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大舎制児童養護施設の愛着障害な職員

養護施設にいる間の問題

愛着障害職員と感情過多職員と無愛着児童たち

 今思えば自分が出た施設の当時の職員は揃いも揃って愛着障害&無愛着だったか、優しすぎて心に不調を来たしてすぐにやめる保母のどちらかだった。それはわたし自身が家庭に入らなければ、絆づくりをしなければけして気付く事はない事だった。

 確かに子どもたちが好きで、子どもの話を聞こうとする保母もいたようだが、そのような保母は大舎制施設では自然に淘汰されてゆき、すぐに施設職員を辞めてしまう。勝手に夢を抱き、勝手に夢やぶれて消えてゆく。そういえば廊下の隅で目を真っ赤にしていた保母もいた。彼女は何かがあり、もう耐えられない気分になったのだろう。いつしか居なくなった。

 子どもにしてみたら、こういう優しい保母も曲者だ。心を開かせようと接してくるくせに自分の心が苦しくなると子どもたちから逃げ出し消えてしまう。だから、いっその事、無愛着系職員の方が淡々と毎日を送る事ができて、心情的には無駄なエネルギーを使わずにすむ。

 テンションの高い脳ミソ筋肉系の男性指導員も、そのうちすっかりテンションが低くなり、より管理的になり、最初の雰囲気は見る影もなくなっていく。彼ら大人も大舎制施設にいるうちにだんだん気力が削がれていくのは確かなようだ。子どもたちはそういう職員たちのことにはお構い無しで放置されるに任せて好きなように生きている。

 大舎制の施設職員に特徴があるとするなら、取り付く島がないほどビジネスライクであるという事だ。たとえば学校関係の事などで何かを報告しようとしても、無駄な時間を使わせるわけにいかないので、ワンフレーズで大人に伝える技術を子どもに身につけさせる。

 また深刻な問題は子どもたちに会議をさせて、自分達で答えを見つけろという。自分が子どもたちに向かわずにすむように、子ども自治会がある。自主的な助け合いの筈が、ボスとその配下という構成になろうが職員はなぜか気付かずに『見守って』いればいい。

 でもそれらは大舎制施設だから何とかなってしまう。施設とはそういうところなので子ども達も特に深く考えずに育てられ方を無自覚にコピーしていくだけ。

知らずにコピーしている大舎制スピリット

 今思うと、このような職員たちに育てられ、とくに自分の出た施設の施設職員は施設を家庭と詐称するような事もないリアリズムで接してくれたので、わたしもいちいち勘違いぜずに生きてこられた。ただ、その大舎制の影響が色濃く残っているので、現在のわたしは家庭の濃厚な人間関係から逃げ出したくなり、過去に2年間逃亡して別居した事もある程だった。

 でもリセットしないと耐えられなくなるのは子どもたちだけじゃなく、実は実は・・・施設職員もそうだったのだと気付き納得した。家庭で育った職員も大舎制で何年も働いているうちに施設の雰囲気に馴染んでいくのだ。そして施設の非家庭的な雰囲気に耐えられない職員は泣く泣く退職する。

 彼らは家庭で育ちながら、機能不全家庭で育ったと思われるメンタリティを抱えていた。大人になってから教えてくれた事だが、ある男性職員は自分が何度も自殺未遂をしてきたと語っていた。施設に明るい何かを見出したようで、常に自分の家庭から逃げ続けているようにも見えた。施設職員になる人の中には家庭らしさを否定する事の助けになる養護施設らしさに魅せられる人もいる。

苦悩するグループホームへの道?

 そこで施設型グループホームを運営するのは大変だろうな?という事へ思い至るのは当然の流れ。彼らは大舎制で思う存分薄く広く平等な子どもたちとのせつな的関わりをしてきたのだから、まるで親子のような形体を作らなくてはならないグループホームは、無愛着児童を抱えて、自身も愛着障害なのだから、これは大変だろうと想像してしまう。最近、施設型グループホームの職員たちは、随分苦労しているようだと風のたよりで聞く事もあるし・・・。
 
長く働く保母の本音

 職員が2年や3年でやめていく中で、たまにすご〜く長く働いて賞状までもらっている保母などがいる。彼女は「いちいち考えたら施設で生きていけないわよ」と言った。

 ただ分ったのはこの保母は自分が生き延びるので精一杯だったのだろう。そのため何もかも考えずに勤めていたら長くなったのだという事はわかった。そしてこのような保母などがグループホームの保母になればどうなるか容易に考える事ができる。今、グループホームはどうなっているのだろうか。

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サイト:養護施設はこんなところ
グループホーム(GH)というところ

|  養護施設にいる間の問題 | 04時46分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

間違えて消してしまったけど

名前:名無し

なるほど、施設で育つとこういう物言いをするようになりますか。
施設育ちってことを最大限武器にしてるよね。まあ処世術っていうんですか?さすが!


 ↑ コメントが来るとメールに転送されます。間違えて削除用URLを踏んでしまったら、このコメが消えました。見たくないコメだけど、一応。

| Lei@コメ復活 | 2008/11/13 03:42 | URL | ≫ EDIT

うぅぅ、この方職員なの?

