掃苔(そうたい)という言葉を知っていますか。
五月三十一日(月)晴れ。
朝食後、家族を送り出してからは、遅れている連載原稿にとりかかる。家飲みを控えてから、仕事のペースが良くなったが、それでも、酒抜きの体に慣れるまでもう少し時間がかかりそうだ。
正午より、病院へ。血圧の薬などを貰ってから帰宅。下の子供が運動会の代休で学校は休み。一緒に書店へ。書評に出ていた本が売り切れとなっていたので、面白そうなのを探していたら、あった。「墓地散歩」(石井秀一著・日刊スポーツ社)という本。タイトル通りで、歴史上の人物や著名人の墓を訪ね歩くというものだ。
著書の序文に瞠目させられるものがあった。
「掃苔ー『そうたい』と読む。この言葉を知ったのは最近のことだ。古い墓を見つけ、苔むした墓を洗い、泉下に居るであろう人物に思いをはせる。線香を一本あげ、手を合わせ偲ぶ。そんな墓地巡礼があることを知った。その対象は、功成り名を遂げた人物ばかりだが、いかなる人生もまた、墓石の大小、装飾の違いにかかわらず、その本質はただ一塊の、石と変らぬことを知らされた。人は死して、初めて平等になる。生前の栄華など一瞬の夢。凡人にとって溜飲の思いである」
この序文にひかれて、思わず買ってしまった。そもそも「墓」と言う字は、土葬をしていた頃の名残で、遺体を埋めた土にやがて草が生え、こんもりと盛り上がった、墓も遺体も、月日が経てば、皆、土にかえる。という意味を表している。
六時から、二十八日に急逝した清水常二氏の告別式が、相鉄線の西谷駅近くの祭事場で行なわれた。清水氏の逝去を悼み、全国から大勢の同志、友人、関係者の方が参列された。まだ若いご子息や、娘さん達を見ていて、思わず目頭が熱くなった。
ご焼香後は、愛国党の舟川孝氏を誘って、弔い酒を藤棚の「やまと」へ。一時間ほどで解散。自宅に戻った。
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