誰もいない事を言い訳にせず誰にも依存しない自己像に依存しながら生きる
親に依存して生きていく子どもがいる。それは家庭で育てられている子どもたち。特定の親の姿を追い、共感すべくその触覚を張り巡らしている。親から捨てられてしまっては生きてゆけない子どもにとって、親の反応を体と心全部でキャッチすることはその子にとっては生き死に直接関わることなので、捨てられまいと一生懸命に共感を持とうとする。※夫の意見を参照
わたしはその辺、養護施設にいる状況から人生がスタートしているので共感すべき対象者も、依存する相手もいない。捨てられる事への恐怖を体験した記憶がなく、ただ事実だけが捨てられているので、1人で生きる事は辛い事ではない。
一度目の施設は田舎だったのでわたしはいくら食事を減らされても、自分でエサを探す術を知っていた。今でも花の蜜を探し当てて糖分を補給することができる。この時点でわたしはとくに大人を必要としなかった。大人から捨てられたら生きていけないと思った事がなかった。寂しさも感じていない。
やがて2度目の施設に措置変更になった際にも、大人の関心をひかなくても自分で生きていたので、たった一人の大人を必要とは感じなかった。自分でエサを見つけて栄養を補給していたので、親的な人間を必要とはしなかった。
親から思われるかどうかで心をざわめかせている他の児童とは違う自分の感覚にはその頃は気付けなかった。
結婚後、夫の話を聞くうちに彼がどれ程他の人の感情に敏感かを知った。わたしは最初理解できなかった。わたしは人がいなくても生きていたのだ。だから夫という家庭文化圏から現れた人の心の動きについていけず、こだわり所がわからなかった。今も判ったとは言えない。
こんな人間が、親に依存しなくては生きていけない赤ん坊をを生み育てる事には大変な意識の変革が必要だと感じている。泣いて訴える子どもを前にしたら困惑するだろう。育てられた通りに育てたら、自分でエサを探してきなさいと怒るかもしれない。1人で生きられない赤ん坊にイライラするかもしれない。何故自分の足で立てないの?と悩むかもしれない。
「親がいなくとも自分ひとりで生きていく赤ん坊なんてシャレにならないよ」と夫は言った。でもわたしはシャレでもなんでもなく、そういう現実を生きていた。と反論してしまう。
だからこそ「何故こんなに家庭育ちの夫と意識が違うんだろう」と悩み始めたところから、子どもの養育環境について根本から考え始めた、そして、成り行きとして「自分の育てられ方は果たして本当に正しかったのか」と振り返り始めた。
ある職員は最近のわたしの発言を聞き
「子ども時代のお前は昔本当にいい子だったのに、最近本当にグレた」と言った。彼はわたしが家庭を作れない事に、「何故できない?」と言いながら同時に、家庭をうまく作れない謎に迫ろうとし始め、子どもは1人で生きてはいけないのかもしれないと考え始めた途端、彼は困惑する。わたしの目には児童養護施設の限界と問題点に触れられるのを嫌がっているように、見える。
養護施設は、子どもに1人で生きる事を暗黙に要求する。子どもは施設を原点として生きているから、やがて誰にも依存しない自分へ依存しながら、1人で生きてゆく。施設で多くの子がたった一人の親を求めて騒ぎ立てたら施設は成り立たなくなる。
親から捨てられただけじゃない、その後施設で1人で生き抜くスキルなき根性だけを教えられ、施設を出る頃は戻ってくるなと言われ、社会的養護の措置期間は過ぎ、絆もなく生きている事に気づかず生きる。
さらに、誰もいない事を言い訳にせず誰にも依存しない自己像に依存しながら生きている。捨てられても胸を張って生きると表現する施設育ちがいるが、捨てられた事実に胸でも張らなきゃやっていけないというのが本当にところ。
あまりに違う家庭の人の意識と向き合い、わたしは子どもはどういう観念を身に付けて生きていくのが重要なのか、この社会で生きて行くために施設の通念を捨てなくては家庭へ向かい合えないと気付きつつある。
| 養護施設を出てからの問題 | 07時13分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