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「生んだ親を捨てて道徳的に大丈夫か」という質問について

養護施設を出てからの問題

 いくつか消しそこねた板に時々文章を残してゆく人がいるので(それも早く削除しなくては・・・)その人が本当に施設出身者かどうか、本当に過去にやりとりのあった人なのか誰であるかは特に問わず(疲れる為)質問にだけ主観ですが答えてみます。

 生んだを捨てて大丈夫でしょうか、心の何かを壊しませんか?子育てとかをしなくちゃいけないのに育ててもらえなかった事でを捨てる事って道徳観的には間違ってる気がしてます

 道徳観からの視点で見るなら、わたしはを捨てたという判断をされるのだろう。でもが子を施設に預けるという名目で施設へ捨てるのは「よほどの事情」となり、子がいくら一度も育てられた事がなくても大人になってから、そのとの構築をしなければ「道徳的に欠落している」という風になる。

 この質問をした施設出身者の方も周囲の無言の圧力にめげそうなのかもしれない。このように、育てられてないにも関わらず子はを常に思う姿を求められている。
 
 わたしが冷たいのはを捨てたから、子育てするのが危ぶまれるのもを捨てる道徳観念が低いからと思うなら勝手に思えばいい。

 この質問者の人が、を子は慕う幻想から解き放たれる事を願うが、この人に対してよけいなプレッシャーを与えているのはおそらく家庭で育てられた人たちだろうと思うので、マイノリティな施設全部育ちは、ただの無作法で冷たい自分勝手な人間と思われるだろう。

 周囲の評価などあてにならないけれど、実際共に仕事をしているなどやりにくくなるのなら、この話題は語らない方が得策だと思う。話せば分る事もあるだろうが家庭や子に関する観念的な事柄は、時々理性では割り切れないようだから、とんでもない状況に陥りかねないと思う。
 
 1人で生きてきたのだからそのままやっていくしかない。

|  養護施設を出てからの問題 | 07時21分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

いつもありがとう


 kasumiさん、応援をありがとうございます。筋道をしっかりと立てる、スタンスを時々確かめる、そして新たに思っている事は、やはり内面吐露をごまかさずに書きたいという事を目指していこうと思います。

 未だに集団を背後に感じて生きている事もその一つです、今まではずっと書けなかったけれど、Mariaとの絆もしっかりと感じられるようになってきたので、もう少し踏み込んだネガティブな部分も語れそうな気がします。

 わたしもこれからも読ませて下さいね。

| レイ@kasumiさんへ | 2007/04/22 07:57 | URL | ≫ EDIT

レイさん、親子の縁をこちらからぶった切る(すみません、言葉の表現が悪いですが)ことを知った時に私の怒りはかなり静まるという経験をしましたた・・・・・。だけどその「ぶった切る対象もあたえられない」その状況はかなりの想像をこえたものがあります。それを伝えようと思う気持ち、とっても大切です。

一休さんのように「気にしない♪気にしない♪」と発信続けてくださいね。

| kasumi | 2007/04/18 23:37 | URL | ≫ EDIT

虐待をせずに育ててこそ親


 生むという命がけの仕事を、自ら貶めることになってしまう子への虐待、そして遺棄。わたしは子を育てて、共にあってこそ親だと思います。

| レイ@2月うさぎさん | 2007/04/18 13:51 | URL | ≫ EDIT

レイさん、kasumiさんへ

>施設職員を施設を出たあと慕わなくても誰も何も言わないのに・・・。

>親から捨てられ、・・・子ども達に、「親を大切にするのがあたりまえ」と言う言葉は、2次被害にも値すると私は思っています。

肉親か否か、より愛情をもって育ててくれたか
の方がよっぽど大事ですよね。

勿論、「あなたの命があるのは曲がりなりにも生みの親が・・・」というひともいるでしょうが
これはある程度以上は親からの愛情を受けてこそ言える言葉だろうと思います。
まさに、自分自身が自分の命を愛おしく思えるかどうか、
それが育てられ方にかかっているからであり
通常は、そう思わせるような育て方をするのが親なのですから。

それを他人に任せ切ってしまった親には
子供から感謝される必然性はないと思います。

勿論、中にはそれですら親を赦せる寛い心の持ち主になる人もいるでしょうが
それは全四肢障害者からの乙武君出現率くらい稀で
(比喩として適切かどうか若干迷いますが)
まさに恵まれたことだと思っていいと思います。

親を愛せることはある意味で当たり前なことでしょうが、
その当たり前ができないようにされてしまったのが
親の被害にあった子(と、そのまま成長したかつての子)たちなのだと私は思います。

しかし、老後の面倒を見てもらうためだけに
かつて捨てた子の前に現れる親というのは
何なんでしょうか。
あくまでも身勝手な子供の利用をしたかったのか、
それともその親自身、最後の最後に
子供に赦されているという証拠をもらって
心の平安を取り戻したかったのでしょうか。
尤も後者の場合も、虫が良い話のように思えますが。
(前者は問題外)

| 2月うさぎ | 2007/04/18 13:31 | URL | ≫ EDIT

親を捨てるって、とっくに捨てられているのに…

はー、道徳って何?

 道徳を持ち出すのなら、「施設に預ける」と称して、子どもを捨てる親に道徳を問いかけて欲しいわ。

 捨てるも何も、無いものは捨てられないの。親が子どもに拾って欲しかったら、まず、捨てたことの説明と謝罪を子どもにすべきではないかしら?

 子どもを施設でほったらかしていながら、老後を見てもらうために出てくる親って、虫がよすぎるわ。

 自分で育てないで、他のトリの巣に卵を産んで育てさせるカッコウの託卵は有名だけど、カッコウの親も、勝手に育った子に親子を求めないわ。ましてや、老後の世話も求めず、一羽で生きて一羽で死んでいく。

 捨てた子に親子を求める親って、トリにも劣るわよね。情けないわ。

| Maria | 2007/04/18 11:02 | URL | ≫ EDIT

ほんとうに困る質問です

 Kasumiさん、大変な時にレスコメントをありがとうございます。この方、Y'Blogのゲストブックに書いてきたのですが、できればFC2で書いてほしいと思い、ここへ親記事を書いてしまいました。
 
 道徳観と共に迫られると本当に困るのですよね、Kasumiさんの言葉は重いです。親から裏切られ、心を殺す親を何故慕わなくちゃいけない。
 
 施設職員を施設を出たあと慕わなくても誰も何も言わないのに・・・。

| レイ@やっかいな道徳観 | 2007/04/18 09:11 | URL | ≫ EDIT

親子神話を押し付けたい人、もしくは信じたい人はたくさんいるし、そうしなくても生きていける人はたくさんいるでしょうね。

だけど、親から捨てられ、親から裏切られ、何度も何度も心を殺されたかつての子ども達に、「親を大切にするのがあたりまえ」と言う言葉は、2次被害にも値すると私は思っています。

親不幸を責める前に先に「子不幸」をしている親をどのように考えるのかを私はその質問している人に考えてもらいたいといつもいつも思っています。

大切にしたいと思う気持ちは、子ども時代に大切にされていなければ、でてきませんよね。
このようなコメントが出るたびに思うけれど、「レイさんの気持ちはレイさんのもの」でとても大切な気持ち。
それを発信し続けて欲しいと思います。

| kasumi | 2007/04/18 08:38 | URL | ≫ EDIT














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