「施設育ち」という共通タグだけでは語れない話
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わたしは養護施設出身者には、親から養育放棄されたり捨てられたりした子ばかりがいるのだと思っていた。それが大元の誤解だった事を知った。
親も親戚もこの世にいない(又は現れた事がない、顔も知らない)事の問題、一度も家庭で育った事のない問題、愛着関係を誰とも築けない、対象者がいない子ばかりが施設育ちだと思ってきた。
その前提を持っていたのがまちがいだったと思う。これからはわたしももっとスタンスを突き詰める事ができそうだ。
わたしが最も問題視しているのは、家庭を体験した事がない子が、施設を出てもさらに親戚縁者の繋がりがない為、この世の荒波を1人で生きねばならない事なのだと、改めて思った。
虐待を受けるという事の問題からは少し離れた発信を続けていた理由がわかった。いくら虐待の話をしようとしても、いつも形状記憶のように、捨てられた話へ戻っていく。
だから、もう全ての児童養護施設の子たちという漠然とした表現を使わず、はっきりと施設だけで育てられた要養護の子ども達という風に書いていこうと思う。
「養護施設の子ども達が抱える問題」「卒園者の抱える問題」という言葉を読むと、それは違うでしょう?と内心で反論していた。問題を抱えさせたのは一体・・・。
本当は「養護施設で問題を抱えさせられる事が問題なのに」と思い続けてきた。生真面目に施設の生活環境に順応し、問題も起こさず生きてきた。
その結果待っていたのは「社会生活に対する適応障害」「無愛着」「家族に代わる人が誰もいない」という、養護施設だけが養育環境だった事に端を発してる問題を、まるで子ども自身が先天的に持っているかのような印象の資料などを読む度に、とても言葉巧みでずるいなあと思っていた。
やはり、捨てられるという状況とはどういう事をあらわしているのか語らずにいられない。その捨てられた身の上を利用した性的虐待なども養護施設や外の世界構わずあるのだ。
守られなかった怒りよりも、誰もいない、帰属すべき場所がないという事の虚無の方が強くいから、だからこれからも、誰も居ないとはどういう事か、絆なきとはどういう事かを、突き詰めて考えていこうと思う。
捨てられたからといって、捨てていいわけじゃないと思う。だんだん、道が自分の中で整備されてきているような気がする。なんとか発信を続けてみようと思う。
| └ スタンス | 22時04分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
色んな捨てられ方
「捨てられ方」にも、さらに色んな捨てられ方があるんだね。家庭虐待から保護された筈でも、何のケアも受けてない。女子の場合の虞犯はとくに家に帰れないという場合が多い、それは家に問題の根っこがあるから。
単に家に帰らないから虞犯というだけの子には隠されている虐待が多いのに、結局親のネグレクトとしか断定されなくて、施設へ保護された後も、帰省の時期に家庭へ帰らされる・・・。
この捨てられ方も又、捨てられていると確かに思う。わたしがスタンスとしてい持っている捨てられ方とはカテゴリが違うけれど、保護というより、施設へ寄せ集めただけだという事ね。
| レイ | 2007/06/01 09:09 | URL | ≫ EDIT