レイフォン・サイハーデンは武芸者である。
今年十五歳になる彼の実力は、上の下。
個人の戦闘能力としては上々で、組織の一員としては非常に使い勝手がよい。
超至近距離の戦闘もそつなくこなすし、長距離からの支援攻撃もそこそこ出来る。
何処で覚えたか不明だが、鋼糸を使った幼生体の虐殺なんて事まで出来るのだ。
だが、その真価を発揮するのはやはり刀を使った接近戦。
サイハーデンの名を僅か十二歳で受け継いだその実力は、驚愕することはないが賞賛されていた。
だが、一部隊の指揮官としてはまだ経験不足もあり未知数だ。
それでも、汚染獣との遭遇確率が極めて高いグレンダンという都市において、その実力は遺憾なく発揮されている。
流石に老性体に一人で挑めとか言ったら瞬殺されるだろうけれど、雄性体一期までなら一人でも十分に戦える実力を持っているのだ。
そんなレイフォン・サイハーデンは孤児院の運営資金を稼ぐために今日も戦っていた。
そう。戦っていたのだ。
「あれ?」
戦っていたのだが、気が付けば周りから仲間の姿が消えていた。
これはたまにあることなので気にしてはいけない。
何故たまにあるかと聞かれると、それは簡単。
「また、念威端子が故障したかな?」
そう。レイフォンに張り付いているはずの念威端子は、一年の間に二度ほど故障してその役目を果たさなくなるのだ。
始めの時はおおいに慌てた物だが、いい加減に五度目ともなるとなれるのが人の常。
何時もならグレンダンの方に走れば事足りる。
レイフォンが慣れたと同じだけ、仲間の方も慣れているのだ。
おそらく彼らもグレンダンの方に移動してレイフォンを待ってくれているはずだ。
戦闘も終演に向かいつつあることだし、みんなグレンダンの側でレイフォンを待っているに違いない。
その結論に達したレイフォンが踵を返そうとしたのだが。
今日は少しだけ様子がおかしかった。
「! あ、あれは!」
今日の汚染獣は大盤振る舞いだった。
幼生体五千。
雄性体一期三十八。
雄性体二期十九。
雄性体三期八。
雄性体四期三。
雄性体五期二。
そして止めとばかりに、老性体一期が三。
念押しとばかりに、老性体二期以降が三。
はっきり言って、グレンダン以外の都市だったら瞬殺されている戦力だ。
だが、そこはそれ。
天剣授受者九人が出撃して、老性体を始末に掛かっている。
もちろんレイフォンだって頑張って戦っているのだが、所詮一般武芸者と天剣授受者では天地の実力差がある。
それは問題無い。
老性体の全てが駆逐され、ついでに雄性体五期と四期も始末された戦場で、残りはそれほど多くない。
そう。問題なのは、柄の長さが三メルトル。その柄の先に一メルトルの直径の頭を持った、目標をたたきつぶすことだけに特化した白銀に耀くハンマーの形をした錬金鋼。
それを持つ小柄と言って良い身体を視界に納めてしまった事の方だ。
別段身体が大きければ武芸者として優秀という訳ではない。小柄だと言って無能だという訳でもない。
問題なのはその身体に宿る剄脈の総量だ。
だから小柄なのは問題無い。
ヴォルフシュテインと背中に書かれた、汚染物質遮断スーツに比べたら、何の問題も無いのだ。
「リーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノール」
その人物の名を、震える唇が紡ぐ。
戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見た者には、死が待っている。
戦場伝説としてそう語られているのだ。
実際に殺された人と会ったことはないし、その同僚とも遭遇したことはない。
だが、往々にして戦場伝説とは何らかの真実を含んでいる物だ。
それを認識しているからこそ、レイフォンは慎重に後ずさる。
決してヴォルフシュテイン卿から視線をそらせてはいけないのだ。
汚染獣の襲撃を背中から受けることがあったとしても、それを見ずに撃退しなければならないのだ。
視線を外した瞬間、死んでしまうから。
目の前で、巨大なハンマーを使い雄性体の三期らしいやつの頭を景気よく潰している天剣授受者に比べたら、他の汚染獣なんて雑魚でしかないから。
