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里親という生き方の4つの体験記を読んで

気になる記事のCLIP2007

参照元:http://www.carinavi.org/ja/project/satooya/

info firefoxでアクセスすると4つの記事へリンク先が、ソースが表示されてしまいますがIEならば普通に記事を読む事ができます。

 里親いちばんさんが、数日前にご紹介してくださった(ありがとうございます)HPの記事をようやく読み終わりました。4つの家族のそれぞれの形に応じた体験から発信しているので、興味深く読む事ができました。ありがとうございました。
 

日野さんの体験談から引用

記:日野さんも、大変なことを経験されたんでしょうね。

日野さん:そうですね。一部の子に家のお金を持ち出されたこともありましたね。でも、それはその子にとって生きるための知恵だったんです。それまでの生活というのはたった1人で生きているようなものですからね。自分でしか自分を守れないと感じて、そういう行いに走ってしまうのです。

記:家のお金を持ち出したことが分かった時、日野さんはどう対応したのですか?

日野さん:もちろん、その場では「もうするな」ときつく叱りますよ。でも、お金を持ち出すことが習慣になっていて何度も繰り返してしまいますので、「ここではそんなことしなくても生きていけるんだな」と本人が気が付くまで待つしかないんです。そういう行為を繰り返す過程で、口には出しませんけど「こんなことを何回やってもお前を離さないよ」ということを伝えていきました。それが子どもにも伝わってくると、だんだん悪さをしなくなってきましたね。


 何でも養護施設の話を出して申し訳ないが、もしここが養護施設だったら、この子は自立支援行きだと思う。切なくなるがとても印象深い言葉だった。「そんな事をしなくても生きていける」という感覚は、頭でわかっていても感覚がついてくるのは更に数年、下手をするとずっと続くかもしれない。施設に住んでる子が何をやってもムダと怒りを膨らませるのと、里親家庭でだんだん悪さをしなくなるというのは、意味が違うように思える。


金川さんの体験記引用

 奥さん: 例えば、施設では、子どもに関わる職員は時間や曜日で交代制なので、子どもが前の日に話した内容が次の日にも通じるとは限らないですよね。それが家庭だと、前の日も次の日も家族が子どもの様子を見ていますので、話が通じやすいと思います。また、施設では毎日栄養士さんが作ってくださるご飯が用意されていますが、家庭だったら、お母さんが疲れてご飯を作れないときには、お惣菜を買ってくることがあります。お父さんが酔っ払っている姿を見る日もあります(笑)。そういう人間の素の姿に接することができますよね。そして近所の人に挨拶したり、声をかけられたりというような地域とのつながりも家庭で生活しているからこそ分かることです。これを経験してこそ、子どもが社会に出たときや自分の家庭を持ったときにどうしたらいいのか考えられるのではないかと思います。

 記:確かに、自分が家庭を持つときになって、お手本となるのは、自分が育った家庭なのかもしれませんね。

 奥さん:だから、今回のケースで言えば、育てる側にとっては数年のことだけれど、その子にとっては家庭で育てられた経験が一生の宝になることだと思って一緒の時間を過ごしました。私は里親を始めたときに子育てが下手だと落ち込んだこともあったけれど、少なくとも「地域」と「家庭」という経験はさせてあげられると思いました。大人がいい種をたくさんまいていてあげたいですね。


 これは普段Mariaと共に力を込めて書いている部分に沿うような内容でうれしい。少なくとも施設という世間から切り離された世界じゃない、地域と家庭で育ててほしい。将来を担う子どもたち、中でも将来の子どもを育てる事になる、将来の親としての力を身につけさせてあげてほしい。頭が下がる記事だ。


横田さんの体験記を引用

記:信頼関係が生まれると、怒ったことも理解してもらえるようになるのですね。

 横田さん:そうですね。子どもと親の間で信頼関係ができていないと、怒ってもそれが生かされずに、憎しみに変わってしまいます。でも、もし信頼関係があれば、怒られた直後は悔しいと思いながらも、理解できるようになります。ただ、どんな場合でも、注意した後のフォローは大切にしています。注意した後は、子どもになぜ怒ったのかをきちんと説明します。そして自分が悪かった時は謝ります。

