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親のない子と父なる神の愛

養護施設にいる間の問題
養護施設を出てからの問題

小さい頃(たぶん小学校低学年)の夢をよく見る。



レイレイ(幼名か?): 何故、わたしには誰もいないの・・・?

誰か分からない人 :

 それはね、神は嫉妬深いお方だから、あなたが過去・現在・未来に於けるどの時点でも、神の愛以外、他のものは何も求める事がないように、神はあなたから一切のものを奪い、一切のものをお与えにならないのです。でもね、それは父なる神の愛なのですよ、あなたは神に愛されていて、あなたが神の愛に答えなくてはなりません・・・云々。


 ↑ これは児童福祉の至らなさの問題であり、神の話とは別であるという事を言っておきたい。生身の親がいなけりゃ里親制度、神について考える場所は、別にある。了解?夢の中の人。

 ・・・・。

 わたしのいた2度目の施設はプロテスタント系の養護施設だった。理事長も園長も牧師で、職員もキリスト教系の大学(名前は伏せるけど)を出た職員で構成されていて、その大学へも何度か連れて行かれた事があった。とはいえ、施設の敷地内に教会があるわけでもないし様式は信じられないほど簡略化されていて、とても宗教的な背景を持った施設とは思えなかった。聖書を読む時も、聖堂はないので職員と図書室で祈りの時間を持たねばならなかった。今思うと資金がなかったのかな?

 それでも、プロテスタントの概念を持っている施設らしく過ごさねばならなかった。

 わたしは実は、この件についても親記事にするほど、施設での生活を覚えていない。頭がガンガンとしてくるので、とりあえず考えるのをやめようと思うが、この記事を書いたのは、前回、無愛着児童は後追いをしない、後追いさせない児童養護施設、という流れで書いてきたので、とどめは。無愛着な児童に用意?されているものは、それでは何?という観点から考えたくなった為、このような記事に着手。

 わたしは、使命感のようなものを根底に持っていて、神の律法に基づく規範は2度目の施設で持ったのか、それとも2度目の施設じゃないところで持ったのか分らない。でも神については母性的なものを感じた事は一度もなく、神に対しては契約に基づいた行動を示さねばならない絶対的な存在なので、気安く「嫉妬深いお方だから」と言われる事への、瞬時の怒りが湧いたのは事実。

 それなのに、養護施設の子ども達の愛着のベクトルを生身の人間的な親から意識を逸らさせるかのように、そこに「父なる神の愛」を、宗教を利用した子ども達への代替家族としての扱いに対して、不遜に感じられてならなかった。日本語では同じ語彙である「父」「聖母」と出てくれば、親のない子は、どうしてもすっからかんのスポンジなので、全ての意識が神へ向かう。

「幼子のように神の愛を求めなさい」と常に言われた。

 まだ児童である皆は、幼子ではないかのように説教者が言うので、意味もなく自分が穢れているような気持ちになり、ピュアではないと感じ、常に、萎縮し、しどろもどろ。この部分になると目を伏せ、悲しそうにしている子がちらほら。

 無愛着児童の前に、神の愛とは、又・・・。後追いさせない児童養護施設なのに、神への愛の示し方を幼子のようにと平気で語る神経。牧師の欺瞞・・・。

 引き続き、整理します。わたし個人はプロテスタントには何か、どうしても譲れない何かがあるみたい・・・彼らの言葉を聞くと、神に愛を求め、契約を忘れているように感じる。父性はすがりつきぶら下がる対象者じゃないと思っているから、どうしても「ぬるい」と感じてしまい、カソリックへ転んだのだと思う。

 プロテスタントの職員は「十字軍の」話を用いてわたしに怒りを向けた、何故その職員はわたしに対して怒りを向けるのか、全く分らないでもない・・・実は。でも大人気ない態度ではないかと思う。

|  養護施設にいる間の問題 | 07時40分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

神の子、神の兵士、神の花嫁

 宗教系養護施設では、憲法で定める信教の自由はないの。

日本国憲法
第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
 二 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
 三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


 でも、国が措置した養護施設において、子どもたちに宗教を強制するのよ。

 それが、カトリックでも、プロテスタントでも、仏教でも同じ事。

 あたしの施設も、子どもたちに、「あなたたちは神の子である。あなたたちの親は神である」と教え込んでいたの。
 だから、親がいなくても、神を親として生きろということなのね。

 さらに、男子には「あなたたち神の兵士である」と神の教えのために戦いなさいと諭す。

 女子には、「あなたたちは神の花嫁である。神以外のものとまみえてはならない」という。

 小さい頃から、こんな話ばかりだから、他の世界を知らない子は、すっかりと洗脳されてしまうの。

 途中から来た家庭の子は、「宗教漬け」という認識をもてるけど、ものごころついたら施設にいる子たちは、その宗教が生活であり、生き方になってしまう。

 たしかに、キリスト教は、あたしの中で指針になっているけど、思春期以降に、自分で選びたかった思いがあるの。

| Maria | 2007/04/10 11:47 | URL | ≫ EDIT














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