そして慎重に間合いを計ること一分。
やっと安全圏に脱出できたと思えたのだが。
「!! ひっぃぃ!」
いきなり今まで感じたことのない悪寒から逃げるために、大地へとその身を投げ出す。
直後、轟音を立てて何かが上空を通過したような気がする。
巻き上げられた土煙から判断しても、おそらく間違いない。
驚愕のために心臓がダッシュをしているが、何とか生き延びる事が出来た事に安堵している内に、辺り一面を席巻していた土煙が晴れて行く。
恐る恐ると頭を上げてみると、二本の足らしき物があった。
付近に他の武芸者がいなかった事は確認済み。
自分の足がそこに立っているなどと言う事もない。
汚染獣がこんな足をしているはずはない。
残る確率は一つだけ。
「あれ? 君って誰?」
同年代くらいの少女の声がかけられた。
今まさに、必殺の攻撃をしてきたにもかかわらず、その声はどことなく良い運動をした満足感に満ちているような気がする。
きっと気のせいではない。
そして声をかけてきた人物とは、もちろんリーリン・ヴォルフシュテイン・ユートノールその人である。
ここで名前を覚えられるのはあまり好ましくないと、そんな気がしてならない。
レイフォンのこの手の直感は外れたことがないのだ。
「あ、あの。少々迷子になってしまった間抜けな武芸者で御座います」
「へえ。そうなんだ」
どうやら、さほどの興味を引かずに済んだようだ。
ゆっくりと立ち上がり、慎重に間合いを取りつつグレンダン目がけでダッシュするタイミングを見計らう。
関わっては駄目なのだ。
サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスと同じくらいに危険な天剣授受者。
そう言う認識がグレンダン武芸者の中で確立している。
だが!
「どっこん♪」
「ひぃぃぃ!」
いきなりだった。
何の前触れもなく間合いの計り合いも無しに、いきなり巨大なハンマーがレイフォンの頭頂部へと振り下ろされたのだ。
辺りを支配する轟音と衝撃波。
当然、渾身の力を振り絞って回避したのだが、はっきりと寿命が縮んでしまった。
具体的に言うと三年二ヶ月くらい。
「う、うふふふふふふふふ」
何故か楽しそうに笑うヴォルフシュテイン卿。
バイザー越しで視線を確認できないのは、良いことなのか悪いことなのか。
取り敢えず抗議をしておきたいところではある。
「い、いきなり何を?」
「うふふふふふ。なんだか、避ける仕草が可愛かったから、つい」
とても物騒なことをおっしゃるヴォルフシュテイン卿。
表情は見えないはずなのに、舌なめずりをするところを容易に想像できてしまったりする。
兎に角、抗議も終わったので逃げようとしたのだが。
「ねえ君」
「は、はい?」
逃げるタイミングを逸してしまったようだ。
これ以上ないくらいにやばい予感が、全身にみなぎってきてしまうくらいに、危険極まりない。
「そこに雑魚が一匹残っているから始末しておいてね♪」
「ざ、雑魚ですか?」
雑魚と言うからには幼生体の生き残りとか、せいぜいが雄性体の一期くらいだろうと判断する。
雄性体は雑魚では済まされないのだが、天剣授受者にとっては間違いなく雑魚だ。
まあ、それくらいの危険でこの場を逃れられるのならば、収支は著しく黒字だと判断した。
「かまいませんよ」
「じゃあよろしくね」
そう言うと、旋剄を使って戦場から離脱するヴォルフシュテイン卿。
そして、振り返り理解した。
天剣授受者とははっきりと化け物の集団なのだと。
「ど、何処が雑魚なんだ?」
その複眼でレイフォンをにらみ据えているのは、雄性体の二期にしか見えない巨大な汚染獣。
はっきり言ってレイフォンの許容量をオーバーしている。
「お、落ち着くんだ。僕がここで戦っていることは念威繰者が確認しているはずだ」
レイフォンの側にあるはずの端子は故障しているが、グレンダンには天剣授受者の中で良識派と呼ばれるデルボネがいる。
彼女ならば少々距離のあるグレンダンからでも、ここを探知していてくれるはずだ。
そうなれば応援が来るのも時間の問題。
仲間が駆けつけてくれるまで持ちこたえることが出来れば、はっきり言って勝ち戦だ。
だが!
