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「荒ぶる虞犯少年の気持ちを察する」事への内なる抵抗感

整理中の課題&記事

 この記事この記事の続きです(#何故かそれぞれ微妙にカテゴリ違いですが)

 「好きで不良になったわけじゃない」という気持ちを察しようとすると、内なる抵抗感が強すぎて、現段階ではとても無理だと気付いた。数年前から虞犯・触法少年たちに関する記事を書いてきて、そのたびに激しい表現を用いてきた。

 本来なら大人なのだから「少年達の、孤独で辛い事情も判ってあげなさいよ」と自分を励まそうとしてきたが、そう思えば思う程、怒りのドツボにはまる。理性では「彼らの事情を把握」しているが「彼らの気持ちを察する」事は、今のところ到底できそうにない。

 という事を、施設以外に行き先が無かった元・養育放棄児童として告白しておこう。

 もちろんブログ上で激しい表現をする事の免罪符として本音を語るのではなく、現段階での自分の心理の限界に関する説明であるという事。

 そしてもう1つ、自分は施設で虞犯少年から虐待された記憶を全然持っていないけれど、常にガラの悪い彼らと共に住まなくてはならなかった選択肢のない施設生活は、それなりにストレスだったのではないかと思う為。今は無理に彼らの気持ちを分かった風には語れないのだ。という事の説明のつもりだ。

 だから、彼らの立場に視点を置ける人に今は任せるしかない。わたしはわたしで、養護施設しか行く場所がなかった子どもたちの視点を持ち続けよう。

 大人である職員から虐待されたら、その行為が虐待であったと判れば尚更、その職員の気持ちを察する必要など全くない。虐待者はあくまで虐待者であり、その行為を受けていた被虐待者は、加害者の気持ちを慮る(おもんぱかる)必要などない。

 大人がした事を子ども側が察しようとする限り、虐待を受けた、被害を受けた側のかつての子どもは正当な被虐待者としての整理が進まないと思うのだ。

 それでは一方大人の加害者ではない、虞犯少年から加害を受けた時、彼らの気持ちを察する必要があるだろうか。

 たとえば乳児院からいたある子は、虞犯の女子から「モップ代わり」にさせられたり、金属バットで殴られたり、通路に連れ込まれてリンチを受けたりした。これは実話だが、その話を彼女がした時、「全くどんな理由だか知らないけど、やられた方はたまったもんじゃありませんね」と言った。

 やられた方は理由などどうでもいい、ただやらないで欲しかっただけ。ただ自分を殴らないで欲しかっただけ。それは小さな子から見れば職員も年上の虞犯少年も同じ加害者という括りでしかない。

 わたしの断片的記憶では、彼らがしきりに「今なら少年A♪」と言っていたのを覚えている。彼らは自分が子どもである立場を知っていて悪さをしていたのだ。
 
 ならば、やられた方の子の怒りはどこへ向うのだろう。

 たとえ虐待が判明しても、一番小さい子は、ただやらないで欲しかったという気持ちを抑圧するしかないのか。「少年である相手の事情も判ってあげなきゃ」という周囲の暗黙の諭しの為に、言えなくなる事は問題ではないのか。

 加害者が大人の場合と、少年の場合ではこんなにも違ってしまう周囲の反応。だから施設内での被害者が被害者としての正当な怒りを吐き出せないという事が延々と続いているのが養護施設のもう1つの側面だ。

 大人の職員に対してなら、虐待が判明すればどんな事情があろうが子どもを暴行したらいけないと世間からもバッシングの対象になるのに(もちろん、それは観念上の話であり実際は言い辛い)相手が虞犯少年となれば、急に保護対象になってしまい、被害者側にも加害少年の事情を理解させようとする。

 受け続けた方(かつての小さい子)はたまったものではない。

 養護施設における少年の加害は、このような扱い難さに押し隠されて見えなくなっている。養護施設が荒ぶる少年達の暴力行為に対処できる場所ではないという事、少年達のリンチが野放しになっている施設があるという事、これらは施設へ保護されてしまえば見えなくされてしまう。何よりも職員自らが、子どもを殴り続けている施設の環境では、たとえ少年達に殴るなと注意しても説得力がない。

 暴力を受けた被害者は被害者として悔しい気持ちや怒りを、語ってくれたらと思う。例え、相手が家庭で虐待を受け続けた少年達だとしても、そのような少年達から施設内で虐待を受けたかつての施設の小さい児童は、たとえ大人になっても「少年たちの事情を」無理に理解する事は難しいと感じている。

 又、今現在施設に入所している子が、虞犯少年達からイジメを受けているだろう事が想像できる為、まずはこれらの事について口を開いたり、書くなどしてスピークアウトするチャンスとスペースを作り続ける作業が必要だと感じている。STOP!施設内虐待

 又、無理に理解を示す事は施設での暴力の正当化につながり、自分が未整理だったとすると、子どもが出来た時にしつけのつもりで、自分がされた事をしてしまう。虞犯少年の心理を慮る危険性を、かつての被虐待児は内に抱え続けているという事だけは訴えたい気持ちだ。
 
#整理中なので不快な表現等あるかもしれないと思います。表現が難しいです。「現時点での」養護施設内での虞犯少年・触法少年たちにに対する、施設育ちとしての認識です。

|  整理中の課題&記事 | 02時54分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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