみができてしまった(この系列化にもっとも熱心だったのが朝日新聞だ)。日本の電波政策が先進国でもっとも遅れている原因はこのタブーにあり、また「封建的」な電波政策がこうしたタブーを温存しているのだ。海老沢氏をたたくだけでは、根本問題は解決しない。
海老沢氏への攻撃がやまない背景には、これまで彼の後ろ盾だった野中広務氏が引退し、橋本派の力が落ちたことも影響しているのだろう。派閥の盛衰と運命をともにするのは、派閥記者の宿命だ。
日立の首脳が「当社は組み合わせではなく、すり合わせで行く」という戦略を発表したらしい。藤本隆宏氏などの主張している「アーキテクチャ決定論」が、現実の経営判断に影響を及ぼしつつあるという点で、これは由々しき問題だ。
私は、日立の技術者とも意見交換をする機会を何度ももったが、「官公需」に依存しているその体質を脱却しなければ未来はない、という点で現場の意見は一致している。今回の経営判断には、そういう現場の声がまったく反映されていない。
しかも、この「理論武装」になっているのが、学問的には疑わしい藤本氏の決定論だ。これは経産省の官僚にも絶大な影響を与えているようだが、経済学的な論理はない。私の博士論文は、こういう決定論への反論として書いたつもりである。
生放送の「謝罪」番組を見た。同じ話の繰り返しばかりなので、途中で風呂に入ったが、風呂から上がっても同じ話をしていた。「有識者」がNHKへの「信頼が失われた」と批判し、会長が頭を下げるだけだ。
私は今度の着服事件がそれほど「構造的」なものだとは思わないが、これは受信料制度を考え直すいいきっかけだ。今回のCPがやっていたような演芸番組まで、受信料で制作する必要があるのか。災害報道など、最低限度の公共放送が必要だとしても、それは24時間ニュースが1チャンネルあれば十分だろう。NHKが(テレビ・ラジオ・衛星あわせて)11チャンネルも持つ必要があるのか。
そういう具体的な経営問題は出てこないで、批判する側も答える側も精神論ばかり。目新しかったのは、経営委員の話が無内容で、その実態が会長の下請けにすぎないことが明るみに出たことぐらいか。
IBMのPC事業売却には、「IBMも落ちぶれたものだ」といった否定的なコメントが多いが、たぶんこれは違うだろう。NYタイムズも書いているように、これはむしろIBMの中国進出の足がかりであり、今後ハイテク業界が「米中対決」になることを予感させる。
IBMのCEOパルミサーノがいうように、今後のIT業界は「高付加価値・高価格」の企業むけビジネスと「大量生産・低価格」の消費者むけビジネスに二分されるだろう。IBMが前者の道を選びつつ、Lenovoの筆頭株主として後者のオプションも確保した戦略的判断は、的確だと思う。
問題は、日本にこういう決断のできる企業がないことだ。いつまでも「総合電機メーカー」にこだわっていると、日本は米中の谷間に埋もれるおそれが強い。
The Economistは、世界でもっとも影響力のある雑誌として知られている。発行部数は、全世界で100万部程度にすぎないが、ビル・ゲイツが「私は新聞は読まない。Economistだけを読んでいる」といったように、世界のリーダーのほとんどは読んでいるだろう。その愛読している雑誌が反トラスト法訴訟で司法省を支持したときは、ゲイツが投書欄に投稿したほどだ。
そのEconomist誌が、「カルチュラル・スタディーズ」などによって同誌がどう評されているかを紹介している。「男性中心で、グローバリゼーションを賞賛する資本主義のイデオローグ」というところらしい。まあこんなことは「脱構築」しなくてもいえる。
同誌がこの種の分析を嘲笑しているのは当然として、不可解なのはイラク戦争への対応だ。個別の記事を読むと、ブッシュ政権の情報収集にも意思決定にも問題があったとしているのに、いまだに米国支持の態度は変えない。それでいて、米大統領選ではケリーを支持した。内部でも、意見の対立があったのだろう。
税制改正大綱が発表され、いよいよ増税時代が始まった。しかし、この程度の増税では「2010年代初めにプライマリー・バランスの黒字化」という控えめな目標も達成できない。今後は、消費税を10%台にし、公共事業を大幅に削減するなどの抜本改革が必要だ。
この処方箋として、よくいわれるのが「官邸の機能強化」だが、問題はそういう集権化だけでは解決しない。そもそも今の法律の体系が各省ごとに縦割りの「業法」になっており、しかも複雑に相互依存しているため、一つの法律を改正しようとすると、何十もの関連法を変えなければならない。