「へえ。彼がそうなのですか?」
「ええ。避ける姿がとっても可愛いの」
背後からそんな声がした。
恐る恐る振り返ると。
口の部分に何か細工が施されているらしい遮断スーツを着た長身の男性と、先ほど立ち去ったはずのヴォルフシュテイン卿がいるような気がする。
脳内で高速検索。
結論はすぐに出た。
いや。一目見る前からおおよそ見当は付いていたのだ。
「クォルラフィン卿?」
「やあ。面白い武芸者がいるって言うのでね、老性体と遊んだ帰りに寄ってみたんだよ」
老性体と遊べるという神経がまず信じられないが、実際に遊び感覚だったのだろう。
熱狂的戦闘愛好家であるクォルラフィン卿ならば、十分にあり得る。
「さあ。君の力を僕にも見せてくれ給え。大丈夫だよ。きっと死にかければ未知なる力に目覚めるから」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
天剣授受者が後見人だと思えば、これ以上ないくらいに心強いのだが、この場にいる二人ならばきっと死ぬまで手を出さないだろう。
そう言う核心がある。
「ほら。前見ないと危ないわよ?」
「どわぁぁぁぁん!」
天剣授受者二人に気を取られていて反応が遅れたが、雄性体二期の攻撃がレイフォンを襲う。
それを紙一重で避けつつ、とっさに刀を振り攻撃を打ち込む。
精神的な動揺とは別に、身体はきっちりと仕事をこなし、有効打をこつこつと送り込む。
幼生体くらいならば今の一連の攻撃で仕留められただろうが、残念なことに相手は雄性体二期。
与えた程度の攻撃でどうにかなる訳ではない。
「成る程。なかなか良い動きですね」
「でしょうでしょう?」
なんだか後ろの二人は喜んでいるが、レイフォンはそれどころではない。
普段使わない頭を必死に使って、生き残る道を探す。
天剣中でもっとも危険な二人が居る以上、仲間が来ることは殆ど考えられない。
誰だって自分の命が惜しいのだ。
グレンダンに向かって逃走するというのもおそらく無理だ。
水鏡渡りは旋剄を超える超高速移動だが、相手は天剣授受者だ。
間違いなく途中で追いつかれる。
追いつかれたらおそらく命はない。
残る選択肢はただ一つ。
目の前のやつを何とかする。
はっきり言ってレイフォンの実力を超えているのだが、やるしかないのだ。
「ええい! こうなればやけだ!」
戦場でヴォルフシュテイン卿の背中を見たら死ぬ。
その本当の意味はもしかしたら、今レイフォンが遭遇している状況なのではないかと思うのだが、もはや逃げることは出来ないのだ。
ならば全力を持って戦い、生きて帰るしかない。
「僕には死ねない理由があるんだ! お前なんかに殺されてたまるか!」
「そうだ! その意気込みで僕とも殺し合おう!」
「ああ素敵! やっぱり君ってとっても素敵!」
外野がうるさいが、目の前の敵に集中し始めたレイフォンにはもう関係がない。
そして刀争が始まる。
戦いは三日三晩続いた。
そして驚いたことに、レイフォンは生き残ることが出来た。
しかも、ほぼ単独で雄性体二期を始末することが出来た。
奇跡の勝利だと断言できる。
「はあ」
グレンダンから仲間がやってきて、戦い終わり精根尽き果てたレイフォンを回収してくれた。
そうでなければのたれ死んでいただろう。
回収された時には既に眠っていたようだし。
天剣授受者二人は、終わる頃には飽きていたのか姿が消えていたそうだ。
グレンダンに辿り着いてもなお、二日二晩眠り続けていたそうだ。
身体が動くようになるまでに、更に五日ほどかかった。
そんなこんなで、やく十日ぶりに家に帰り着くことが出来た。
再び帰ることが出来たことに、誰かに向かって感謝したいくらいだ。
「ただいま?」
玄関の扉を開けて、踏み出しかけた足が空中で急停止。
目の前にある物がなんなのか、映像を脳内で処理する。
何かの団子のように見える。
まだら模様というか、脈絡のない色使いをしている。
「ああ! 兄ちゃんだ」
「お帰り兄ちゃん」
弟と妹の声がするところを見ると、目の前の物体の構成物質には人間が混ざっているようだ。
だが、なんだかおかしい。
何時もなら目の前の構成要因の一部になっているのは、レイフォン自身のはずだ。
一番下にしかれて瀕死の状態で助け出されるのが、戦い終わって帰って来たレイフォンを迎える儀式のはずだ。
外から見ると、なんだか壮絶な儀式ではあるが、それでも生きて帰ったことを実感できる。
