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STOP! 犬猫に「里親」名称

スタンス

 この話は、やはりわたしとMariaのスタンスから外せないので、改めて、キャンペーンの一つとして発信していこうと思う。といっても、バナーをつくり、気持ちのある方に貼っていただけたらと思うレベルでしか発信できないが・・・。

 たとえば、こういうのを作っている。

 bana-stopinunekosatooya

 
 この時点で正規ばなーではなく、試験的です。まだテスト中の画像です。そのうちちゃんとUPできると思うけど表示試験。・・・ストップ!が多い・・・。でもこのスローガンに対して動物の写真を使うのはあざといと怒られそうだが。人間の子の写真を気楽に使えないのでこうなった。

 以前、ある犬猫里親探しをされているサイトの方に、名称を改めてほしいと抗議した事がある。(その時の記事が今見当たらないが、見つけたらリンクします)

 その時に何故わたしが噛み付いたか、何に反応したかの大体の経過はこうだった。

 『捨てられたワンちゃん・猫ちゃんが養護施設に保護されています、里親さんが見つからなければ、処分されてしまいます。私たちは、この現実に対して、活動をしてます』

 という文章を一通り読んだ時の気分は、けっこうたまらないものだった。犬猫里親ブログやサイトがあまりに多すぎて、実は全ての発信者に抗議をする時間的余裕がない。

 その時、その方の表現にどうしても許せなかったのは「養護施設」「処分」「里親」という言葉が効果的に利用され、養護施設にいて、里親も見つからず、処分されたかどうか定かでない過去を持つ自分としては、どうしても見過ごせなかった。これは、犬猫養護施設=保健所、あるいは犬猫保護センター。里親=飼い主、ではないだろうか。

 無自覚に、里親が来なければ処分という表現を使うが、これは飼い主が見つからなければ、処分という事だ。そのように表現を擬人化する事をやめていただきたいとお願いした。
 
 幾多のやりとりを経て、その方は表現を変えて下さり、心から感謝した事がある。今はもうどのサイトか忘れてしまったが・・・。

 里親さんの立場では言いづらい事をどこまで察知できるかわからないけれど、気付いた事からフォローアップできるようになれたらと思う。犬猫を軽んじているとか、そんな話じゃない。そういう問題じゃない。

 「人は人として扱われる事で人として生きていける」

 というコンセプトを持っているので、子どもの人権の根幹の「家庭で育てられる権利」が、まず、人間としての権利である事を基本条件としてすえたい。

 世の中には自分が人間であると気づかずに生きる子もいる。そのような子が「あなたは人間だよ」という事実を伝えたい。
 
 そして、人権とは人専用の権利である事を当然至極の事を再確認していきたい。

 多くの、ペットを飼っている人は、飼っているペットに対して、自分は人間である事を当然疑わない。自分が人間である事は当たり前でその事を前提にしてペットを擬人化している。

 そして(人間であるという自覚を持っている)人がペットに愛着を持ち、やがて「人」のように扱う事で癒されるのかもしれない。
 
 それでも

 飼い主さんがが何気なく表現している動物に当てはまるキーワードは、そのまま人間も当てはまる場合がある。

 人間として生きる定義の作業中である親から捨てられた子にとっては、人権がゆらぎかねない表現である事を・・・。子ども達に「あなたは人間だよ」と教えている人たちにとり、容赦ない表現である事を・・・。
 
 わたしにとっての優先順位は自分が人類な為、当然人権が尊重される事を願っている。

| └ スタンス | 08時31分 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

Mariaさんへ

>命は平等だという人たちがいる。だったら、人間の子どもを犬に育てさせるのかしら。

なるほど。これはものすごく分かりやすい比喩ですね。
平等であれば、その関係は対称性を持つはずだから・・・

そう、ペット=愛玩動物に必要なのは「飼い主」であり
人間の子供に必要なのは「親」である。
そして親は「飼い主」であってはならない!!

