「訳あって施設に預けられた」という抽象的な表現の為、整理がかなり遅れた
学校では
「シセツ、シセツ」
「捨てられっ子」と言われたし
施設では
「親がいないからと言ってそれを卑屈に思うな」と言われたのに、
社会に出てから、福祉から親の扶養義務履行の書類が届いて
「施設に泣く泣くあなたを預けたたった一人の親をみてあげなさい」と言われ時に
単純にムカッときた。
「捨てといてそれはない」「自分が調子悪くなった」からといって面倒見てもらおうとする時に、今まで育てもしなかった親が親権につけこんで出てくる事に、本気でムカッとした。
でも「理由があって施設へ預けられたのよ」というケースワーカの言葉の為に、こちらは捨てられ切った気持ちを表現する事が全く出来ずにいた。「あなたの親は施設へ預けただけなのに、あなたは親を捨ててしまうの?」と言われてあきれ返った。
だから今
よその施設出身者はどうだか知らないが、わたしに関しては「捨てられた事実」を事実として正当に評価し、捨てられた者としての整理を進め、捨てない人間関係を構築する事に非常に意味がある。
施設出身者の中には、赤ちゃんポストという表現が無機質で傷つくと言ってる人もいるみたいだが、引き取られる事もなく、育てられる事もなく、親戚も現れずに施設で全部育つという事は、捨てられて続けていて、卒園時に捨てられた事実が完成したという事でもある。
簡単に捨てられたなんて表現をしていない。誰も現れなかったという事実の結果を受け取ったから、捨てられたと表現している。
どちらにしろ、言葉をどう取り繕っても施設は家庭にならない、捨てられた子も親から結果として育てられなかった。これがすべて。赤ちゃんポストをコウノトリのゆりかごにしたからといって、子捨てされた現実は変わらないのだから、それよりも早く里親家庭、あるいは特別養子縁組をしてほしい。
「預けられた」という曖昧な表現を使うから里親委託は鈍るし、施設全部育ちは自分の過去の整理を、親から捨てられた事も含めて整理するのが遅れる。無機質だろうが優しかろうが、その実質的内容が、それ以上でもそれ以下でもないんだから、本人が現実を把握できるようにしてくれればいい。
又、捨てられた事も「きちんとした里親家庭で育てられれば」捨てられても引き取ってくれた人がいたという事実を芯として、少しずつ理解していけるようになる。反発は一瞬あったとしても、結果的には親が自分にとってどんな事をしてくれたか分かるのだから、やがて理解できるようになる。
後は里親家庭ごとの問題だと思う。それを超えれば里親制度の問題へ引き上げる事もできる。
問題は、一度も家庭で育てられた事のないオール施設育ちの場合だ。
家庭を一度も体験せず、里親家庭にも、親戚にも引き取られる事もなく施設を出た者が捨てられたと自らを表現するのは、何も、いじけて言ってるわけじゃない。傷つきようもない現実だ。
施設全部育ちとして思う。
きれいな包装紙に包んだゴミ箱だってゴミ箱なんだ。
施設で全部育てられた自分を「預けた」と表現する事は、家庭を知らない集団養護の無愛着な自分の育ちを正当化し、自分も子どもを施設へ「預ける事」へのハードルが非常に低くなるという事。
少なくともわたしは、子ども時代の全てを「預けられた」という言葉でごまかされたくない。
施設育ちと言っても、最後は性格の違いだと思う。わたしは現実主義だから親子幻想には気持ちが向かなかった。
| 養護施設を出てからの問題 | 08時43分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

他の施設育ちに気遣いは無用かも
あまりに多彩な施設出身者の姿を見ると、こんなにたくさんの種類の措置理由があるのに、ひとつの場所に乱暴に詰め込まれていたんだと改めて納得。
| レイ | 2007/05/19 05:51 | URL | ≫ EDIT