「誰?」
問題なのは、レイフォンではない誰かが儀式の犠牲者になっていると言う事だ。
細く白い手が助けを求めるように、パタパタと動いているような気がする。
犠牲者は女性らしい。
ここを訪れる女性のリストを作る。
だが、そのリストの中に目の前で動いている手の持ち主はいない。
何故かと問われるのならば、その手は間違いなく武芸者の物だからだ。
しっかりと鍛えられて、掌が硬くなっているし、剄の輝きも見える。
そこまで考えてから、間違いに気がついた。
「その前に助けないと」
思わず詮索することを優先してしまって、助けるという最も早くやらなければならないことを怠ってしまったのだ。
普段ならやらない間違いなのだが、なぜだか助けてはいけないような気がするのだ。
きっと気のせいだけれど。
「ほらどいて。こら! 僕に抱きつくんじゃないの」
標的をレイフォンに移そうとする子供達を捌きつつ、順繰りにどけて行く。
そして思う。
「悪夢だ」
大勢の子供の下から現れたのは、ややくすんだ金髪を持った同年代の少女。
右目に眼帯をしていることも確認した。
子供達に押しつぶされかけて皺だらけになっているが、とても仕立ての良さそうな服を着て剣帯に錬金鋼をいくつか差している。
間違いなく武芸者だ。
しかも良く知っている。
そして、こんなところにいていい人でないことも間違いない。
再び子供達の下敷きにして、全力でグレンダンから逃げ出すべきかも知れないと思ったが。
「いやぁ。助かったわ。有り難うレイフォン」
朗らかに笑いつつ何故か名前を呼ばれた。
まあ、それは当然かも知れない。
雄性体二期とやり合って勝ったのだ。
その功績は評価されているだろうし、そうなれば名前が分からない訳無いのだ。
報奨金を放棄してでも名無しの武芸者で通したかったのだが、生憎と周りがそれを許してくれなかったのだ。
人身御供というか生け贄というか。
「い、いえ。ご無事で何よりですヴォ」
いきなり唇に人差し指が当てられた。
もちろんレイフォンの唇にだ。
そして、すぐ目の前に眼帯と左目が現れた。
超接近戦がお望みの様だ。
「リーリン・マーフェスよ? もう忘れたのレイフォン?」
とても親しそうな口調でそう言うのだ。
つまりは、秘密にしろと言うことなのだろう。
有名人なので無駄だと思うのだが、従わないという選択肢を選んだ場合、天剣授受者と戦わなければならない。
勝てるはずのない戦いに挑むという精神構造は、レイフォンの中にはないのだ。
「う、うん。ちょっと忘れていたかも知れない」
取り敢えず従う方向で話を進める。
ただ問題なのは、何故こんなところにいるかと言う事だ。
ここはレイフォンの家と言える孤児院で、ヴォルフシュテイン卿が興味を持ちそうな物は無い。
レイフォンを覗いて。
「ま、さか」
「うふふふふふ」
どうやら最悪の予測が当たっているようで、にこやかに笑うヴォルフシュテイン卿。
その視線は激しい熱とあふれる湿気に満たされ、じっとりとレイフォンを見つめている。
恋する視線だったとしたら非常に迷惑な話だが、明らかに違う。
言うなれば、獲物をいたぶって楽しむ猫の視線かも知れない。
今の状況に比べたのならば、王家の人間に恋されるという迷惑の方が、まだましかも知れない。
レイフォンがそんなことを考えている間に、ヴォルフシュテイン卿の右手が剣帯に伸びているのだ。
天剣は持ってきていないようだが、例え素手でも一般武芸者を瞬殺することくらい訳ないのが天剣授受者だ。
なので、レイフォンのとれる行動はただ一つ。
ゆっくりと後ずさる。
逃げるという選択肢も存在していないのだが、それでも後ずさってしまう。
一秒でも長く生きるために。
そして、ふと、後ろに何か気配を感じた。
「い?」
振り向いてみた。
それが寿命を縮めることだと知っていたのだが、それでも確認してみたかったのだ。
あまりにも良く知っている気配だったから。
「レイフォン」
何故か刀を復元した父であるデルクがいるのだ。
非常に攻撃的な剄をみなぎらせて。
技的には逆捻子か鎌首だろう事が予測できるが、今の体制で避けきる自信は全く無い。
「リーリン殿に言い寄って関係を結んだそうだな」
「い?」
「いかにリーリン殿がお許しになろうと、私はお前を許さん! 今この場で成敗してくれる!」
どういう理由でそんな事になったのか甚だ疑問ではあるが、それでも弁明一つせずに殺されたのでは溜まったものでは無い。
