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施設育ちの課題としての結婚と家庭生活

養護施設を出てからの問題

 どんな家庭に入ったかカンが働かないため、さまざまに困る場合がある。施設育ちには親戚縁者だれもいない人がいる。わたしもそうで、結婚と同時に入った家庭が全て。家庭生活について学ぶのは全てこの婚家からだけ。ここしかモデルがない。

 この家の傾向が結婚前に分らないので、結局は結婚後だいぶ経ってから経験を積んでいき、その経験を元にいろいろ整理する事になる。確かに「家」は施設ほどは画一的じゃない。個性に溢れていて、それが正しいとか正しくないとかでは一概に語れなくなる時があるようだ。

 わたしは、独自の正しいか正しくないかについての判定基準を持っているのですぐに分る時があるがその家の古くからの構成員(つまり結婚した相手の一族全員)は、それで長いこと家庭を維持してきているので、正しいか正しくないかでは語りたがらない。その家に考えが合うかどうか。

 そういえば、昔、家庭で育った方とネットで言いあいになった時に、Mariaやわたしの態度を「白か黒かで分ける」と非難された事があるような気がする。家庭の人はグレーゾーンの幅が限りなく広くて、ジャッジがし難いのだろうか。

 夫が言うように「家族・家庭は正しいか正しくないかよりも情で繋がっている」と言われれば、なるべく理解しようと努めるが、なかなかそれもわたしのような者には難しいものだと知った。
 
 この間の事故処理の時の話も、すぐに病院に行ってもらったわたしは、人としては間違っていないと信じたいものの、その為に5点引かれたり、結果的に保険代が高くなったりするので夫の評価としてはさほどいいものじゃない。必ずしも個人的に正しそうな事は○○の家にとっては正しいと言えないのだ。

 わたしとしては事故を起こした張本人なので反論はなかなかできなかったが、○○家とすれば、もっとうまいやり方ですり抜ける方がいいと思える印象の発言をする夫に対してがんばって反論はするものの形勢は良くない。

 何より、事故を起こさないのが一番なのは当たり前だが。

 それにしても家庭で育てられた事がないため、反面教師としての家庭も知らない。そのため、色んな事にカンが働かず様々な事を気付きにくくしているなと思う。

 養護施設出身者である自分が生まれて初めて入る家庭が、どんな傾向を持った家庭であるかなんて判別できるわけじゃない。という事を家庭を知らない他の施設出身者女子にも男子にも言っておこうと思う。

 わたしも確かに問題を色々周囲に撒き散らしているが、嫁いだ先の家庭が自分にとって里親家庭でも養育家庭でもないという事をキモに命じておいた方がいいと伝えたい。つまり結婚生活は、家庭生活の練習場所にはなり得ないということだ。やはり嫁ぐということの意味は、嫁としてのその家で当然求められるスキルが必要であるということ。

 施設出身者にとって嫁ぐということは、住み込みの仕事先に似ている。契約に沿わなかったりすれば、一度に全てなくなり、又、元の状態にもどるということ。もちろん結婚したと同時に離婚した場合の事を考えても仕方ないのかもしれないが、施設育ちの自分は常に、その覚悟と共に生きねばならない。

 施設育ちの課題は就職に失敗した時だけじゃない、離婚した時も又振り出しに戻るという事を念頭においておかないとならない。

|  養護施設を出てからの問題 | 15時32分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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