[種別] おしゃべり [返] 28
No.1 小川きなこ 2010/04/04 22:56:49 削除依頼
毎年この日になると、カレンダーの日付が嫌というほど俺を睨みつける。あの日からちょうど十年、今でものうのうと生きているくせに一歩も前に進めていやしない俺を。
周りのざわめきに気づき、俺は教室に掛けてあったカレンダーから目を離した。椅子から立ち上がる音がまばらに聞こえる。前方を見ると、先程まで手をついて話していた担任の姿はなく、ざわついた教室の中教卓だけが静かに立っていた。
「紫(ゆかり)帰るぞ!」
肩を叩かれ視線を少し右にずらすと、いつもの友人が目を輝かせていた。友人の肩越しに、カレンダーがうらめしく俺を見ている。カレンダーの視線から逃げるように教室を出た。後からついてくる友人は何か伝えたいことがあるのだろうが、今日の俺はどうしてもそれを聞いてやる気分になれない。
「明日転校生来るんだってよ、聞いてるのか?」
廊下を歩き、階段を降りても、一言も喋らない俺に話して楽しいのかと思うほど友人は早口に何かを喋っていた。校門のところまで歩くとようやく、いつも無愛想なんだから今日くらいまともに生きろよ、と右手をあげて帰っていった。歩く友人の後ろ姿をじっと見つめていてもふやけて霞んでゆく景色とは反して脳裏に浮かぶのは、あの日のこと。
No.3 小川きなこ 2010/04/04 23:23:30 削除依頼
こんばんは、或いは初めまして。
以前はおきこで活動していました、小川きなこといいます。
今までずっと敬遠してきた長編に、ついに手を出してしまいました。しかもファンタジー……やりたいという気持ちに負けてしまいました。
完結出来るのかが本当に不安ですが……ストーリーは最後まで練ってあるので、あとは自分の体力が持てば出来るはず!(笑)
短編の方は気が向いたら書いていこうと思います。
焦らずのんびりやっていこうと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
それでは!
No.4 小川きなこ 2010/04/05 17:49:05 削除依頼
おぼろげだった視界に「深代(ふかしろ)」の表札が突然映り、そこで初めて家まで歩いていた自分に気付いた。門を開けようとしていたのだろう把手に右手をかけている。途端に、網目の細かいフィルターが外れたかのように景色がくっきり見えてきた。先程(といってももうしばらく経つのだろう)友人と別れた時より陽が傾いて、門に寄り添う金木犀の緑葉一枚一枚が橙色に染まり、影をとろとろと落としていた。晴れた日の夕陽は特に美しいというのはとっくの昔から分かっていることだが、俺はやっぱりそれに見惚れるような気分にはなれない。
金属の擦る音で門が俺を迎え、低い階段を数段あがり、ドアを開けると少ししてから、紫かい、と祖母の声が聞こえた。多分いつもの和室にいるのだと思う。ローファーを脱ぎ揃えて、フローリングを数歩歩くと右手にあるふすまを開けると、隅の仏壇で静かに合掌する祖母の丸い背中があった。障子が柔らかい陽の粒子を部屋に通している。ただいまと呟いてから、それが唇の数センチ先で消えてしまうほどの小さな声だったことに気付いた。だけど祖母には届いていたようで、もう一度言おうとした時にゆっくりと、その小さな身体をこちらに向けた。
「おかえりなさい」
背中の後ろで音を立てないようにふすまを閉めると、祖母が仏壇から手をついて離れる。祖母が座っていた場所に同じように正座し仏壇と向かい合い、合掌して頭を垂れた。しばらくして上げた目線の先には父と母の遺影が、動くことのない笑顔で俺を見つめている。
「あれから今日で十年だねえ」
響きにくいはずの和室なのに、祖母の言葉が俺の鼓膜を大きく揺らす。膝に置いた掌を広げて見れば、刻まれた皴に沿って汗が浮き出てじっとりとしている。生きている証。俺は空を握って立ち上がり、無言のまま静かに和室を出た。リビングを横切り階段を上がり、自分の部屋に辿り着くと制服のままベッドに飛び込んだ。
No.5 小川きなこ 2010/04/05 20:18:54 削除依頼
七歳の時に両親を交通事故で亡くした。