それ以前に、ヴォルフシュテイン卿を押し倒すなどと言う行為が出来るほど、レイフォン・サイハーデンは優秀な武芸者ではないはずだ。
更に基本的な事実として、レイフォンの様になると近所の男の子が言えば、それはつまり、自分に好意を持ってくれている女の子を、合意の上でも押し倒せないヘタレになるという意味だ。
そんなヘタレのレイフォンが、天剣授受者で王家の人間に迫り関係を結ぶ。
それはこの世が終わるまでに一度起これば多い程度の確率でしかないのだと言う事を、デルクにはきっちりと知っておいてほしかった。
そんな抗議の意志を込めて、レイフォンも刀を復元しようとして。
「じょっきん♪」
「ひぃぃぃぃん」
突如首筋に感じた寒気から逃げるために、思い切ってデルクに抱きつく様に前に飛び出す。
頭の上で金属同士がこすれる音が聞こえたような気がするし、髪の毛が何本か切られたような気もするが、取り敢えずまだ生きている。
そして、恐る恐ると上を見上げて。
「鋏?」
全長二メルトルになろうかという、巨大と呼ぶにはあまりにも大きな鋏が、視線の先で停止している。
もちろんその鋏の取っ手を持っているのは、先ほど子供達の下敷きになり助けを求めていた、白くて細い手だ。
「うふふふふふふふふふ」
何故か非常に楽しそうに笑うヴォルフシュテイン卿。
今にもよだれを垂らさんばかりに、お喜びになられている。
「リーリン殿?」
「どうせ切るんだったら自分でやった方が気持ちいいですから」
デルクの問いにそう答えているところを見ると、やはり目的はレイフォンの命だったようだ。
あまりにも大きな問題を前に、レイフォンの思考は急停止。
やはり、ここには帰らずにグレンダンを逃げ出すべきだったかも知れないと思わなくも無いが、既に遅い。
「まあ、さっきのは冗談ですよ。私が関係を結ぶとしたらそれなりの人ですから」
「そ、そうでしたか。いや。そうとは知らず見苦しいところをお見せいたしましたな」
レイフォンを抜きにして会話が弾んでいる。
取り敢えず子供達の方を見ると、何故か楽しそうに笑っている。
拍手しているのもいたりする。
きっと何かのコントだと思ったのだ。
命がけだけれど。
「それで本題なんですけれど」
突然、後ろにしゃがんで視線を合わせるヴォルフシュテイン卿。
レイフォンの命を狙う以外に、何か用事があるようだ。
「何でしょうか?」
「天剣授受者に挑んでみない?」
「挑みません」
即答である。
武芸者ならば誰でも一度は目指す天剣授受者の座。
それに届かないことが分かったとしても、それでも諦めきれずに鍛錬を続けるのが普通である。
だが、レイフォンは少し違う。
生まれ持った才能だろうが、剄の動きをその目で捉えることが出来るのだ。
だから、一度見た技の殆どをかなりの確率で会得することが出来る。
千人衝や咆剄殺も威力には天地の開きがあるが、それでも再現できるのだ。
鋼糸だけはかなり苦労したが、それでも何とか幼生体くらいになら使えるレベルになっている。
千体を超えるような事態には当然対応できないけれど。
その剄の流れを見ることが出来るという能力のために、実力差を誰よりも正確に知ることが出来るのだ。
そしてそれは諦めにつながってしまった。
「何故だレイフォン? お前ならば挑戦するに不足はあるまい?」
「有るよ!」
認識がずれているのか、それともレイフォンの事を過大評価しているのか、デルクがなにやら残念そうにそう言うのだ。
と、ここで子供達が大勢こちらを見ていることに気が付く。
レイフォンが天剣授受者になるところを想像しているようで、みんなの瞳がキラキラと輝いている。
非常に迷惑な期待だと言わざる終えない。
「二人ともこっち!」
ヴォルフシュテイン卿とデルクの手を引き、併設されている道場へと引っ張る。
これ以上は一般人に聞かせることは拙いと判断したのだ。
子供達の喜ぶ姿をこれ以上見たくないという、レイフォンの事情もあるけれど。
「あのですね。僕はそれなりには優秀な武芸者です」
道場に到着して扉を閉めて、二人が座るのを待ってから話を始める。
当然誰も覗いてない事を常に確認しつつだ。
「平均的なグレンダンの武芸者の剄量を百とすると、父さんの最盛期でおおよそ百八十から二百」
物心ついた時に既に引退していたデルクだが、聞いた話や今の状況から推測するとこの程度の数値になる。
「それで、僕の剄量が今のところ二百程度」
