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施設出身者に多いスポーツは何故にいつもボクシングか

養護施設を出てからの問題

 ある施設出身者Kが施設職員をしていた頃の話を、第三者で口の軽い他の施設職員Tが教えてくれた、その男Kは某児童養護施設で、子ども達をすぐ殴り、「血の雨を降らせていた男」だったそうだ。T職員は口が軽いので、又、こちらが聞きもしない事をぺらぺらとしゃべっていた。Kは施設を出てから職員となり、自分の子ども時代の施設の再現をしていた事になる。

 ところで確かに「施設で血の雨が降ると聞いても」大して驚かない。施設ではとにかく、唐突に殴りあいが始まる。始まったら小さい子は避難し(*逃げそびれて巻き添えをくう事もあるが)大きい子は固唾を呑んで成り行きを見守る。

 職員を呼びにいく子はいない、成り行きを見守りたい興奮状態の子ども達は、血しぶきが飛ぶ刺激から心を引き離す事ができない。ほんのささいな事だと思う。「目つきが気に入らない」「態度が気に入らない」「虫の居所が悪い」などなど、フラストレーションがたまっている彼らには理由なんか必要ない。

 Mariaの記事を読んで思ったのは、いつもいつも施設出身者がボクシングで壮絶な戦いをする姿が紹介されているのを見ると、そのまま、施設時代のケンカに明け暮れた時代が、興奮状態の子ども達の思念やら何やらが、脳裏と神経に侵入してくる事があり、わたしはボクシングを見る事ができない。施設出身者のボクシング選手は大人になり、今度は正式なスポーツという形でアクティブアウトしているように見えて仕方ない。

 彼らはもう殴りあわなくてもいいのに、殴りあうスポーツを選び燃焼しようとしてるように見える。わたしの穿った見方なのかもしれないが、彼らを見ていると息苦しくなるし妙に悲しい気分になる。施設で殴り合いが始まると、子どもが群がる。どちらが勝つか興味ぶかく見つめる目、目。

 ボクシングのリングがまるで、施設の庭のケンカの映像に重なるようで、見ていて、もう闘わなくていいのに・・・と言いたくなる。

 自分の育てられ方を納得する為(リベンジの場合も)には、その心情に近い世界へ進むのは理解できる。自覚している場合もしてない場合もそれぞれに、やはり傾向としては知っている世界に近い場所へ行きたがる。養護施設の子に関しては、他のスポーツで活躍する話が出てこない。確かにフィギュアスケートのようなお金の掛かる事は無理だとしても、他のスポーツで活躍する施設出身者がいてもよさそうなものなのに、やはり、殴り合いへ向かってゆく。

 人の選んだ道だから、つべこべ言うべきではないと分っているが、こうも、いつもいつもボクシングと児童養護施設が常に並ぶと、さすがに心情的に参ってくる。

|  養護施設を出てからの問題 | 22時48分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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