と言えば、大抵の人たちはかわいそうに、つらかっただろうねと、それなりの言葉をかけてくる。そして本当にこの世はどうかしてる、皆が規律を守ればこんな事故はなくなるのに、とそこで社会の乱れた現状を嘆いたりもする。不謹慎かもしれないが、『本当に交通事故』であったら俺も大抵の人たちのように自分を哀れみ、社会はどうなっているんだと被害者面出来たのかも知れない。
けれど違うのだ。俺の両親は交通事故なんかで死んだんじゃない。『交通事故としか説明できない出来事』だったから、そう言うしか他になかった。けれど今でもずっと脳にこびり付いて離れない。鮮明に思い出せる。忘れたりしない。忘れたりなんて出来ない。
No.6 小川きなこ 2010/04/06 20:22:48 削除依頼
*
覚えているのはあの日の数日前、夜に恐ろしい夢を見たことからだ。その内容まで事細かに覚えているわけではないが、父と母が俺の目の前で死ぬそれは強烈な夢だった。泣きながら目を覚ましてから数日間、いつまで経っても二人のもとを離れようとしなかった俺に、あの日の夕方、父と母が外食に連れて行ってくれた。当時の外食というのは(俺の家族だけかもしれないが)何かお祝いごとがある時しか連れて行ってもらえないものだった。小さなファミレスでも来るのは稀だった。そんな簡単にあたしたちが死ぬわけがないじゃないと母が笑いながらも、絶対死なないと指切りげんまんまでして約束してくれ、俺はやっと安心しハンバーグを頬張った。俺のためにこうやって目の前で父さんと母さんが笑ってくれていることが何より嬉しかった。大声でところ構わず歌い始めるほど俺の機嫌がすっかり治ったところで、すで陽が落ちた夕焼け空を背負いながら三人で歩いて帰った。
家の近くにある大きな公園を通り過ぎようとした時、最初に気付いたのは母だった。握る手がぴくりと動いたので不思議に思い右手の先の母を見上げると、いつもは優しいその瞳が全く色を変えじっと先方を見つめて揺れ動き、僅かに開いた口からあ、あ、と掠れた声を出していた。額から玉の汗が流れているのを見つけた瞬間、母は握っていた手を解いて駆け出した。冷気を感じる右手。公園を突っ切り、遠くへ走り出す母。
No.7 小川きなこ 2010/04/06 20:38:05 削除依頼
それから左手を握っていた父が立ち止まりまた母のように掌が一度痙攣したとき、足先から一気に不安が押し寄せてきた。母さん、とするどく叫んで父が走り出す。さっきまであった温もりが俺の両手から逃げていく。父と母が走るその先には、公園の向う側に面した大きな道路があった。もう夕暮れだったので、その時は人気がほとんど無かった(いや、俺が大声で歌っていたから誰がいても気付いていなかっただけかも知れない)。無かったはずなのに、聞こえてくるのはエンジン音と目に入るのは紛れもなく車のライト。どんどんどんどん離れていく父母。恐怖に押されるように転がりながら駆けだした。父さん、母さん、行かないで、行かないで、と叫んでも不安が喉につまって上手く言えない。足が震えて公園の遊歩道で転ぶ。てのひらと膝小僧が擦れてじんじんと痛む。耳を覆いたくなるようなブレーキ音が聞こえたのは、痛みに耐えて立ち上がろうとしたときだった。砂の地面を見つめたままの格好で、全身の毛穴から何かが噴き出る。咄嗟に顔を上げて地面を蹴った。心臓が喉から飛び出そうだった。やっと公園の向う側に辿り着くと、可笑しなことにそこにはエンジン音も聞こえないしライトも見当たらない。
俺はそこで確かに見た。息切れする俺と対面するように一人、だんだんと暗くなる辺りに溶け込んだ黒いマントと帽子を被って、しかし異常な存在感を放ちながらそこに立っていた。右手に背丈ほどの箒を持っている。本で読んだことはあるし映画で見たこともあったが、それが本当にこの世にいるなんて考えもしなかった。
魔女だ。
No.8 小川きなこ 2010/04/08 18:55:09 削除依頼
見間違いかと何度も目を擦ったが、その帽子の下にある黒い瞳がじっと俺を射抜いているのは変わらなかった。そいつの瞳が人間とは思えないほど身の凍るように鋭かったのを俺は覚えている。
それから、こいつが、こいつが、と声にならない言葉を言おうと口をぱくぱくさせ、また恐怖で足がすくみだす俺から初めて目を離すと、魔女は箒を持っていない方の手で、身を隠すようにその大きな黒いマントをひるがえさせた。そうして俺がもう一度まばたきをした時には、すっかり消えていた。
*
俺はベッドの中でゆっくり目を開けた。
奇妙なことかもしれないが、父母は魔女に殺されたのだ。