 Maria、どうもありがとう。ところで「施設育ちって事が武器になる」んでしょうか。どういう使い方をしたら武器になるんでしょう。

 現実世界でも養護施設全部育ちは特に、施設を出た事を隠して生きているというのに。

 処世術という発想も理解できないです。施設を出た事に何か風変わりなファンタジーを持っているのでしょうか。

 もう来ないと思うのでこれくらいにしておきます。
 

| Lei@今、起きました | 2008/11/13 02:01 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、
このゴキブリ職員↓、書込禁止にしといたわ。

| Maria | 2008/11/13 00:42 | URL | ≫ EDIT

なるほど2

 Maria・・・おはよ。

>過去を整理したうえで、GHのケアモデルを持っている新人職員って、あまりいないと思うわ。

 ねえMaria、過去の整理は何も機能不全家庭出身者だけに限らず、子どもと関わる仕事をする大人全てが履修してほしい。
 
 箸の上げおろしというくらいだから、その家庭ごとに違うと思う。機能不全と言えなくても厳しい家庭の出身だと、養護施設の子のがさつさに怒りが出て大変な事になりそうな・・・。
 
 大人の基本的な、養育の姿勢は把握しておきたいな。と思ったよ。

| レイ@過去の育てられ方の整理 | 2007/04/06 10:28 | URL | ≫ EDIT

それはそれで大変よ

Leiちゃん、

>大舎制の職員を経験していない職員の方がまだマシかもしれないね

それも、難しいわね。

機能不全家庭の子どもから、いきなり、機能不全家庭の養育者になるみたいなことでしょ。

過去を整理したうえで、GHのケアモデルを持っている新人職員って、あまりいないと思うわ。

そもそも、小舎制研究会の参加施設でさえ、塀の中の小舎の集合体がメインでしょう。GHを先行的に取り組んでいるところでも、意欲的で、意識の高い職員が続かないと聞いているもの。

Edwardさんに聞いたけど、GHは、職員配置が2.5人+0.5人(宿直要因)なの。
三人で交替勤務をしているということは、新人であろうと、一人で6人の子どもを相手にしなければならないの。経験の浅い新人では、子どもたちのはき出す問題に対応できないと思うの。

もっとも、力で押さえつけていた古参職員が出来るとも思えないけど…

書いてて思ったけど、養護施設が小規模化すれば、全ての問題が解決するかのような風潮だけど、子ども一人に職員を二人から三人配置しなければ、GHは回っていかないわね。

欧米では、子ども10人に職員20〜30人という、日本と逆の配置なのね。施設は、お金がかかるから、重篤な子以外は、里親家庭で育てるの。

さらに、マイクロバスなんかで子どもをピックアップして、施設に通所するところもあるの。治療施設という位置づけなら、施設で生活する必要も無いものね。

| Maria | 2007/04/05 21:21 | URL | ≫ EDIT

嗚呼、だから今大変なんだ


 大舎制で放置されるのがデフォルトだとそれで生きてしまうからe-263、今更家庭の形態で暮らすのはそりゃあ大変。
 
 やはり懸念していた事が現実的に起こり始めているんだと分ったわ。それじゃ、大舎制の職員を経験していない職員の方がまだマシかもしれないね、と、さっき電話で話したっけ。
 

| レイ@なるほど | 2007/04/05 19:10 | URL | ≫ EDIT

職員はGHで機能不全家庭を再現するの

 施設職員が施設で働き続けることが出来るのは、個々の子どもと深く関わらずに、広く浅く関わっているからなの。

 いま、グループホーム(GH)設置に手をあげた施設で、大舎への揺り戻しが始まっているというの。制度を導入してから、たったの2年ほどなのに…

 機能不全家庭で育った職員は、大舎施設だから、子どもたちと深く関わらず、大集団故の管理的指導で仕事をこなしている。

 または、子どもの居住棟には子どもたちだけ生活させて、子どもの「自治」にまかせ、職員は、職員室で待機する。

 そんな働き方をしていた職員が、子ども6人と職員一人の濃厚な人間関係を築けるはずがないの。
 小規模化するということは、いままで見なくて済んだ子どものさまざまな問題や関係が、職員の目の前に見せつけられること。

 それこそ、たとえば食事の時は、箸の上げ下ろしから、咀嚼の仕方、みそ汁の飲み方まで、細かいところに目くじらを立てるようになるの。
 自分が、家庭で、親から細かくしつけられていたように。

 集団なら、時間内に騒がずに食べれば、見過ごすことが出来たことが、いえ、問題視すらしていなかったことが、一緒にテーブルを囲むことで、目の前に現れてくるの。

 そして、小規模といえば、家庭というケアモデルしか持たない職員は、GHで家庭を再現していくの。それが、機能不全家庭だったりすると、GHで機能不全家庭を再現していく。小さい子主体のGHだったら、虐待が起きるかもしれない。

 子どもたちも、大集団でほったらかされていたときは、希薄な人間関係だから、問題を出さなかった。ところが、距離が近くなったら、いやでも問題が出てくるの。だって、抱えている問題は、人間関係の希薄さからくる、人との関係性のなさだから…。

 口やかましく、箸の上げ下ろしまで注文をつけてくる職員に、子どもも、うっとうしくなって、大舎に戻りたくなる。

 このあたりは、施設から里親家庭に行った子が、あまりの関係の濃さに疲れ切って、施設に戻りたいというのに似ているかもしれないわね。

 だから、小学生以上で大舎からGHに行くのは、とても難しいと思うの。GHになじめるのは、家庭生活を知っていて、それなりに愛着を作ってきた子だと思うの。

 または、幼児からそのGHに育ち、職員との愛着関係を作ってきた子ども。

 いずれにせよ、最初から、乳幼児期から里親家庭で育っていれば、こんな問題も発生しないの。

| Maria | 2007/04/05 17:59 | URL | ≫ EDIT














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