 親の権利で自分の意見を押し付けてはいけないですよね。親が正しいかっていうと全くそんなことはありませんから。きちんと話し合うと、子どもたちも自分の意見を色々言ってきます。最初のうちは、子どもに「お母さんは絶対に謝らないね」と言われていたんですよ(笑)。

 特に年齢の小さい子どもに謝るということはなかったですからね。でも子どもにそう言われてからは反省して、今は年齢に関係なく、自分が悪かった時は謝るようにしています。上の子どもたちには「お母さん変わったね、子どもの意見を最後までだまって聞けるようになった」といわれます(笑)。そう考えると、「本当に子どもに育てられているなあ」と思いますね。子どもたちとかかわりながら、人として成長させてもらっています。里親をやらなかったら気づかなかったこともたくさんありますし、こんな大切な経験はできなかっただろうと思います。


 横田さんの怒り方はわたしが見たことない怒り方。叱るという部類に入るのではないだろうか。怒る、激昂する、興奮が止まらない、自己抑制できない、獣のように暴力を振るう大人を見てきているので、理性できちんと対処できる大人の考えを子どもに見せられる大人はそれだけで価値がある。


木村さんの体験記を引用

記:「親ばかになったなぁ」と感じられたのは、最初にその子に出会ってからどのくらいの時間が経過したときでしたか。

 木村さん:私は毎日施設に行っていましたから、3回目くらいです。夫はまた違う思いを持っていました。普段はあまり話さない人なんですが、「どう思った?」と私が聞くと、もう最初から親ばか状態だったようでした(笑)。

 主に施設に通っていたのは私で、夫は仕事の関係で土日しか施設にいけませんでした。私が親ばか状態になると、施設の担当者の方もそれを感じて、当然「もうゴールが見えた」と思うようになります。ですから、私は夫に「このまま続けて面会に行くと、もううちで引き取ることになると思うし、これから先に進んだ後で『私やっぱり辞めます』って言ったら、保母さんたちにがっかりされてしまうわ」と相談をしました。

 すると夫は「僕は最初に会ったときに、この子がかわいいと思ったよ」と言いました。それで「あぁこの人は最初から親ばか状態だったのね」と思いました(笑)。


 里親さんでも親ばかになるケースがあるなんてびっくりした。バカ親ならいるような気がするけれど親ばかというのは違うものなのか、想像つかないが幸せそうな記事なのでうれしい。

コメント

 養護施設で全部育てられた子ども達は、これらをすべて自力で勉強せねばならない。だから、あまり考える事をしない施設育ちの子はつぶれていく、情報を集め、情報をカテゴライズし、情報の分析をし、その情報をきちんと利用できるようでなくては、このような高度な家庭力を勉強しようとするのは難しい。

 一連の体験記を読んでいるだけで、それぞれの家庭が里子にどれだけの時間と熱意とを掛けてきたか見えてくる。どうりで集団管理の児童養護施設が自動養護施設(オートメーション)に感じられるのだ。

 やっぱり人の手が入っているものはいい。野菜も果物も工芸品も、人の手のひらの温もりが感じられる素材感のある子育てが今とても必要だと感じる。人肌を知らなければ人肌がなくとも生きていけるようになる、でも、それでは子育てはできないのだ。

|  気になる記事のCLIP2007 | 18時44分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

里親ですか?

里親ですか?

| BlogPetのお勉強中のちび | 2007/04/29 10:17 | URL |

体験記の持つパワー

 ありがとうございます、里親いちばんさん。施設出身者の立場では頭がついて行かない記事なのですが、里親さんを応援する立場では、とてもよく示唆に富んだ話だと感じ、読ませていただきました。

 やはり現実に即した話にはパワーがあります。里親いちばんさんが引用された部分も、気持ちがうまく表現できなかったのですが、少しずつ形になってきたように思います。
 
 それにしてもすごい。養護施設の職員・保母は「できる範囲の中で平等に」という意識が常に感じられるのに、親ばかになるんですから、すごいとしか言いようがありませんでした。

 施設を退所するときに一時でない涙はあまりありませんよね、、、。家族と暮らし共に時を紡ぐ人と暮らせるようにしなければいけませんよね。 

 施設の卒園は変な言い方ですが、発射台に乗せられたロケットのようなものだと感じていました。おそらく日本各地に着弾し、果てるまで根性でがんばるのだろうと、感じていましたから、涙もないですね。

