迎えに来なければ、見つからなければ、引き取り手がなければ、現れなければ
卒園時に「子捨てが完了した」と感じた
「赤ちゃんポスト」という表現に冷たさを感じている人もいるようだが、わたし個人としては「感覚」というものは呼び方によって左右されるものじゃないと思っている。訳ありで生まれた自分なので、現状認識をどこかで絶対に自らに突きつける必要があった事もその理由だが。
「ポスト」「ゴミ箱」と表現しなければ、他の表現ならばチクッとトゲが刺さった気持ちにならずに施設時代を生きられるか。というと、わたしの資質の問題で卑屈になりやすいのでなければ、大人が使う気遣いの表現に、自分が置かれた立場を想起させるキーワードがあるものだと感じている。
引き取り手が現れなければ乳児院へ
里親・養親が見つからなければ乳児院へ
親が引き取りに来ない場合は児童施設へ
親が迎えにくるまでがんばらなきゃね
などなど、ポスト、ゴミ箱という表現そのものを使わないのに「引き取り手が見つからなければ」という言葉に漠然といろいろなものを感じるものだ。
施設に幼児さんが入ってくる時の紹介の言葉などもそうだ。
「今日からみんなの仲間になる○○ちゃんだ、親が迎えに来るまでがんばっていけるよう、みんなで応援するんだぞ」などと妙に力みの入った紹介だ。
他の子を紹介する時に垣間見る自分たちの境遇というものをわたしはどこか意識して聞いていた。ゴミ箱、捨て子、ポストも含め一切の表現を使わない大人も確かにいたが、かえって妙なすわり心地の悪さを感じていたものだ。
それは大人が嘘をついている、あるいは誤魔化そうとしている時のフンイキに起因している。
たとえば、前出の新しい子の紹介の時に、大人が「親が迎えに来るまで〜」と言うときに、目が泳いでいる、少し緊張している、ごまかそうとわざと明るめに表現する・・・などなど、すぐに言外のメッセージは子ども達に伝達される。
職員の立場ではこの子に親が現れる可能性は限りなくゼロに近いと知っている。それでも、紹介する時はどうしても表現をやんわりしたものへ変えなければならない。
確かに幼児に事実を伝えても仕方ないが、物事が理解できるようになった時、誤魔化し続けていいものだろうかと思う。
だから何となく分かってしまうのだ。その子は「長期だな」というフンイキを感じた時、まるで何かの宣告のようにも感じていたものだ。
迎えに来なければ、見つからなければ、引き取り手がなければ、現れなければ、
という一連のどうにも八方手を尽くしてもどうにもならない感覚が施設の子ども達にはのしかかっているし、その感覚は必ず大人になった時に正しかったと思えるのに、捨てられた過去を整理させるのをまるで邪魔するように
「施設へ預けただけよ、捨てたんじゃないのよ」などと言われても、自分の心に落ちてこない。
迎えに来なかった親を見切る事を教えずに、いつまでも幻想を持たされる施設全部育ちの子達は、施設を出た後、実態のない親の愛という幻想を抱かされて苦労する。生んだ親が身勝手であろうがどうしようが、その子どもがその親を求めるのは自分の勝手だと思う。
でも曖昧なすわり心地の悪い表現の為に、自分の置かれている実態を見えなくさせる大人には個人的に怒りを持っている。
卒園の時に、施設で全部育てられた事を通して感じた事は、何かが決定的に完了したという事だった。おそらく迎えに来なかった、見つからなかった、引き取り手が無かった、現れなかったという事を自分が施設にいつづけ、卒業した事ではっきりと「完了」したのだと思う。
だからごまかされたくないと思ったのだ。他の子が何を思うのも自由なのだが。
これも又傷つく人がいるかも知れない表現
一般的には『養護施設が見つからなければ里親家庭へ』とはならないし『職員の引き取り手がなければ里親家庭へ』とならない。あくまで、里親や実親の引き取り手のない子が行く場所が児童養護施設だ。だからわたし個人としては児童養護施設は子どもポストのようなものと感じていた。
卒園までの間「誰かが迎えに来るまで」待たなきゃいけないが、誰も引き取り手がなければ子捨ては完了し、卒園という名の行政による「見切り」をされる。それが施設で全部育つ事と解釈している。
| └ コラム | 07時52分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
措置期間が終了すれば終わり
おはようございますjtwさん。息子さんは十五歳で家を出てしまったのですね、それが年齢的にも措置解除という時期と重なり、ずいぶんご心配された事でしょう。
児相へ又 電話したら、「委託解除後は生みの親が その子を法的に面倒見る」という答えだった。しかし13年間 何の面倒も見なかった人が 突然 面倒をみてくれそうになく、元里親が なんとか する他なかった。施設から出て行く場合も 同じように 生みの親が その後 色々してくれると 児相は思っているんでしょうか?
児相も実親が措置終了後に子どもの面倒を見る事ができるとは思っていない。ただ、措置終了するので子どもを見切るだけ。
ここから先はもう子どもじゃないんだから保護対象ではなく、実親と何とかやってちょうだいという事です。精神病の親を子どもに押し付ける福祉もいます。
子どもと実親を引き離さないのは、里親・施設の措置終了時に、あとは親子の問題だと切り捨てる事がたやすいからじゃないかと疑いたくなります。
施設で全部育つというのは、親が親の機能を果たせないというれっきとした証拠なのに里親家庭を与えないので、社会の闇に消えていく。一方里親が措置解除された元里子を心配しても、やる気のない対応・・・
里親が措置解除後に子どもと関わり続ける事への試練を思わせるレスでした、ありがとうございます。
jtwさんの心配する気持ちは当然です。
| レイ | 2007/05/19 05:48 | URL | ≫ EDIT