PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

「家庭育ちの夫が持つ『家庭的な女性』の定義」をごく普通と言い切られる困惑

養護施設を出てからの問題

家庭は勉強する事じゃない、身に付けるもの


 わたしが大人しそうだったので(自己主張がなく控えめ)「家庭的な女性」だと勘違いして結婚をしてしまった夫に「家庭的な女性って何?」と改めて聞いた。彼は数年前は「味噌汁をうれしそうに作るエプロンが似合う人」と言っていたが、


 今の彼は、「家庭的な女性というのは思考や生き方が常に家庭に愛着を示している状態で、それを喜びとしてごく自然に感じられる人、家庭を優先順位の第一に考えられる女性」と言った。

 このように答えたのはWolfやMariaとの数年越しの整理作業を横から見てきた結果かもしれないし、自分の母親を第一に想像すると出てくる定義なのかもしれない。夫は「メンタル系は面倒くさい」と言うので、この整理作業には一切加わった事がない。加わってはいないが進捗状況は夫として把握したいので、自分の口で整理した思考を彼に伝えてきた数年だった。


 でもそれはWolfやMariaに任せ切りとも言えるし、自分自身は面倒なメンタル系に手を付けず、結果だけを受け取ろうとする、おいしいとこ取りなところがあり、少しズルいと思えなくもない。


 彼は「自分をのび太のような性格」だと言っている。その意味はよくわからないが・・・。


 「家庭の人は、ゆるぎなかった親からの愛情の貯金を自分の子どもへ注ぎたい。その思いはとても強くて、結婚した女が小さい頃、親がいたとかなかったは関係ない、それよりもオレの子を生めるか生めないか、母になる気があるかないのか」という事だそうで、これは家庭育ちとしては当たり前の感覚だと言っていた。


 そうなんだろうか?


 家庭育ちの当たり前の感覚の中の「家庭的な女性」の定義は、家庭の人ならばみな持っているのがデフォルトならば、やはり児童養護施設じゃ身に付かない。身に付かない事を普通の家庭の人はデフォルトで持っている。


 大人になった施設育ちが泥縄で身につけられるものじゃない。


 彼は「大人に対して家庭とはこうだ、ああだと教える気にならない、自分が自然に受け取ってきた家庭の感覚を俺自身が勉強しなおして、君に教える義務も責任もないよ、家庭の感覚が今までの整理作業で身に付いたのなら、早く時間がないんだから子ども生んでほしいよ」の一点張り。


整理作業は魔法の作業じゃない


 いや、整理作業で都合よく何かが身に付いたと思うのは短絡的じゃないだろうか。と内心で思った・・・。


 確かに整理作業の結果、頭の整理がスムーズになった、情報処理が的確に行えるようになった、知らなかった情報のデータベースを使えるようになったので、新しい認知に結びついたが、それが家庭的な女性になれる魔法の整理作業ではないとだけ、もごもご答えようとしたが、夫の怒りが増大しているので、うまく答えられなかった。


 自分が全く参加しない整理作業の結果待ちの態度では、まずわたしから全幅の信頼を得るというのは無理がある。でも彼は、


「同じ屋根の下に住んでいる人は信頼できる人」と考えているので、とくに整理をを必要とせず、阿吽の呼吸があり、話をしなくてもなんとなくセックスをして何となく子どもが出来て何となく育つもんだと言う。


 同じ屋根の下に住む人は無条件で信頼できる家族というのが前提にある人に、同じ屋根の下に住む他人同士という感覚をデフォルトで持っている自分では、心的な開きがありすぎるのは当然だと感じた会話だった。


 だからといって「子どもを作る気があるのかないのか」と当然のように責められると、これはなかなか参るので、早く休日が終わってくれないかと逃げの心理になる、これはオフレコにしたい本音。

|  養護施設を出てからの問題 | 07時47分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/181-f68f3722

PREV | PAGE-SELECT | NEXT