これは恐らく、客観的にも正しいはずだ。
よく一緒の隊になる武芸者の意見も聞いたところで、多分間違いない。
「それで、ヴォルフシュテイン卿を始めとする天剣授受者なんだけれど、おおよそ一万から一万二千」
これも恐らくかなり正確な数字のはずだ。
目の前のヴォルフシュテイン卿から感じる剄量も、おおよそこの範囲に落ち着くのだ。
「つまり、僕は五十倍くらいの剄量がないと天剣にはなれないんですよ」
五倍だったら将来的には勝てるかも知れないし、三倍だったら今でも何とか互角には戦えるはずだ。
だが、五十倍以上となると話は全く違うのだ。
雄性体二期を雑魚と呼ぶような化け物に挑んで、怪我をするような真似は出来ないのだ。
「へえ。そうなんだ」
「う、うむ。そうであったのか」
二人からは、ややずれた反応しか返ってこない。
もしかしなくても、過大評価していたのだろう。
非常に迷惑な話だ。
特に、何時も一緒にいるデルクがきちんと評価してくれていなかったことに、少々では済まない驚きを覚えてしまっていた。
「剄量だけが問題なんだ」
「い、いや。それはまあ、技量だけならそこそこの自信はありますけれど、絶対的に剄量がたりませんよ」
ヴォルフシュテイン卿が、なにやらにやりと笑ったような気がしたのだが、気のせいであって欲しい。
そもそも、武芸者の本質とは剄脈だ。
武芸者とは呼吸する剄脈と言えるほどなのだ。
その剄脈が小さいと言う事は、それだけで武芸者として失格と言う事になると言えるほどに、重要なのだ。
それを理解していないとは思えないのだが、なんだか非常に怖い。
「う、うむ。技量だけならば天剣になれたのか。だが、剄量が足らなければ意味はないな」
デルクの方はきっちりと理解してくれたようだ。
かなり嬉しい。
「成る程ね。うんうん」
なにやら納得しているヴォルフシュテイン卿がかなり怖いが、取り敢えず理解してくれたようでこちらも嬉しい。
「そのような訳で、天剣に挑むなんて論外です」
これで、ただの武芸者に戻ることが出来る。
そう思ったのだが。
「別になる必要なんか無いのよ? 挑むだけで」
「絶対に嫌です」
ヴォルフシュテイン卿とかクォルラフィン卿なんかに挑んで、毎日命の危機に陥っていてはやっていられない。
「ええええ! 避ける姿がこれ以上ないくらいに可愛いのに?」
「止めて下さい!」
これは非常に拙いかも知れない。
レイフォンの危機感知本能とも呼べる場所が、今までに聞いたことの無いほど大きな警報を鳴らしている。
鳴っているだけできっと無駄だけれど。
「うんうん。天剣に挑むくらいの武芸者なら、レイフォンに可愛く避けられるくらいの実力が必要よね」
「どんな実力ですか!」
なにやら非常に怖いことになりつつあることだけは、間違いない。
解決することも回避することも出来ないけれど。
「うんうん。第一選考基準に加えておくわね」
「お願いですから止めて下さい」
相手はユートノール家の一人娘だ。
天剣授受者に挑戦する条件に、本当にレイフォン絡みの項目を追加しかねない。
と言うよりも、本気だ。
「じゃあ、今日はこれで帰りますね」
「二度と来ないで頂けると嬉しいんですけれど」
「あら? 私をあんなに燃え上がらせたのにそんなことを言うのは、この口かしら?」
何時の間にか復元されていたおろし金の角が口の中に押し込まれていた。
これはかなり不味い。
「と、とんでも御座いません! 何時如何なる時でも我が孤児院はヴォルフシュテイン卿のご来訪を心よりお待ちしております!」
デルクが平身低頭している。
残念ながら、今を生き延びる手立ては他にない。
非常に残念ではあるが。
「でしょうでしょう?」
とても嬉しそうにおろし金を待機状態に戻したヴォルフシュテイン卿が、道場を去っていった。
後に残るのは脱力したデルクと、これからの人生に恐怖を覚えているレイフォンだけだった。
後書きに変えて。
はい。復活以外のレギオス作品です。
事の発端は、レイフォンがリーリンに茨の鞭で打たれなければどうなっただろうという疑問からでした。
結局打たれてしまいそうですけれどね。
正直こんなのを書いている暇があったら、復活を書けと思うんですが、なんだか微妙にノリノリで書いてしまいました。
おかげで執筆計画に一週間から十日の遅れが。
ちなみに超槍殻都市グレンダンは、二話か三話の構成の予定です。
次の更新がいつになるか分からないのが問題ではありますが。