 里親さんは措置が終わっても人間的交流という道が残されているし、本当に良い関係の親子であれば、もっと深く付き合えるのではないかと思います。

 そして、金川さんのお話でも感じましたが、里親さんと実親さんとの関係性を断ち切るだけでなく、もし、実親さんでも変わっていきたい、進歩していきたいと本心から望んでいて、子どもに対して本当に愛情がある場合、実親・里子・里親家庭共に、子どもの最善の利益について一緒に考える為のテーブルに付く事ができるのではないかと、見通しのようなものも見える気がします。
   
 ありがとうございました。

| レイ | 2007/04/29 09:31 | URL | ≫ EDIT

レイさんこんばんは。さっそく読んでくださったのですね。本当にありがとうございます。レイさんの持たれた感想に大賛成です。家族と生活できない子には共に暮らし共に生きる人が絶対必要ですよね。皆さんいいお話です。それと、私は金川さんご夫妻がが赤ちゃんを預かってお母さんにお返しした話に里親さんの真髄を見せていただいた気がしています。
・・・・
Q: 赤ちゃんを育ててみていかがでしたか?
奥さん:それまで1歳未満の子どもを育てた経験がなかったので、起こることすべてが新鮮でとても楽しかったです。離乳食を食べたり、哺乳瓶でミルクを飲んだり、お風呂に入れるのも、手を放すと沈んでしまいますからね。周囲の方からすれば孫のような、でも私達は子どもを育てる感覚でかわいがりました。それと同時に、ずっと家庭で育てるのが一番ですが、特に子どもが乳幼児期には家庭で育てるということを大事に考えていかないと、と思いました。

ご主人:また、その子が施設に入るとしても、県の乳児院は家から距離が遠く、たとえ乳児院に空きが出て入れたとしても、母親が働きながら面会に行くのはとても困難な場所にありました。

奥さん:里親をやっていく中で感じていたことですが、親が子どもを育てられない状況にあるときに、乳児院や養護施設に入るのが当然ではなく、実親が育てられるまでの期間を私達のような里親が代わりに家庭で育ててあげるようになるケースが増えてほしいと思います。実の母親ではなくても子どもは1つの家庭で生活する中で、家庭で暮らすとはどういうことかや1人の人を慕うこと、お母さんとの信頼関係など、人としての基盤を体で身につけることができますから。

Q:具体的にはどのようなことがありますか?

奥さん: 例えば、施設では、子どもに関わる職員は時間や曜日で交代制なので、子どもが前の日に話した内容が次の日にも通じるとは限らないですよね。それが家庭だと、前の日も次の日も家族が子どもの様子を見ていますので、話が通じやすいと思います。また、施設では毎日栄養士さんが作ってくださるご飯が用意されていますが、家庭だったら、お母さんが疲れてご飯を作れないときには、お惣菜を買ってくることがあります。お父さんが酔っ払っている姿を見る日もあります(笑)。そういう人間の素の姿に接することができますよね。そして近所の人に挨拶したり、声をかけられたりというような地域とのつながりも家庭で生活しているからこそ分かることです。これを経験してこそ、子どもが社会に出たときや自分の家庭を持ったときにどうしたらいいのか考えられるのではないかと思います。

記:確かに、自分が家庭を持つときになって、お手本となるのは、自分が育った家庭なのかもしれませんね。

奥さん:だから、育てる側にとっては数年のことだけれど、その子にとっては家庭で育てられた経験が一生の宝になることだと思って一緒の時間を過ごしました。私は里親を始めたときに子育てが下手だと落ち込んだこともあったけれど、少なくとも「地域」と「家庭」という経験はさせてあげられると思いました。大人がいい種をたくさんまいていてあげたいですね。

8ヶ月だった赤ちゃんは2年間金川さんのお宅で育った後、現在実のママと一緒に暮らしています。金川さんご夫妻もその子の成長を遠くから楽しみに見守っていらっしゃいます。
・・・
 ここには書かれていませんが、きっとご夫婦は別れる時も後もたくさん泣かれたと思うのです。施設を退所するときに一時でない涙はあまりありませんよね、、、。家族と暮らし共に時を紡ぐ人と暮らせるようにしなければいけませんよね。





| 里親いちばん | 2007/04/28 20:45 | URL |














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