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「必要なのはたった一人の大切な存在だと感じる」為に自分の育ちを否定する

施設を出てからの問題


(5)家庭失った子に何を…施設、里親の負担重く
(2007年5月5日 読売新聞)

【引用】

 経済的な理由による一家離散、虐待、親の離婚――。様々な理由で家庭を失った子どもに国は何を保障するのか。今、「今後目指すべき児童の社会的養護体制に関する構想検討会」で話し合われている。

 保護を必要とする子どもの割合は増加している。その大半が過ごすのは乳児院と児童養護施設だ。2004年で計約3万7000人が暮らす。

 久美さん(仮名)は2歳から18歳までを、50人以上の子どもが生活する「大舎制」の児童養護施設で暮らした。

 なぜ自分は施設に預けられたのか。教えられないまま、物心ついた時には集団生活の一員だった。夜、10人を超える子どもに1人の保育士。隣で寝たくて中学生になっても場所を取り合った。子ども同士の上下関係やいじめがきつくても、逃れる場所がない。「信頼出来る」と思えた職員は、数年でいなくなった。

 一方で、職員には「ここを出たら一人で生きていかなあかん」とよく言われた。社会に出た施設の先輩たちは、人とのコミュニケーションが苦手だったり、仕事を転々としたり。みんなしんどそうだ。

 「必要なのは、自分がたった一人の大切な存在だと感じることだと今は思う。施設では難しい。でも、それを言うほど、自分の育ち、存在を否定することになる葛藤(かっとう)が苦しい」と久美さんは言う。



コメント

 ”たった一人の大切な存在だと感じること”

 これはなんて難しい言葉だろう。この言葉を(内心が伴わなくても)言えた彼女はすごい。わたしはここまで言えない。これは施設の大舎制の世界には無いキーワードだ。養護施設だけで生きてきた過去を否定しなければ、けしてたった一人の大切な存在について考えることができない。自分への育てられ方を正しかったとすれば、その正しさを証明せずにいられなくなる。

 施設で育つ事が正しいとするならそれを証明しようとして子捨ての連鎖をくりかえす。わたしも未整理ならば、子どもを施設へ預けても仕方ないと言い出すかもしれない。里親の道を教えられても「わたしだって施設でがんばった」と言い出しかねない。

 施設全部育ちは、子どもを施設へ預ける事に他の人よりもはるかに身近なものになりすぎている。

 時に「施設で育とうが自信を持って、胸を張って」と表現する人がいる。そう思うなら仕方ない部分もあるが、自分が子どもを施設へ預けても、その子どもに「堂々と胸を張れと」といい続けるのだろうか。

 機能不全家庭の出身者の人が、虐待の連鎖を繰り返さないようにがんばって書いておられる。それと同じように児童養護施設全部育ちも、子捨ての連鎖を繰り返さないように、集団生活の後遺症ともいえる無愛着について、本気で整理してほしいと個人的に願っている。

 育てられ方を否定するよりも、堂々と胸を張って生きる方がずっと安易な道だと感じる。同時にわたしはこの女性ほどには過去を否定しきれない事があると知った。 



【引用2】

 京都府立大福祉社会学部の津崎哲雄教授1は指摘する。「まず親が育てられるように。どうしても育てられない時には、『自分だけの大人』から十二分に愛情を注がれるような環境を作らなければ、結果として社会がリスクを負うことになる」

 施設を小規模化し、治療的ケア専門施設に役割転換する。一方、里親委託が出来るよう制度を変え、里親を支える制度も整える――。こうした構造に変えるのに50年かかると津崎さんは言う。



 コメント2

 『自分だけの大人』から十二分に愛情を注がれるような環境を作らなければ、結果として社会がリスクを負うことになる」

 英国では児童養護施設出身者を社会的排除者としてカテゴライズしているけれど、施設を出た後の追跡調査を行った際のレポートについて彼が述べているのを読んだことがある。
 
 社会がリスクを負う事になるというのもその流れを背景に語っていると思われる。わたしは親から捨てられた要養護児童のニーズとして乳児院・養護施設を主流としているこの国の施策では、成長してもきちんと税金を納めて生きることは大変難しいと、自分の体験を通しても思う。

 わたしも国民年金を払えなかった時期があるので、その時に将来年金を貰うよりも最後は行方知れずになればいいと覚悟した事があるので、この話はよく理解できる。

関連書籍


津崎哲雄氏 本1




内容(「BOOK」データベースより)

 日本と英国の社会福祉(PSS)の根源的相違がどこにあるか、それを考察するひとつの視点が地方自治体ソーシャルワークの存在である。この「地方自治体ソーシャルワーク」という言説・施策・実務が、今後の日本の社会福祉の展開にいかに関わっていくか、読者が考察する際の一素材に本書が価するのであれば幸いである。

内容(「MARC」データベースより)