そこには画然とした違いがありますね。

ついでに親が子供の飼い主ではない、ということを忘れている親や教育・養育者は多い気もしますが、そこが問題なんですよね。

いろいろと納得すること多し。

| 2月うさぎ | 2007/05/07 21:53 | URL | ≫ EDIT

 2月ウサギさん、こんにちは。

 あたしは、人間の子どもと、動物の子どもが溺れていたら、人間の子どもを助けるわ。

 動物の子どもは、あたしが危険でなく、助ける余力があれば助けるかもしれない。

 でも、自分の命を危険にさらしてまで助けようとは思わないわ。

 人間の子なら、なにも考えずに助けに行くけど…

| Maria | 2007/05/04 23:23 | URL | ≫ EDIT

 2月うさぎさん、こんばんは

>ただ、優先順位というということは私の場合人間と動物の間にくっきりした一線は引いていないわけですがレイさんの感覚だと、この辺はどうなのでしょうか。

 わたしは、ここでは里親名称についてのスレッドなので、里親名称を使う場合に限り、人間と動物の種族の違い のところで区分けしています。
 

| レイ | 2007/05/04 23:17 | URL | ≫ EDIT

お久しぶりです。

私は猫を飼っていますので
ペットといわれるものが飼い主にとってどれだけ擬人化したいものであるか
その気持ちも分かります。

それでも動物の際限ない擬人化には確かに問題を感じます。

動物愛護団体(特に英・米かな)などが
イルカや鯨について過剰な反応をするのを見ると
そういう君等はアフリカ大陸の人々をペット以下の扱いで、それこそ使役動物として扱ってきたではないか
黄色人種を(絶滅危惧種ではない)サルレベルに侮蔑してきたではないか
と皮肉を言いたくなります。

勿論動物だってむやみやたらに殺したり、
慰み物し、虐待していいわけではない。

ただ、要するに優先順位がどうかということが問題なのではないかと私は考えています。
人間をずさんに扱っておいて
特定の動物だけを“差別的に”かわいがる・・・どこかおかしい。

ただ、優先順位というということは
私の場合人間と動物の間にくっきりした一線は引いていないわけですが
レイさんの感覚だと、この辺はどうなのでしょうか。

人間の尊厳、という言葉を理解するうえで
この辺を厳密に整理する必要を感じます。

| 2月うさぎ | 2007/05/04 21:34 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、バナーを作ってくれてありがとう。

あたしのブログにも張らせてもらうわね。

本当にLeiちゃんの書いてくれたとおりだわ。

 施設に収容され、飼い主が引き取りに来てくれたら家に帰れる犬とネコ。引き取りに来ない動物はガス室送り。いまは苦痛のない二酸化炭素だというけど、窒息死だから苦しむと思うの。
http://www2.odn.ne.jp/fes/page018.html

 こんな動物たちに必要なのは、「里親」ではない。決して捨てない飼い主が必要なの。

 片や、親が育てられない子どもたちも、収容施設にいる。人間の収容施設で暮らしている子どもたちが、施設から出れるのは、親が迎えに来るか、満年齢で措置解除になるとき。ガス室送りは無いけど、愛情も、大切にされることもない。

 運のいい子は、里親家庭に行ける。だけど、それは、社会的養護の子どもたちの7%だけ。残りは、子ども時代の大半を収容施設で暮らす。

 だから、犬猫の話と、人間の話をゴッチャにしないで欲しい。人間にだけ使う言葉を、動物に使わないで欲しい。
 施設で暮らす子、里親家庭で暮らす子には、人間としての尊厳がある。
 動物に「里親」という言葉を使うことは、社会的養護の子どもたちの尊厳を犯すことになるの。子どもたちを動物と同じ扱いに落とすことになる。

 命は平等だという人たちがいる。だったら、人間の子どもを犬に育てさせるのかしら。平等や対等という言葉は、立場を入れ替えてみれば、本当にそうなのかわかる。

 Edwardさんが意見書で書いていたけど、里親名称の独占を法律で定めて、人間以外には里親が使えないようにして欲しい。

 保育士は、数年前の児童福祉法の改正で、名称独占が定められ、保育士資格を持つ人以外は、保育士と名乗れなくなった。

 里親も同じように、里親登録資格を持つ人だけが里親と名乗れるようにして欲しい。そうすれば、間違っても、動物に「里親」なんて間違った使い方をせずに、正しく「飼い主」といってくれると思うわ。

 Leiちゃん、
「里親の名称独占を!」
も、どこかに入れたいわね。一緒に考えようね。

| Maria | 2007/05/04 02:08 | URL | ≫ EDIT














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