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評価の高い児童養護施設を出た者として何を語ればいいのか

ともしび

Maria(ケータイ写真):言い訳はしたくないけれど、説明はしたい

養護施設にいる間の問題

 加害体験を書く理由

 先日、自分が施設で年長者になった際に虐待の連鎖をしてしまいそうになった体験を書いた。一部、不快に思われた方々もあろうかと思うけれど、唯一残ってるエピソード記憶がこれしかない。書いた目的は養護施設内虐待の連鎖という観点からのものであり、たとえ自分が家庭虐待などで施設へ措置されたのではないとしても、施設内で年長者から受ける事で、時間が経ち成長すると自分もやるようになってしまう。という説明の為、自分の抱える問題を書いた。

 施設では問題視されないレベルの体験

 大人がほとんど居ない子どもだけの世界、大人がいても暴力的か反応がない世界、なので、自分達でどうにかするしかない。でも力の差を用いて支配するタイプの不良の子がいる限り、年下の子は我慢するしかないと思っていた。

 ボスには誰も逆らえない。モップの先に体を寝そべらせられ、床をごろごろ転がされたという体験を語った後輩がいた。冬は凍りついた雑巾を水で解凍、大きい子へ渡す事も彼女の仕事だったそうだ。金属バットで「ケツバット」などは当たり前だったそうだ。小さい子はそこから逃れられない。

 拳と拳でしか会話できない雰囲気

 わたしはこの後輩に「自分の守り方を軍事訓練と称してレクチャーしていた」と昔話をしてくれた。自分は覚えてない。それでもわたしもこの後輩を一度殴った記憶が断片化されている。その途切れたシーンしかないが。理由もなにも分からない。

 虞犯少年じゃなかった自分なのに、ごく普通に施設内でやっている事が世間では虞犯的行為になってしまう。それを正す世界じゃなかった。でも言い訳はしたくない、だから時々加害体験も書き続けている。

 小学生の頃、男子のボスを廊下でいきなりぶん殴った事がある。「小学生が下克上を・・・」と大騒ぎになったそうだ。職員も周囲で見ていたが誰も止めなかったようだ。笑いながら見物しているだけ。ボスを殴っているシーンしか覚えてないので、その後どうなったか、そして原因も不明。

 集団から離れて加害者にならないように工夫していても、拳と拳で語る癖が身についている。殴った記憶は二つ。でももしかたしたら覚えてない加害体験があるかもしれない。自分さえまっすぐならと思いながらも、集団生活は志とは関係なく、戦いの中へ引きずり出す。

 後輩の目に指導員というものは自己防御に忙しく、竹刀を持ちながら施設内を歩いているので大人に相談できるような雰囲気じゃなかったそうだ。

 他の子とは話す機会はなかったけれど、他の子もなんらかに耐えて成長しているのでその口は大変重かったり、施設の明の部分だけを話したがり、暗の部分はさらっと避けられてしまう。だからエピソードはあまりない。

 評価の高い筈の施設に居て思った事 
 
 自分にとって、気分が重くなるのは、「所謂職員が表現するところの評価の高い施設」でこうなのだという現実。確かに新聞に載るのは大部分が施設職員から子どもへの虐待が発覚した児童養護施設が多い。子どもだけの乱闘は、子どものケンカなので誰も問題視しない。
 
 たかが子どもの乱闘騒ぎじゃないかと大人たちは思っている。でも一番の理由は大人も暴力を振るうから、年長の子に対して非暴力の指導ができない。自分自身、子どもたちを殴って指導しているので、年長者を指導できないというのは理屈では理解できる。

 「いつも職員がこの施設は素晴らしい施設だ」と表現する施設だけど中身はこんな風だった。所謂虐待施設じゃなかった筈なのに、施設を出た男の子たちは「ヤクザ」へ行く子も多い。ヤクザの鉄砲玉になりやすいのだ。一番自分が慣れ親しんだ空気が呼吸しやすい。

 そんな彼の出世を心配した保母は「彼はいつまで経っても鉄砲玉で困ったものよ」と言っていた。何か違うんじゃないか?
 