ソフトウェアにたとえていえば、日本の法律は昔のCOBOLで書かれたプログラムのようにGOTOコマンドでスパゲティ状にからまっており、書いた官僚しかわからないようになっているのだ。規制改革で官僚が強い拒否権をもつのも、彼らが立法機能を事実上もっているからだ。
青木・鶴編『日本の財政改革』(東洋経済)は、こうした「国のかたち」を官僚機構の「モジュール化」で是正する改革を提案している。いわば、法律をC++で書き直そうというわけだ。しかし青木氏は、今年3月にRIETIの所長を辞任し、本書の執筆者も半分以上がRIETIを去った。この事実が、改革のむずかしさを何よりも示している。
私の博士論文が完成した。
これを読んだ人から「MOT(技術経営)の教科書としても使えるのではないか」といわれた。MOTとは何のことか、よく知らなかったのだが、「技術をどう管理するか」「どういう技術にどういう組織が望ましいか」といった話だとすると、私の論文は情報技術に関するMOTの理論と、その政策への応用といえる。
本屋でMOTの本をパラパラみると、昔のMBAの教科書みたいに、ケース(それも成功例だけ)がやたらに並んでいて、論理がない。MBAのコースでも、最近はゲーム理論などの基礎を重視するようになったようだから、MOTにもこういう基礎理論が必要なのではないか。
孫正義氏が、週刊ダイヤモンドのインタビューで「NTTのインフラをゼロ種会社に分離すべきだ」と主張している。このような「水平分離」は、3年前から林紘一郎氏や私が主張してきたことだ。
しかし孫氏の主張は、ゼロ種会社を光ファイバーも含めてNTTから完全に分離し、政府保証で資金調達するという「国営化」に近い考え方だ。電電公社として敷設した銅線はともかく、NTTが民間企業として投資している光ファイバーまで国営化するのは、民にできることは民でやるという規制改革の流れに逆行する。また光ファイバーはNTTの独占ではないので、これから設備ベースの競争を促進したほうがよい。
山田肇氏との共同論文で私が主張したのは、既存のローカルループ(銅線)だけをループ会社(LoopCo)として分離して「開放義務」をこれに限定し、それ以外のNTTへの規制は撤廃するという案だ。これによってNTTは、LoopCoを分離すれば経営形態を自由に決めることができる。こういう政策はFCCでも検討されており、LoopCoの分離を申し出た地域電話会社もあるという。
週刊ダイヤモンドの「経済書ベスト30」が発表された。第1位は、なんと『虚妄の成果主義』だ。
このアンケートは私にも来たが、今年は評価すべき(日本語の)経済書が1冊もなかったので、返事を出さなかった。このアンケートでは、過去にも『市場主義の終焉』や『反グローバリズム』が第1位になっている。共通点は、「グローバル」な「市場」や「効率」に対する反感が、基本的な経済理論も踏まえないで「実感的」に表明されていることだ。
こういう本が「エコノミスト」を自称する人々にも支持されるというのは、マルクスからケインズに至る「設計主義」の伝統が、日本にまだ根強いことを示している。まあ「読んではいけない」本のランキングと思えばいいのだろう。
ソフトバンクの孫社長が、渡米してUSTRやFCCに周波数問題で「外圧」を要請したという。
こういう手法を批判する人も多いが、これはかつて通産省が日米構造協議などでよく使った手だ。大店法の廃止などは、トイザらスにからめて米国政府を動かし、国内の抵抗を押し切った。奈良でトイザらスが開店したときは、当時のブッシュ大統領(父)が視察に行った。外圧が、日本の消費者の利益と一致していればかまわない。
他方、接続料問題などは、USTRに日本のNCCのどこかが変な情報を吹き込んでこじれた。初期のUSTRの対日要求には、日本国内の長距離電話の接続料が「インターネットの普及を阻害している」という意味不明の話があり、これはさすがに批判をあびたが、わけのわからない交渉が2000年の沖縄サミットの直前まで続いた。
今回の問題は、孫氏がどういう外圧を求めているのか、よくわからないことだ。「日本も周波数オークションをやれ」という要求なら歓迎だが、「ソフトバンクを参入させろ」という外圧はありえないだろう。
来年1月、新しいNPOを立ち上げる準備を進めている。
昨日もあるパーティで、3人の人から「日本にもブルッキングスのような研究所が必要だ」といわれた。自民党には民主党という競争相手が(おぼつかないながらも)育ってきたが、霞ヶ関の競争相手はまったく育っていない。これが日本経済が立ち直れない最大の原因である。
このNPOは、ブルッキングスに比較できるような大それたものではないが、ともかくも役所から独立した研究者と民間企業が交流する「場」として設けるものだ。まだくわしい活動内容は固まっていないが、追い追いこのblogでもお伝えする。