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「子どもを欲しい時、原風景への回帰の欲求が感じられる」 by ある夫のつぶやき

整理中の記事

 生まれた家で同じ親から継続的な関わりの中で安定感を得て、自分はこの世界から好意を持って迎えられたという気持ちを獲得し、やがて自分を抱きしめる親の腕を少しずつ離れ、最初ははじめての集団に恐れながら、怖くなったら懐へ戻り、やがて成長し、社会の中の集団の1人として生き、そして、家庭を持ち、子どもを作ることで幼い頃の自分の世界から受け入れてもらった感動と喜びを、今度は親の立場で再現したい。

 「それが子どもがほしいという欲求なんだよ」と夫は言った。上記の内容は彼の言葉を聞いたわたしがまとめたのだが、ほぼ再現できていると思う。

 子ども時代の幸せな気持ちをもう一度体験したい、だから子どもを作って、今度は子どもを育てる親の立場でそれを味わいたい。後継ぎを生む、孫を生むとは又別の、彼の心情。


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 わたしは、彼の内面にある幸せな風景というものを、どう捉えたら良いのかまだわからない。彼にとってはごく普通に感じられる世界観を聞かされ、わたしは彼の世界観を主流に共に作り上げる自覚が足りないと思った。

 でもわたしは、自分が抱く子ども時代の世界観を再現してはいけないと感じている。幸せか幸せじゃなかったかは知らない。でも満たされているか、虚無かと問われれば虚無だと感じる。
 
 彼が再現したい子ども時代と、わたしが再現してしまうだろう子ども時代には大きな隔たりがある。
 
 結婚したばかりの頃は、わたしの世界観は間違っていない。誰もいなくとも子どもは強く明るくたくましく雑草根性で生きるものだと思っていた。わたしの目には、彼の世界観の方が、根性がなくて相手に依存し、自分で自分を育てる事もできず、とうてい受け入れられないと思っていた。


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 今、里親さんを勝手に応援しながら思う事は、夫の過ごした子ども時代の心的エネルギーの蓄えの多さと利息で生きているような、ゆったりとした世界にごく普通にいて安心している状態をを、少しずつだけど、正しいような気がしている。結婚当初の頃のように、自分が正しいとは思えない。

 わたしが施設で育つ間に会得した世界観を持ち出す事は、彼への精神的暴力になっている。

 わたしの世界観は根性だけが全て。強いけれどポッキリと折れるような柔軟性のない感覚。捨てられていることを根底に生きていることと、すべて受け入れられていることを根底に生きていることの違いを知った。

 一般の家庭で育てられ、無償の母性を注がれた人はともかくわたしから見たら、圧倒的に「持てる者」だった。 夫が子どもを欲しいと思うのも、わりかし当然かなと思えるようになってきた。彼がその世界観を再現できないのは、彼にとっての不幸だと思う。わたしがその世界を再現せずにすむ事とは対極にある彼の不幸。

 施設で培った強さは一体なんだったのだろうと、彼と話しているとつくづく思う。

 

|  整理中の課題&記事 | 11時35分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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