 そしていつも「こんなにいい施設を出たんだから」と言ってた先輩の1人は、小さい頃からあこがれた保母になるべく勉強していたのに、理論を勉強しているうちに心が沈んでしまい、保母の道をあきらめたそうだ。今はお母さんとして一所懸命、子育てをしている。

 わたし達は散々「お前らはいい施設にいる」と言われてた。じゃあ、いい施設というのは一体なんだろう。あえて考えてみたかった。

 追記

 この記事の題名はわたしがそう思ってるというよりも調べてみた結果のサービス評価がそうであるというだけであり、その評価の高い筈の施設の内部は(昔は)こんな風であったと書いてみる必要性を感じたので書いた。

 今、内部が実際どうであるかは分からない。

 新聞沙汰にならないからといって暴力が無いわけではないという問題を発信したかった。そして「いい施設にいるんだぞ」と言っていた職員が恩寵園の園長を「やり方が下手なんだよ」とも言っていたのはオフレコにすせず、過去において記事にしたので非常に警戒されていて「今日の話し合いは、別れの水杯だ」と言われ、暗に「もう二度と会わない」と言われた。

|  養護施設にいる間の問題 | 05時45分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

最低基準が天国となる家庭内ネグレクト

 ある方が、施設で三食のごはんを食べられたり、生活用品が支給されることをもって、「天国」と表現していたけど、これは、「施設最低基準」でしかないのよ。

 里親家庭では、もっと満たされた子どもらしい生活を送れるのよ。子どもの権利を知らないと、最低基準でも「感謝」となるかもね。命が生きながらえるだけでもまし、という赤ちゃんポストの議論に通じるわ。
 救われた後、どのように大切に育てるかの議論が必要なのに…

 施設の子は、他の優良施設を知らないから、比較のしようがない。日本で一番いいといわれる施設の職員でさえ、施設は不十分だといっていると聞いたわ。

 さらに、最低基準さえ満たせない施設があるから、第三者評価を全国の施設に受けさせることができないとエドワードさんから聞いた。

| Maria | 2007/05/23 07:31 | URL | ≫ EDIT

へーそーなの・・・。


 Maria、うん、わたしもそれ聞いた・・・。できレースだったのか。しきりに「お前らはいい施設にいるんだぞ」と言ってた時期は、おそらく第三者評価を受けていた頃なんだね。

 しかも、それを子どもの口からも言わせたいから、呪文のように繰り返せば、子ども達は意味が分からなくても「いい施設にいんだぞ」と洗脳されたような状況で、自らも語るようになる。

 施設出身者の方で「施設をやたら誉める施設出身者」には少し違和感があった。その誉め方が誰も彼もやけに似ているテンションなので・・・。
 
 施設出身者自身が施設よいとこキャンペーンとして利用されないように、本当にいい施設ならどういう風に良かったのか子ども自ら具体的に語れてほしい。

 色々考えた。

| レイ | 2007/05/23 07:16 | URL | ≫ EDIT

あれは施設最低基準

 Leiちゃん、エドワードさんに聞いた話では、第三者評価は、80万円くらいかけているのよ。

 そして、第三者評価機関は、従事者数人のNPO団体だったりするの。

 零細企業のNPOがクライアントである養護施設に辛口の評価はできないの。

 さらに、評価方法も、職員や施設長の自己評価をもとに、施設の内情をしらない調査員がアンケートをまとめているだけなの。

 施設の点検をしたり、子どもたちに職員のいないところで聞き取り調査をしたりしないの。

 監査法人がクライアントの会計の不正を見逃したように、第三者評価機関も、施設の問題点は指摘することはできない。
 それをしたら、翌年から、指名してもらえなくなるから。できレースでしかないのよ。

| Maria | 2007/05/23 01:13 | URL | ≫ EDIT














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