 日本と英国の社会福祉の根源的相違はどこにあるか。それを考察するひとつの視点である地方自治体ソーシャルワークについて、その言説・施策・実務が今後の日本の社会福祉の展開にいかに関わっていくかを探る試み。

|  養護施設を出てからの問題 | 12時06分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

教えてもらえなかった大切なこと

hanahanaさん、どうもありがとう。

>自分が施設を卒業(?)して社会で暮らして行くなかで、施設では教えてもらえなかった大切なことに気づいたそうです。

 すごいですね。わたしは周囲から指摘されても「わたしはこんなに真面目にきちっと生きているのに」とむしろ反発心でいっぱいになります。

 教えてもらえなかった大切なものがわたしにとっては何なのかわからないけれど、スローガンとの甚だしい乖離に至らぬよう、がんばろうと思っています。

 いつもありがとう。

| レイ@なかなか気付きに至れないけど | 2007/06/07 02:03 | URL | ≫ EDIT

施設育ちの施設長とはいっても

児童養護施設ではなく自立援助ホームです。
自分が施設を卒業(?)して社会で暮らして行くなかで、施設では教えてもらえなかった大切なことに気づいたそうです。一時は児童養護施設の職員として働いた事もあるそうですが、施設では教えれない現実に気づき奥様と二人で施設を卒業した16歳以上の子供を対象にした里親を始め、その子たちが社会で自立して暮らせるように実家の役割になろうと活動してきたと言う事です。
法律の改正でその年齢の複数の里子を持つ形態が自立援助ホームという小規模施設として補助金が出るようになり彼の自宅が自立援助ホームと呼ばれる施設になりました。
一般の児童擁護施設とは少し違うようで、県の里親会に所属して里親推進の旗振り役として活動されているようです。日本でもあまり数の多くない形態の施設だそうです。

| hanahana | 2007/06/06 17:14 | URL |

児童であっても子どもではない感覚

 
 学校でも施設でも児童だった。でも子どもだった事はない。いつも役所用語にまみれて表現されていたので、施設の子は言葉遣いも少し固すぎる。

 夫は学校では児童だったけれど、家に帰れば子どもに戻れたと言っていたけど・・・。

| レイ | 2007/06/06 10:14 | URL | ≫ EDIT

施設育ちの施設長さん


 hanahanaさん、コメントをありがとうございます。施設育ちの施設長さんですか、津崎教授とお知り合いだとは。

 話しは少し過激ですが、内容の一つ一つが自然と心に入る、研究者ではない生活者の視点でお話をされる方だな〜と楽しく傾聴しました。 

 そうですね、表現が少し激しい感じがしますが、つい引き込まれそうです。研究者が生活者としての視点で語るところが、わたしとしても興味深いです。

  不思議な方だなと思います。

| レイ | 2007/06/06 10:10 | URL | ≫ EDIT

失われた子ども時代…

「必要なのは、自分がたった一人の大切な存在だと感じることだと今は思う。施設では難しい。でも、それを言うほど、自分の育ち、存在を否定することになる葛藤(かっとう)が苦しい」と久美さんは言う。

 この気持ち、よくわかるわ。
養護施設で育った(生き延びた)自分を肯定することは、その育った(生き延びた)場所を肯定することにつながりかねない。

 そう思っているあたしは、
養護施設で育った自分は否定しない。
だけど、子どもが施設で育つことは否定する。

と整理しているの。

 一人一人を大切に育てることができない施設では、たった一人の子どもとして大切にされた実感を持つこともできない。

 その自分を肯定することは、養護施設で子どもが育つことを肯定することになるの。

 子ども時代・施設時代に自分のアイデンティティを求めたら、心がおかしくなっていく。子どもが生まれたら、子どもを施設に入れることを否定できなくなる。それは、自分を否定することになるから…

 子どもが育つ場所ではないのに、子ども時代のすべてを過ごしてしまった施設全部育ちは、こんな葛藤を抱えることになるの。

 だから、子どもたちは、里親家庭で育てて欲しい。たった一度の子ども時代をすべて施設で暮らすことは、大切な子ども時代を失うこと。
 子どもらしく生きた子ども時代を持たない子どもたちは、Neverlandを探し続ける子どもたち。どこにもない失われた子ども時代を求めてさすらうジプシー。

 子ども時代を子どもとして生きていないあたしたちは、土台もなく大人になるようなもの。だから、施設育ちは、大人としても脆いのね。

 こんなにも、残酷で悲しい子どもたちを、いつまで作り続ければいいの?

 養護施設は、最長5年とし、それ以上は里親家庭に強制的に行かせて欲しい。子どもが子どもであるためにも…

| Maria | 2007/06/06 07:02 | URL | ≫ EDIT

大当たりでした!

先日の講演会の先生はまさにこの方です。
今回の自立援助ホームの施設長さんが施設で暮らしていた40年前、学生のボランティアとして通っていらしたのがこの先生だったそうです。3年ほど前偶然再会し、お互いの現在の活動を知り施設長はとてもうれしく涙したと紹介されていました。
素敵な、そして重要な出会いなのだと感じたエピソードでした。
話しは少し過激ですが、内容の一つ一つが自然と心に入る、研究者ではない生活者の視点でお話をされる方だな〜と楽しく傾聴しました。

| hanahana | 2007/06/05 19:43 | URL | ≫ EDIT














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