施設職員にはプロとしての働きを極めてほしかったのだと知った
小さな頃、廊下で「給料が安いから何も買えない」と文句を言っている保母が2人いた。通りかかったわたしは小耳に挟んでしまった。
そこで何故か
「ねえ、そのキュウリョウがもらえなくなったら、学園やめちゃう?」と聞いてしまった。
とたんに保母の血相が変わり
「いやな子ね!」と言い、立ち去ってしまった。
わたしは、ただ、キュウリョウと働く意欲について聞いただけなのだけど、さすがにキュウリョウがもらえなくなったらどうする?と質問した自分は子どもだったなあと思った。
保母がプロなら、お金をもらうのは当然で、その専門性(?)に応じてギャランティが生じるのは当然という意識がある。そこにわたしは別に、金銭についてごちゃごちゃ言う気はない。生んだ親じゃない以上、社会的養護の範疇にある子どもを育てるなら、やはりギャラは必要だとわたしは思う。
そこで怒る保母についても何か幻想を抱いているのか?と疑いたくなる。わたしのような児童にキュウリョウについて説明できず、怒って立ち去られても困るのだ。実親ではないし、ボランティアでもない、無償で働く人のいいおばさんでもない。
わたしは今思う。
どうせなら里親さんがお給料もらいながら、わたしの事を養育するシステムが完備されていればいいのに・・・と。同じ社会的養護で育てられるなら、たった一人の子として扱われたいわけだし、家庭生活を体験したいのだから。わたしは無愛着児童だから、もしかしたらカウンセリングも必要かもしれない、思春期になればもっと何かやらかすだろうし。
お金のない里親家庭で無愛着ぶりを発揮すれば施設送りか虐待に繋がるのは想像に難くない。
わたしはその働きに見合った収入を得る事には全く賛成だけど、その働きに全く見合わない収入を得ている人に対しては妙に怒りが沸くので、このような考え方になった。 一人当たり、一億近くの措置費で育てられながら社会不適応者を育てる事のおかしさは、養護施設で育てられた当事者だからこそ感じる怒りでもある。今のわたしは税金の無駄遣いの結果だ。
これが会社ならクオリティ・コントール(QC)がなされていない事でもあり、社会へ送り出すものが不調ならば当然、会社の責任になるのだ。わたしは品質管理室で働いていた事があるため、どんな環境でも品質を保つ為の試験を重ねる事で、その会社のクオリティが社会に反映されるという事実をイヤという程叩き込まれた。
給料をもらう以上、わたしは品質をどこまでも追及しなくてはいけないと思っていた。砂漠の電源の無い世界、氷に閉ざされた世界、圧力の高い世界、どんな環境でも問題なく作動する事が最低条件、その答えを導き出す事、それがお金をもらうという事だった。
でも・・・福祉の世界を見ると、
「車もマンションも買ったわ、後は男ね」と笑う奇跡的に勤続年数の長い保母の言葉は、わたしにはけっこう堪えた。彼女は、自分の働きに見合ったその生活を楽しんでいるようだが・・・同時に「深く考えていたら生きていけないわよ」とも言った人だ。
そんなわけで、わたしは、社会的養護の元育てられるなら里親家庭、そしてその里親家庭がその専門性に見合った収入を得る事については全くおかしいと感じない。わたしは家庭の環境できちんとケアされたいのだから。
| └ コラム | 16時31分 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

養親の方が
Leiさん
Mariaさん
コメントありがとうございます。
乳児の内に養親になる方が私には良いかもしれませんね。
もっと、じっくり考えてみます。
| sada | 2008/01/11 17:22 | URL | ≫ EDIT