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めでたし、めでたしの壁を越え、その先を考える

コラム

 「お姫様は王子さまと結婚しました、めでたし、めでたし」

 何か、有無を言わさぬめでたさに、何とかその先は考えまいとしてたマナー重視の子ども。

 その赤ちゃんはポストで命が助かり、めでたし、めでたし。

 赤ちゃんは乳児院に措置されました、めでたし、めでたし。
 赤ちゃんは養子になりました、めでたし、めでたし。
 赤ちゃんは里子になりました、めでたし、めでたし。
  
 幼児さんは養護施設へ措置されまたした、めでたし、めでたし。

 全ての赤ちゃんは、その先どんな生き方してるのだろう。

 養護施設に措置された子も、里子・養子になった子も、その後(その先)の子ども時代が本当に「めでたし、めでたし」であるために、わたしのような大人が出来ることはなんだろうかと模索している。その一環の一つが里親家庭への誘い。
 
 でも虐待家庭への委託はごめんだ。せっかく助けられた命だから、その重みに共感できる親が里親になってほしい。

 それは「めでたしの壁」を超える事。めでたいという言葉の明るさと楽しさに隠され消える現実をあぶり出し、問題を問題として認識し、その上で、この先を考えられるようにしたい。

 わたしは、自分が出た施設の機関紙で「結婚し一軒屋を建て成功した子」として勝手に紹介されていた。「誰だと思います?あのレイちゃんが結婚したんですよお!」と書かれていた、その「あのレイちゃん」という表現が気になったものの、養護施設の体質も、重いものを抱えている子どもたちの明暗の「明」しか取り上げようとしない。

 離婚し、消えていった子の話は機関紙は当然ながら誰もが口をつぐみ知らないフリ。確かにそうだ、この雰囲気は分からないではない。学園を明るく楽しい家庭風味である事を演出しなくてはならない限り、施設を出て自殺した子は居なかった事になり、施設内で病死した子は、手厚く施設の墓へ埋葬される。でも誰も、死因を詳しく聞かされていないまま、誰も何故死んだか聞きもせず・・・。

 養護施設で身に付いてしまうもの、それが性格によるものじゃないとしたら、見たくないものは見ずに見たいものだけを見て、楽しく軽い部分だけで接する癖を身に付けてしまう事。でも「家族」は実はすごく重いものだ。「家庭的しがらみ」に付随する心的なものは、わたしのような軽く浅く広く適当で広大な薄っぺらさでははかりしれない。

 だからわたしは結婚した家庭の重さに耐え切れない気分になった時はイザとなりゃ逃げればいいと思っている。「それでは家族」とは言わないという夫と「それでも十分家族でしょ」と言いたいわたしの平行線はどこまでも続いている。

| └ コラム | 10時11分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

王子様とお姫様は結婚しました。めでたし、めでたし…

小さい頃、シスターが童話をたくさん読んでくれたの。

結末は、いつも「王子様とお姫様は、結婚して幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。」だったわ。

だから、あたしは、いつも質問していたわ。

「先生、結婚したあとどうなったの?
 離婚しなかったの?
 生まれた子どもは、どちらが引き取ったの?
 子どもは、施設に入らなかったの?」

シスターは、恐い顔をして、「子どものくせに、子どもの夢を壊すようなことはいってはいけません」と叱った。

あたしは、本当に知りたかっただけなの。
結婚したら、幸せになって、話が終わるのかどうかを…
施設にいる子って、みんな親に捨てられた子なんだから。

王子様とお姫様は子どもが出来た後、離婚しました。
子どもは施設に入って、「しあわせ」に暮らしました。
施設を家庭と教え込まれた子どもは、大人になって、結婚しました。
そして、子どもをたくさん施設に入れました。
施設職員は、施設が倒産しないで、お給料をもらうことが出来ました。
めでたし、めでたし…

だったら、わかるんだけど…

| Maria | 2007/04/26 20:09 | URL | ≫ EDIT














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