記憶はそこで途切れ、病室で目を覚ますところからまた始まる。あの後恐らく気絶したのだ。
発見してくれた方の話によると倒れていたのは俺だけ、だったらしい。本当に可笑しなことに、あそこの道路にたどり着いて魔女と対面したとき、車はもちろん父と母の姿も全く見当たらなかったのだ。消えた父と母は、俺の知らぬうちに交通事故で死亡となっていた。そしてこれも奇妙なことだがちゃんと遺骨もあった。
医者も看護婦も学校の先生も友達も親戚も、みな口を揃えて交通事故なんて、かわいそうに、と俺を慰める。違うのに、俺は見たんだ、魔女が殺したんだ、と何度も言おうとしたが駄目だった。かわいそうに気が動転している、と更に同情の目で見られて言うのを止めた。皆が魔女の言いなりになっているように見えて仕方がなかった。
No.9 小川きなこ 2010/04/12 00:19:20 削除依頼
魔女は嫌いだ。けれど魔女と同じくらい、父と母が許せなかった。絶対にいなくならないと約束した矢先に、あっけなく死んでしまったから。
あれは幻だとか思い込んでいれば、少しは前向きでいれたのかもしれない。とたまに思い、すぐにその考えは消える。そんなに簡単なものじゃない。その証拠に今でも他人が信じきれない自分がいる。
No.11 小川きなこ 2010/04/12 20:40:49 削除依頼
◇
しばらくベッドに横たわっていると、不意に祖母が俺を呼ぶ声がした。
部屋を出て階段を降り和室に顔を出すと、昼間に買い忘れたものがある、代わりに買い物へ行ってくれないかと頼まれた。あまり乗り気では無かったが、あの事故の直後引き取ってもらい、祖母のおかげで何不自由なく暮らしていけた身。俺は無言で祖母に頷いて、部屋へ戻り少しよれた制服を脱いだ。
玄関のドアを開けてから早々と後悔した。家に着いたときから数十分、太陽が西へ落ちた直後のようでまだ空に赤みが差している。どうしてもあの日のことを思い出してしまうので、この時間帯は外を歩かないよう特に気をつけていた。こんな日に限ってと肩を落とす。けれども今更断るわけにもいかない。俺は、誰かに見られているわけでもないのに手で口元を何度も確認しながら、早く用事を終わらせようと足早に歩き出した。
家近くのあの大きな公園にさしかかると、わきを走る道路の真ん中に黒毛の猫を見つけた。俺の前方五十メートルほど先で小さく固まり、じっと何かを見つめている。だんだんと暗くなる辺りで俺以外にいるのは、猫と、公園のベンチでいびきをかく乞食だけだ。
そんなところにいたらいつか引かれるぞと冗談半分で呟いたとき、後背から車のエンジン音が猛スピードで近づき遠のいていった。車は速度を落とさず猫に突っ込もうとしている。猫に気付いていないのか。
No.12 小川きなこ 2010/04/15 16:58:50 削除依頼
「おい!」
焦って叫んだが、音を荒げる車の運転手に聞こえるはずがない。車体のせいで猫がどこにいるかが見えない。だけど道路のわきに出る物体が見えてこないから、恐らくまだあそこで固まっているのだろう。見た時小さな猫だったから助かるかもしれない。でも、大丈夫だろうか。
不安で高鳴る鼓動に唾を飲み込んで、足早だった歩みを更に速めた時だ。
俺は恐ろしいデジャヴュを見た。
走る車の横から人間が飛び出しのだ。
直後、車がかん高く叫びながら急停車する。回りの住宅にブレーキ音が跳ね返りぐわんぐわんと空気を揺らしていたが、すぐにそれも消えて辺りが一気に静まった。車のライトだけが異様な光を放ち前方を照らしている。
「なんだこれ……」
信じられずに唇から言葉が零れた。
十年前と、時間も場所も状況も空恐ろしいほど重なる。全てが悪夢のあの日に帰ったようだ。ただ一つ、車の姿がまだそこに厳然とあることを除いては。
No.14 小川きなこ 2010/04/15 22:15:33 削除依頼
No.12のレス
× 走る車の横から人間が飛び出しのだ。○ 走る車の横から人間が飛び出したのだ。
肝心なところですみません(∋_∈)
No.15 小川きなこ 2010/04/15 22:15:49 削除依頼
西東さま
わわわ、ありがとうございます(∋_∈)
!! 引き込まれていただけたのならこれほど嬉しいことはありません\(^O^)/
まだまだ序盤で、物語は動き始めたばかりですがどうか暖かく見守ってやってください。
ありがとうございました!
