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何でも許可制の児童養護施設育ちのやっかいなフィルター越しの視点

養護施設にいる間の問題

心の癖というフィルター越しに家庭の子を見たら、有無を言わさず全員正座なんです!

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 いつもドキドキするのは、レストランなどで子どもの姿を見た時、一瞬だけ焦る気持ちになる。「子どもがこんなレストランにいるのは変」と思ってしまう。そして、みんなが連帯責任を問われるような、怒りに似たものがこみ上げてきて・・・。

 しばらく経って、

 自分の考え方、自然に湧いてくる心の癖や否定感覚は、養護施設内でしか通用しない感覚である事に気づき、なんとも複雑な気分になる。「気分」というのはやっかいなものだ。たぶん一番ノーマークな無自覚領域なので、自然に浮かんだら、自分で分析して、いらないものは排除するしかない。でも排除した後もなんだか妙な虚しさは残る。

 何でも許可制の児童養護施設では、家庭の子に許されている自由領域のどれくらい許可がおりるんだろう?前例を作らせない事が施設の使命だから、どんな小さな自由もいちいち許可制になる。

 もし自転車で外を走るのに自転車に乗る為の免許(いちおう道交法に即してる)を取得し、許可が下りたら三十分以内に帰園のルールの中で、何とか外を走り回って帰れれば、ものすごい自由を手に入れた事になる。「自転車に免許?」と笑われもするが、それでも自由の為に子ども達は果敢に挑戦していたような気がする。

 地域のクラブ活動なんて絶対ありえない。施設対抗バレーボール、マラソン、野球大会は全て施設対抗の為に向かわなくてはならず、地域の子どもたちの和気藹々とした健康家族的な雰囲気にくらべ、どこか施設の子のスポーツは闘魂過ぎて悲壮にすら感じる。

 早朝の、まだ群青色の濃い空の下、マラソン。

 それを拒否するには許可がいる。許可など下りるわけがない、誰もみな早く起きていらぬ訓練なんかしたくない。それを素直に心のままに語ったら怒鳴られるに決まっている。だから誰も言えない。

 施設生活で許可制なんて、形骸化している。それでも施設側はきちんと子どもに選択させていると言い張るだろう。あるのに使えないシステムは、外に向けての施設側の人権に配慮しているという為の言い訳。

 子ども達が(仮に)しごきのような施設内クラブ活動をやめる為にも許可を取ろうとする。でもそんな許可は下りるわけがない。こういう時ばかり民主政治を謳い、多くの子がそれを望んでいる為、たったひとりの意見は採用されない。

 それなのにこども達には選択肢があるという。子どもがそれを選択しなかったのだと言い張る。この微妙な駆け引きがわかるだろうか。結果的に子どもはいつも駆け引きを知らずに真っ向勝負なので惨敗するしかない。

 大人はずるいし、うまくやる。あまりにうまくやるので、子ども自ら選んだようにしか見えない。施設の子は何も知らない。大人に使われるばかりで大人を使うやり方を知らない。

 街で子どもたちが、自転車に乗り、買い食いをし、笑い、楽しみ、生きるのを見るだけで、とても複雑な気持ちになる。この子たちは当然の行いをしているのに、すべて許されない事をしているように思えてならない。
 
 「ちゃんと許可とったの?」と声を掛けてしまいそう。

 でもきっと、

 「なにそれ?」
  

 と言われて、立ち去られてしまうだろう。

 施設では、全てはイベント越しにしか体験できない。家庭の子にとってほんのささやかな自由も、施設の子には施設側がお膳立てしてくれて「おかげで僕達は楽しくこの場所で遊ぶ事が出来ました」と、大仰に感謝の文章を読み上げなきゃならないような、塀の中でもあくまで人道的であると表明するためのイベント的な自由。イベントなのでハリボテの仮の舞台でいい。

 メディアが居なくなれば、施設の子には施設の日常が待っている。だから家庭が身に付かないのは当然なのだ。

 わたしはまだまだ、世間の子のフリースタイルに対して対処できない、驚きっぱなしだ。 それは職員がよく口にする「ここは養護施設なのだから、家庭じゃないのだから仕方ない」という理由で溜飲を下げ続けてきた事から来る心の癖によるものだと認知しているとしても・・・。

 ささやかなものこそ、あまりに遠い。夫が「普通はね」と切り出そうとする度に・・・ますます遠くなる。

 追記

 この文中に出てくる「許可」というのは、外出を例にした場合、家庭の子が「お母さん、ちょっと遊んでくる」と軽く声を掛けるような事じゃなく、施設の子の場合は外出一つも自由に出来ないところが多く、その許可を取ろうとする時に「ちょっと遊んでくる」という理由では許可されず、よほどの理由を伝えなくてはならず、心臓がドキドキと激しく打つような、許されない事を何とか許してもらおうと許可を取ろうとするような、心の重さと連動した「許可」であり、自分の中にある施設イメージからくるものです。

 心の癖というやっかないフィルターごしに世の中を見ると、色んな外の子ども達の行動に対して、自然に湧く気持ちを分析したものです。もっと自由な?施設もあるのかもしれないので、主観である事をお伝えしておきたいと思います。

|  養護施設にいる間の問題 | 11時07分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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