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わたしの罪と絆なき者同士の虐待の連鎖に関するまとめ

施設にいる間の問題

前編 を読む

更正施設でさえない養護施設

 養護施設にいる児童は、養護施設にいる間に虐待の連鎖をしない事を常に考える必要がある。施設の子は子どもを生んでからじゃ間に合わない、施設で年長になった時点で多くの幼児や低学年に囲まれて暮らしているのだから・・・。

 養護施設を更正施設じゃないと叫んでいる職員がいたけれど、厳密には更正施設としての実質的機能もないのが児童養護施設だ。家庭裁判所から保護処分で児童養護施設へ送致されてきた子に対して、児童養護施設は打つ手がないという印象だった。かといって家庭的機能もないのだから困ったものだ。

 職員も「施設は更正施設じゃない」と騒ぐヒマがあったら、児童間における虐待の連鎖を防ぐ事に現実的対処を望む。子どもの未熟な意識を「子どもたちを信じていると称して」丸投げするのでなくて、きちんとした虐待の連鎖に関する知識を持ち、たとえば、要養護と虐待された子や虞犯少年は違うスペースで生活できるような配慮をし、それぞれに応じたケア・矯正プランを適用できるようにしてほしい。親が育てられない子については、里親委託を進めてほしい。

無愛着な養護施設内虐待

 さて。

 前編で書いた先輩と性的な時を過ごしたからといって固定された仲ではない。児童養護施設ではむしろその逆で、誰でもいい、その時、そこにその子がいたかどうかが問題である。

 施設では虐待も無愛着であり、絆なき者特有の後腐れのなさであり、それが結果として施設内における虐待とはどういうものか分かりにくくしている要因でもある。

 確かにトラウマを抱えた者たちが同じ場所に100人以上住んでいる事を考えれば何も起こらない方がおかしい。常にいつでも手が届く幼い子たちは自分の人生には全く関係のない他人なのである。つい、ちいさい子相手に自分のトラウマを吐き出してしまう気持ち、分からないわけじゃない。

性的な虐待をしそうになった体験

 ある日、前兆もなく急に頭がおかしくなった。

 小さい子のカラダを調べたくなった。日々自分のカラダに感じる違和感と、目の前の幼い子のカラダに関する強い興味と・・・。いや、理由付けをしても分からない、何故そうしたか分からないというのがほんとのところかもしれない。

 結論からいうと、わたしはその子に対して、屋上に連れて行ったものの何も出来なかった。

 「しなかった」というと御幣がある。そこまで明確で強い意志があったかどうか不明だ。「わたしはその子に何もできなかった」のだ。

 1つはその頃施設内で「汝 姦淫するなかれ」という聖句が読まれていたせいもある。わたしが何故、他の人が犯す罪よりも自分だからこそ犯す罪の方がより重いと思い込んでいたかは今でも分からないが、わたしはその時、そう感じ、自分がしようとしている事がどんな事か理解していた。

 今思うと脳内で姦淫していたのだから罪は罪なのに・・・。

 そしてもう1つはその時にフラッシュバックによって同じシチュエーションを思い出した事による激しいうろたえがあったから。

 屋上で2人きりで空を見ていたその時、自分と先輩の出来事が急激に蘇った。忘れていたのに太陽を見ていたら蘇った。同じ屋上だ、同じ手すり、同じシチュエーション。ピカソみたいな太陽。そして、太陽にあぶられて真っ赤な顔をしている女の子。

 わたしはドキドキした。屋上に連れてきたその子はあまりにあどけなかったし、きょとんとしているような不思議な目をしていた・・・。

 でもだんだん、その目に責められているような気持ちになってきた。

 内面的な葛藤が強くなっていく。

 『だって先輩はやめてくれなかった。やめてほしいとも言わなかったから今頃になってこんな気分になるのはズルイかもしれないけれど、でも先輩は自分が吐き出す事に夢中で、こちらにも心がある事を察しようとはしなかった』

 自分の整理できない気持ちに負けるかそうでないか、ほんとうに紙一重だった。

 どちらかというと「やらない理由よりも、やっても仕方ない理由の方がゾロゾロ出てくる状況」だった。

 だから、しなかったのではなく、出来なかったのだ。たんに、過去を思い出した為にうろたえ、何もできなくなった為に我にかえっただけであり、情けない現実だ。

 それと同時に「その子に手を出すも出さないも、わたしの意思にゆだねられている」というのを非常に強く感じた。

 やめられなかった先輩をどこかで意識していたのだろう。

 先輩に天罰が下るかどうか知らないが少なくともわたしは神の臨在を知る者として犯す行為となるわけだから。必ずや他の人が受ける裁きよりも重い裁きを受けるとも思った。(ずいぶん傲慢だけど)

 ひとりで悶々と考えてるうちに、その子は元気よく屋上で飛び回っていた。

 「下のお部屋へ戻っていい?」と聞いてきた。

 その言葉で、変なフィールドというか、場が破られた気がした。空間も風景も普通に呼吸できる場所になり、思いつめていたものが消えていった・・・。

 わたしは、その子をそっと(緊張しながら軽く)Hugして下へ連れていった。

 ・・・結果として虐待の連鎖を防ぐ事ができた。でもその時に思い知らされた。

 もし「今度こうなった時に、又、何もしないでいられるだろうか・・・」と思うようになった。子どもが近くに居続ける世界で、わたしは虐待者にならずにいられるのだろうかと・・・。

 わたしは、養護施設という子どもだらけの世界にいたので、結婚・出産というルートを辿らなくても、虐待の連鎖について考えるきっかけを持てた。

 それと同時に、自分が理由もなくおかしくなる癖を自覚しなければ、同じ場面に何度も何度も向かいあう事になる現実を突きつけられた。

この事を通して自分なりに整理した事

 子どもが多い環境で生きるという事は、虐待の連鎖をたやすくさせる要因でもある。特に児童養護施設の子は、問題を抱えた子が一箇所に集められ、適切なケアも受けていないのだから。

 だからといって、他の子の人生に、兄弟でも姉妹でも家族でもない相手に自分の一方的な怒りを吐き出し、自分と関連のない相手の人生に自分の影響を残すべきではないとも、その頃強く思った。(家族間ももちろんいけない事だが、この記事では養護施設の問題に特化しているのでラフに表現しています、失礼)

 そして、全ての子が自分と同じ考えへ至るわけじゃない事は先輩の行動を考えてもよく分かる。だから施設内で自浄作用など期待すべくもない、子ども任せでは何も解決しないという事がよく分かっている。
 
 だからもう施設を家庭などと言わず、治療・更正・との両面から強くサポートできる機関にしてほしい、施設に要養護児童を任せておけない気持ちに変わりはない。

 引き続き要養護児童を里親家庭へと強く願っている。

|  養護施設にいる間の問題 | 05時13分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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