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養護施設では可愛い子だけが被害を受けるという隠された神話

養護施設にいる間の問題

 施設の子が性的虐待かもしれない?と悩みながら語る際の複雑な心境について考えてみる。「お前みたいなヘンな女、相手にする酔狂な男がいるか」と言われると、施設を出てから色々あった話は自意識過剰的な自慢話になってゆく恐れがある、とくにそれほど可愛いとは言えない女子がそんな事を言おうものなら周囲から失笑をかうのは当然。今思えば、なんてずうずうしい発言をしてしまったのだろう・・・。空気が読めない女だと自分を恥じ入ったり、考える事をやめたり・・・。

 でもなぜ、性的な被害にあった話をすると、男性職員から「相手にされるだけ良かったじゃないか」いう扱いを受けなくてはならないのだろう・・・。

 養護施設では「性的被害の話」をするという事は良かった話なのか、特に相手にされそうにない地味女にとっては・・・これではこの男性職員に相談する施設の子どもは何を言われるかわかったものではない。シニカルで何でも笑い話にする男性職員を前にすると、児童は何かヘンな気持ちがあっても何も言えなくなるのではないかと思った。

 夫はこの職員の発言に対して「悪かったな、俺が選んだ女が地味で色っぽくなくてな!」と言う。でも彼は何かズレた怒り方をしていた。夫の怒り方は本来まちがっている。色っぽかったり人気のある子ならば、何をされてもいいという話じゃない。彼は虐待防止の観点からも間違っていると思う。

 そこで、わたしと同じ施設を出た女子のその後についてあまり考えた事はなかったが、むりに考えてみようとするなら、少し彼女達も風変わりな女子達だ。

 もちろん理由は分らない。話を振ってもその子達は笑って「やだな〜、先輩、あたしはそんな色っぽくないですよ」という言い方をする。こうなるともうダメ、養護施設の女子の密かなる神話があって、何かある子は可愛い子や色っぽい子に限るという流れになっていく・・・。

 「あたしは可愛くないからあり得ない」と思っているのでケラケラ笑われて相手にもされない。そのような子なのに結婚しても子どもを作れない、または結婚そのものをしない、男子なのに女のような気持ちになっている男子、女子なのに少年の体型を維持する子、Mっ子などなど、わたしが知っている限りでも、5人以上は軽く性的に混乱気味に思える。

 それでも誰一人、性的虐待などを受けている記憶を持っていない。そういう事もあり、自分も覚えていないので、あの施設はそういう施設ではなかったのだと一応思っているが、倒錯的な部分が他の子や自分にあるのは、少し理由が分らない。

 施設というのは、ある知り合いの男性の表現を借りれば「入れ食い状態」で「選りどりみどりの状態」でもあると感じるそうだ。その人がわたしに説明したのは「家庭の子の場合は父親にとってその子しかいないので被害を受けてしまう」が「児童養護施設ではその職員がパッと見、かわいいと思う子を選ぶに決まっているだろう」と言われてしまうと、そこまで可愛くないと自覚している自分は、妙に納得してしまうものだ。

 冒頭の「お前みたいなヘンな女を相手にする酔狂な男がいてよかったな」という文章をよく分析すると「本来なら誰からも相手にされない女が相手にされたのだからよかったと思いなさい」という語調を含んだ言葉なのだ。

 養護施設の場合、その子じゃなきゃいけないわけじゃないという感覚が常にある。その子じゃなくても誰でもその可能性があるが、それでも「男としては選ぶ権利があるような気持ちになる」と、その知り合い男性はわたしに言った。その点でもわたしは虐待を受けたりするわけがないと彼は思うようだ。もちろんわたしにそのような記憶はないし、今、性的な問題を夫との間に抱えている説明にはならないと思っている。

 でも・・・。

 施設出身者は、関係者が誰もいないという点でこのような事まで考えないといけない。関係者なき状態では、虐待も選ばれるか選ばれないかの話になってゆくの?この職員や知人男性の感覚にずっとつきあっていると頭が変になっていきそうだが・・・。

 確かに児童養護施設には子どもがいっぱいいる。選べる事に喜びを感じるタイプのペドフィルは可愛くてアイドル的な存在を選ぶと言いたげな知り合い男性の弁。でも、本当にそうかわからない。自分の周囲に限るけれど、どうも何か壊れたロボットのようにギクシャクとしているのを見て、彼女らは色んな雰囲気の子たちなので、職員の数だけ趣味があるという事にもなりかねない。(嗚呼、話がずれてゆく・・・

 これ以上は、R指定のような気がするので発言は控える。でも、今まで考えた事がなかったけれど、なぜわたしの知っている同じ施設を出た女子や男子らは偶然にも少し困った状況なのだろう・・・。 

|  養護施設にいる間の問題 | 08時14分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑


Maria「誰でもそのような対象になりえる」という意識の変革が施設の子には必要だと思う。惜しむらくは記憶に頼れないことだけど、

 『お前、考えてみろ、お前みたいな男か女か分らない女を誰が相手にするか?もっと可愛い子がいるだろう?』ともし、職員などから仮に言われた時、養護施設ではたまたま空いた便器が使用されるだけだという考えを持つ事は、妙に納得感がある。

 それほどモテるわけじゃない子に羞恥心を抱かせるやり方、心理作戦、もしかしたらあるのかもしれない。もし、自分の性的な何かがおかしいのと思っても、揶揄されたり笑われたりする環境では、相談する相手もいない、その子は被害を受け続けていても訴えられないかもしれない。
 
 それは羞恥心、それも「色っぽくて可愛くない子が被害にあう筈がない」という思い込みの為に。
 
 だとしたら、それもまた生き地獄。性的にむさぼられるのに「お前みたいな男女誰が相手にすると思う?」とあざ笑われれば、ありえないかも?と思うようになっていくかもしれない。

 う〜〜〜〜ん。なるほど。

| レイ@巧妙な雰囲気 | 2007/04/06 10:46 | URL | ≫ EDIT

便器はたまたま空いているから使うの

 子どもに手を出す施設職員は、子どもが色っぽいから手を出すのではないのよ。

 子どもの体をしているから、そこに性的嗜好があるの。大人相手には、性的な支配・コントロールが出来ないけど、子ども相手なら、性的支配をすることができるの。

 だから、子どもなら、誰でもいいの。

 ただ、可愛くて人気のある子は、いつも誰か側にいるし、集団のなかでは手が出しづらい。手を出したら、誰かに言いそうだし。

 それよりも、物静かな、口の固そうな、集団から離れている子どもの方が、手を出しやすいの。

 職員は、たまたま空いている便器を使っただけであって、その便器だけをつかう理由なんてないの。

 家庭の性虐待と違うのは、この子だけでなければならないという理由がないということ。

 施設の中の全ての子が、対象になるということよ。女の子だけでなく、男の子もね。

| Maria | 2007/04/05 10:02 | URL | ≫ EDIT














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