No.16 小川きなこ 2010/04/16 20:33:33 削除依頼
静寂を突き破る罵声が耳に入り、俺は呆気取られていた自分に気がついた。自分の心臓が早鐘のように鳴り思わず握っていた手は汗ばんでいる。
二、三度まばたきをし車を見やると、運転手がドアから身を乗り出し、ライトに照らされた道路に向かって叫んでいる。「気をつけろ!」と最後に吐き捨て、荒々しくドアを閉め勢いよく去っていった。エンジン音が回りに反響しては消えていく。
視界を邪魔していた車体が無くなり、俺はそこで初めて暗がりの中でうずくまる人の影を見つけた。何かを抱えているように見える。助かったんだ、と俺は息をついて駆け寄った。近づくに連れて女の声が聞こえてくる。
もしかしたら魔女かもしれない――という不安が一瞬よぎる。だがすぐにその思考を追い払うように頭を振った。十年前とは違って車は消えていないし、猫は生きている。目の前で人が轢かれそうになりながらも猫を助けたのに俺は何を考えているんだ。
後十メートルほどのところで女がはっきり見え抱えているものが猫だと確認してから、俺は自分の目を疑った。女は近づく俺に気付いていないようだった。それどころか、腕の中の猫と喋っている。いや、喋っているかは分からない。女が小さな声で猫に話しかけ、それに猫がにゃあにゃあと応えているのだ。
女の腕の中で猫が光る目を俺に向けた。心臓が一つ大きくなる。猫は少しの間俺を見つめると、するりと女から抜け出して道路から逸れ、優雅な足取りで公園の青い茂みへ去っていった。猫を追っていた視線をゆっくり戻すと、女が初めてこちらを向いた。
No.17 小川きなこ 2010/04/19 09:34:10 削除依頼
俺に気付いたような素振りをして女が立ち上がる。それから、女が俺と似たような格好をしていることに気がついた。スニーカーにパンツにベスト、第一ボタンまで閉めたシャツ、顎あたりに切り揃えられた丸いフォルムの短い黒髪。声がしたから女だと分かったが、その服装だけで見ると男の子と間違われても可笑しくない。
目が合った瞬間、女のくりくりとした瞳が一気に輝いた。
「こんばんは!」
にっこり爽やかに笑った女が意外で、俺はゆっくり瞼を閉じて開いた。汗ばんだ掌がぬめって上手く握れない。
「こん……ばんは」
形だけ返すと女は目をしばたかせ、あの、と言った。
「突然で失礼なんですが、もしかしてそれ、『ヤマモト』のシャツですか?」
No.22 小川きなこ 2010/04/27 19:08:49 削除依頼
女が指差すのは、俺が着ているストライプのシャツ。以前友人に「遊びに行こう」と連れていかれた時に買ったもので、確かにヤマモトという店だった覚えがある。
シャツを引っ張りながら遠慮がちに頷くと、
「やっぱり! あのお店のデザイン大好きなんです」女の目がまたきらきらと輝いた。
「このあたりだとヤマモトのメンズ着てる人少ないから嬉しい」
「はあ……」
「はっ……すみません、初対面なのにべらべらと」
女が本当に申し訳なさそうに頭を下げるので、俺は慌てて「いいえ」と言った。
「じゃあ、それだけなので。いきなりごめんなさい。もう帰るので失礼しま……」
「まっ、待って」
あまりに呆気なく行こうとするので、思わず引き止めてしまった。女が不思議そうな顔をする。
「さっき助けてただろ」
「え?」
「猫。車に轢かれそうだったのに」
No.23 小川きなこ 2010/04/30 20:15:15 削除依頼
ああ! と女は思い出すように視線を右上に動かした。
「見られていたんですね。もう辺りが暗いからてっきり、誰もいないと……」
と言いかけて、口を開いたまま女がぴたりと止まった。女の瞳が、俺越しに何かをとらえている。嫌な予感がした。
「……どうした?」
「なに……あれ……」
その時、後ろからおぞましいうなり声がした。
「それがイノチトリってやつだ」
咄嗟にに振り返ってから、夢を見ているのではないかと自分を疑った。
一軒家をゆうに超えるほど巨大な男が月光に照らされていた。いや、人間には見えないから男とも言い難い。何も履いていない足が俺の身長ほどはある。肌は黒い。顔の横に長く尖った耳が生え、大きく開いた口から舌がだらしなく垂れて、そこから見える牙のような歯は黄色がかっている。ぎょろついた目が俺を捉え、すぐに俺の脇の女に移った。
