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家庭の人の帰属意識と風習とご先祖供養

施設を出てからの問題

*あくまで家庭というのはこの親記事の場合、夫の育った一般家庭であり、機能不全家庭をさすものではありません、念の為。

 結婚して何よりも驚いたのは、聖書がない生活と一つの風習を続けてきた彼の家に対する驚きだった。仏壇の上に不思議なカミナリが添えられていて、それがどうやら神道と仏教が共存している状態なのだと分かるまで時間が掛かった。仏壇の上に神棚があるというスタイルを覚えてからは少しずつ理解が進んだが。

 そういえば、走馬灯というものを見たのもこれが初めてだった。言葉は知っていたが走馬灯が浮かばなかったので、死ぬとき、走馬灯ってどんなの?という初歩段階で悩み、死ぬのを忘れるんじゃないかと本気で思っていたので、見る機会に恵まれ、感謝。

 さて。

 キリスト教とても外から来た人から見れば不思議な光景なのかもしれないが、結婚した家庭が嫁の宗教に合わせる筈がなく、嫁があわせなくてはならない。これは宗教系施設を出た女子の現実的な問題だと思う。プロテスタントでこうだから、カソリック系施設出身者は・・・考えただけで大変だ。女子は自分が歩いてきた宗教を、嫁になった時点で、堂々と今までの様式を守る事はできないという事は伝えておきたい。その覚悟なしで結婚するとあとで更に苦労する事になる。

 わたしはこのあたりはブログで語らずにきたけれど、実は結婚して一番苦労しているのは、先祖供養に対する基本的な姿勢が身についていないという事だ。

 夫の家は非常に日本のスタンダードな農家らしくお盆になるとさらに不思議さ際立つ様式を行う。夫の生家やその地域一体はごく当たり前の事としてその習わしを代々伝えてきたのだと分かるが、外からきた自分には覚えるだけでも大変な作業だった。

 いや、「先祖を迎えにゆく儀式」については今も慣れない。簡略化されたという事だが、本当なら自宅からお墓までの区間家族全員一切口を利かず、お墓の前で背中に先祖を背負って家まで運ぶ動作をし、自宅の庭を背中に先祖を背負ったまま三周回らなくてはならない。その後、部屋に戻り「よっこらしょ、さあゆっくりどうぞ」と口に出して伝え、先祖に寛いでもらう儀式なのだ。もちろんその儀式はその辺一帯では大事な儀式だそうだ。

 「あんたが嫁にきたらそれが廃れてしまうのか?」と姑は心配そうに聞いてきた。台所の片隅、夫には聞かれない場所で・・・・。夫が、わたしの事を違う宗教を信仰していると教えた為、夜も眠れないくらい心配している、彼女にとって様式を守る事は絶対に譲れないことだし、嫁はその様式に従うものなので、わたしは理性では「出来る限り慣れるようにします」と答えた。

 わたしが結婚して一番驚いたのは先祖供養に関する意識が高いという事であった。血縁をさかのぼり先祖を神さまのように扱う事、その考えにが身に付いていなかった。

 姑はテレビで有名な細木数子の本を愛読し続けている人なので、先祖供養に対する意識がさらに強い。わたしには先祖の墓など行った事もそのありかもわからない。生まれたところを遠く離れた施設へ捨てられた為、生まれた場所で人間関係を構築する機会も持てなかった。育った事がない場所はたとえ生まれたとしても先祖との連帯感はないし、自分の帰属意識が育つはずもない。
 
 彼女はわたしが自分の生い立ちを語ると怒り出した。

 「先祖供養しないばか者があるか!」「あんたは捨てられたんじゃない、あんた捨ててるんだ」と。施設で育てられた事など彼女はには思い至らないし、子孫は何があっても先祖供養すべきと信じて疑わない。

 そこがまあ、マイノリティすぎるわたし達施設育ちにとっては慣れ親しんだものだが、真剣に受け取らざるを得ないのは夫の母、姑の意見だから無視できないという事なのだ。

 先祖供養と儀式の真っ只中で、帰属意識のないわたしは、海から陸へ上がった生物しかご先祖さまとしては意識できない。

 家庭の人は帰属意識が強い事には驚いた、先祖も神様となってしまうキャパシティの広さ、又複数の土着の神が仲良く並んでいるし、本当に驚く事だらけだ。

 わたしは宗教系施設で排他的に生きてきたので、わたしはいつも軽くムッとしながらも何とか何とか、風習を勉強しながら、時にはお盆になると仲良くなったお坊様に「とんじんちって何?」と聞き「勉強熱心ですね」と驚かれつつ、何とかやっている。

 でも、帰属意識だけはどこにあるのか分からない。風習や因習や様式は勉強できても意識は又、別のものかもしれない。というわけで、施設育ち女子の課題は山積だ。

|  養護施設を出てからの問題 | 06時02分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

石を投げれば宗教施設

初めまして。HNが設定されていないので、特に呼びかけずレスします。

>まあ、伝えたいのはLei様のケースも姑嫁問題、宗教問題、慣習違いのまざった問題でもあり 施設育ちだから。。。 という理由のみだけでも無いかと思います。

 ・・・と言いますか「施設のみ」で育つと生活基盤、宗教観、愛着形成など、卒園後に色んな問題がパッケージされた形で現れるという観点から文章を書いていますので、施設育ちだからという理由なら、社会に適応できない問題を十分説明可能ですし、説明するべく記事を書いております。

 児童施設に興味がおありという事なので、施設で育つ問題という視点から答えさせていただきました。

| レイ@はじめまして。 | 2007/04/14 07:22 | URL | ≫ EDIT

否定? それとも肯定?

名無しさん、こんにちは。

 そもそも、施設で宗教を選べないこと、さらに、施設を出た後の地域の慣習になじめないことなどを書いているのだから、いろんなものがミックスしているのは当然よ。

 Leiちゃんも、施設だけで育つことの問題を中心にしながら、でも、施設育ちという世間知らずの問題からの話を書いているの。

 好き嫌いを言えるのは、そもそも、好き嫌いを自覚できるからであって、その好き嫌いを主張していいという環境で育ったからなのよ。

 あなたの書き込みは、肯定しているのか、否定しているのか、わからないわ。論理的に書いて下さると嬉しいですわ。

 はっきりいって、論旨が見えません。

| Maria | 2007/04/14 00:33 | URL | ≫ EDIT

違いって大きい

こんにちは。児童施設について調べていましたらLei様のブログにあたりましたので、勝手ながら読ませて頂きました。宗教の差って大きいですよね。私は無神信仰者(自分でそう思ってます)なので、結婚相手に強いクリスチャンの方、仏教徒の方、モスリム系の方全て嫌です。まあ、そういう考えがあったので旦那は無神信仰者です。こういうのって、私的には愛とかで乗り越えられる違いでは無いです。まあ、カップルによりけりで愛で乗り越えられるケースもあるんでしょうけど。。。まあ、伝えたいのはLei様のケースも姑嫁問題、宗教問題、慣習違いのまざった問題でもあり 施設育ちだから。。。 という理由のみだけでも無いかと思います。

| 違いって大きい | 2007/04/13 22:25 | URL |














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