2010年04月01日

無くなると、憐れまれる

 ("哀れに思われる"って書くのがだるいので、動詞化して"哀れまれる"と表記)
 うん、人間て単純で、或るものがどんなに憎かろうと、無くなる(亡くなる)と、一転して哀れな扱いを受ける。
 もちろん―かつてカリスマ性があったとか、親類だったとか、自分が尊敬していたレベルが高ければ高いほど、哀れまれますが、いくら犯罪者でも、死亡したとなると少しばかり哀れまれる。

 例えば―マイケル・ジャクソンとか。死ぬ間際は大変でしたね。ネ○ーランドの話とか、男子に性的な悪戯をしたとか。あ、それ古い…?
 最終公演の直前で死ぬとか、よくよく考えれば出来すぎた話。最終公演として演じるなら、それはチケットを入手できた人だけ。映画化すれば全世界の(映画館をもつ)国に広められ、より多くの人に見せることが出来る。
 (最終公演をDVD化して売ればまた別の利益が出た…?とかそういう突っ込みは抜きで。)
 ただ―今更マイケルがお金を欲しがるとは思えないので、関係者にお金がいきわたるようにしたのかと。景気悪かったですから。後者の考え方をすればいい人なのか―?もちろん、今回の死亡騒動が故意によるものであれば、の話ですが。

 CURURUが終わったので話してみました。TORをかなり長いこと書いていたことはありますが―最終更新が如何せん相当前であるので、あまり惜しくはありませんよと。巫女さんには申し訳ないですが。  
Posted by vodafone3917 at 01:46この記事をクリップ!