「ようやく見つけたぜ、女ぁ」
そう言って、男は背筋が凍るような顔で笑い、舌なめずりをした。
心臓が早鐘のように鳴り出す。危ない。本能的に思い、俺はとっさに女を見た。巨大男を見上げたまま、ぽかんと突っ立っている。
「何やってんだ! 逃げろ!」
焦って思わず叫び、駆け寄って女の手首を掴んで引っ張った。男が先程よりもっと殺気だったうなり声を上げる。俺達に覆いかぶさろうとする男の陰で辺りが真っ暗になった。走って逃げようにも男との距離が近すぎる。だめだ。
「くそっ!」
未だに動こうとしない女の身体を抱きしめ、地面に倒れるようにしゃがみ込んだ。ぎゅっと目をつぶる。
喰われる。
No.24 小川きなこ 2010/05/06 18:22:38 削除依頼
瞬間、耳をつんざくような悲鳴が辺りに響いた。驚いて目を開くと、叫んだのは巨大男だった。男の向こう側で、何かがまばゆい光を放っている。男は後方に身体を向けて、光を払うようにやみくもに両手を振りまわしながら喚いている。身体を反らしてみたが、男が大きすぎて何がいるのかは把握出来ない。
もう一度よく見ようとすると、巨大男の喚き声が一際大きくなった。眩しい閃光が男を一瞬にして包み、そして音もなく消えてしまった。白い煙がうすくゆらゆらと舞っている。辺りが再び静まり返った。
「……消えた」
跡形もない。
一瞬の白昼夢を見ているようだった。頬を垂れる冷や汗に気づき、それからいやに暴れる心臓に気付いて、宥めるように胸をさする。とりあえず、もう男はいない。襲われる心配はない。今は大丈夫だ。
No.25 小川きなこ 2010/05/07 14:16:10 削除依頼
あの日と同じ匂いのする、ありえない出来事。偶然だろうか、いや、偶然であってほしい。
本当は今にも喚いてしまいそうだったがぐっと堪えた。もう十年も前の話を、俺はまだ引きずっている。それにここにいるのは自分だけじゃない。自分のことでいっぱいいっぱいになるべきじゃない。
ゆっくり息を吐いてから、一緒に地面に倒れ込んでしまった女の様子を確認した。
「おい、あんた」
俺が声をかけると、女は肩をびくりとさせた。覗き込んで目を合わせる。女の瞳が震え、一筋の涙が零れた。
「でかいやつはいなくなった。もう大丈夫だと思う。立てる?」
「……わ……たしは、だいじょうぶ……」
と、か細い声を搾り出して、女は俺のシャツをしっかりと握りしめる。全然大丈夫そうには見えない。くりくりした目と華奢な身体が、まるで怯える小鹿のようだ。
「怖かったよな」
と言うと、女は小さく頷いた。俺より怖い思いをしているはずだ。女の手を取り、アスファルトに気をつけて立たせてやる。
「ごめんなさい……気が動転しちゃって」
女は目を覚ますように二、三度まばたきをした。しばらく黙り、何を考えているのかと思うと、俺に向かって深く丁寧に頭を下げた。
「命の恩人です」
「大袈裟な」俺は慌てて言った。
No.26 小川きなこ 2010/05/08 16:06:29 削除依頼
「いえ」
女が思いっきり首を振る。切り揃えられた黒髪のボブが夜風に揺れた。
「あなたがいなかったら、今頃あれに襲われていました。本当にありがとうございます。えっ……と」
そこまで言って女ははっと口をつぐんだ。申し訳なさそうにだんだんと眉尻が下がる。どうした? と首を傾げつつ、頭の中では表情がよく変わる子だなあと俺は呑気に思っていた。
「あの、今更なんですが、お名前は……?」
今度は俺がはっとしてしまった。
そういえば、この子とは初対面だったっけ。巨大男が現れたせいで、すっかり親近感が湧いていたのに気づいた。
「ああ……深代紫」
「ふかしろ、ゆかり、くん」
形の良い唇で女が復唱する。それから少し潤んだ瞳を俺に向け、顔面いっぱいに、幸せそうな笑みを浮かべてこう言った。
「助けてくれて本当にありがとう。西田梅といいます」
No.28 小川きなこ 2010/05/28 20:31:25 削除依頼
え……拍手……だと………!!
ほんとありがとうございます愛してます。サイダーランドはただいま奮闘中ですので温かい目で見ていただければと思います。
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