わたしの場合「施設生活と無愛着の問題」だけで1つのブログが起こせるかもしれない
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色んな施設出身者がいて、それぞれの施設イメージを語っている。わたしだけが施設出身者ではないのだから、わたしは独自スタンスをもう少し強めて、より立場を明確にしていこうと思った。最近は他の人が語るのを眺める事も多くなった、はてなブクマに追加する記事を探すようになってからは、他の人の意見も非常に興味深い事に気づいた・・・。
■ 物心ついた頃から卒園まで施設ほぼ全部育ちのわたし(1個人)
家庭環境・拒否・放棄・ネグレクト・結果として遺棄 要養護
わたしの施設イメージは養護施設は収容所のイメージ。脱走に失敗したあげく里親家庭へ一度も行くチャンスがなく、施設時代全てを通して自分に対する子捨てが完了し、児童の措置費も出なくなる卒園時に見切りを付けられて社会へ、適応障害と無愛着をお土産に放出された。
結局「捨てられた」という自覚がないまま社会で不器用に生き、途中で「この状態というのは、結局捨てられた事?」というミモフタもない気付きを経て今に至る。
だから
親が育てられない子どもを原則里親家庭へと、自分にはなかった世界を他の子へと思い発信中。
■ 乳児院から養護施設へ措置され卒園した施設全部育ちの方々
遺棄・放棄 要養護
自分のよって立つ過去が不明すぎて、何故自分が今こうであるのか分からないなどの問題を持っているだろう。いいか悪いか考える判断材料としての里親家庭を知らない事は大変な情報の欠落だと思うので、まずは家庭の体験をしてもらいたいと、勝手ながら思ってしまう。
■ 乳児院から養護施設へ措置され卒園した施設全部育ちの方々(男子・・・)
遺棄・放棄
男子は家庭と育児に縛り付けられてないから、女子ほどは家庭を知らない事を悩まずにすむ。だから「親はいなかったけれど、その代わり多くの人々の善意によって・・・」などと拳を振り上げて高らかに叫ぶ?のだと思う。そして何故か軍隊口調だったり・・・。
■ 施設半分育ちの方々(入所理由はさまざま)
家庭環境・拒否・放棄・ネグレクト・その他
施設で半分育ち、残り半分で家庭引取りされた子は途中で親が引き取りに来た事で、捨てられたと断言できない心情かもしれず、施設全部育ちが「わたしは捨てられた」と言い切る事に心を傷つけられ、憤懣やるかたない気持ちになるのだろう。
そういう方は、その怒りを親にぶつけてほしい。半分施設で半分家庭というのはどっちに軸足置けばいいか確かに分かりづらいと思う。施設出身者としては半分だけだし、家庭で育てられたというには、前半の施設入所の整理がつかないし・・・。
■ 送致された虞犯の方々(入所期間不明)
家庭環境・素行・拒否・放棄・ネグレクト
誰も話を聞いてくれなかったのに、職員だけは聞いてくれた。と思っているだろう。そりゃそうだ、近隣にめいわく掛けられたらたまらないので、職員は虞犯少年に時間を取られて、要養護の子は無愛着なまま放置状態。
しかもこれら虞犯の人たちは、ヤンチャという表現もよく使う。だが彼らが施設で虐待の連鎖の中心的役割をしている事は世間にあまり知られていない。
■ 施設措置された機能不全家庭からの方々(入所期間不明)
家庭環境・全ての虐待・ネグレクト
たしかに施設によって救われた感があるだろう。実際は何のケアも受けられなくても治療を受けられなくても虞犯少年達がたむろしていてフラバになろうとも、家で命を危ぶまされていた頃に比べれば施設はマシと思えるのだろう。
■ 施設ほぼ全部育ちとしての整理
資料によらないまとめなので細かい間違いは間違いとしてご容赦下さい。自分用のメモでもあるので・・・。
こうなると、出身施設ごとにも施設イメージが変化するだろうなと予測はつく。自分のいた場所がどんな施設か知らずに生きてきたけれど、分かっている事は、どの施設にも共通する普遍な問題があるという事。
■ 全ての施設を網羅する普遍的な問題
養護施設は家庭機能を持っていないので、要養護児童(遺棄・放棄・拒否)には対処できない。家庭がありながら施設へ保護された子どもたちの問題とは、プランを分けてほしい。親から捨てられたり拒否されたりネグレクトされた子に必要なのは、固定された人間関係なのだから、今一度、自分としても、愛着障害や集団養護などについて書いていこうと思った。
その際、あまり他の事に関してはゆるい発言が続くかと思うが、その点、全ては網羅できないので他の施設出身者のブログ等を読んで下さるよう、希望。
| 養護施設にいる間の問題 | 07時44分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