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善意のかけらをかき集めて団子状にして、うれしがる事


 スクランブル交差点のど真ん中で、肩すれ違う人にハッとして、今の人は誰だろう?とと考えている最中に、もう目の前には違う人がいる。違う人から声を掛けられ、その人へ応じようとしている矢先に、もう次の人。
 
 愛想よくしなかれば、嫌われてしまって生きていくのが大変なので表面上はやるべき事をやる。にっこりと笑って抱きついて見せるも、もう意識は次の人は誰がくるかな?という感覚。誰が次の人なのかな?が、延々と続き、目の前の人に意識を向ける事ができない。
 
 いつも違う肌のかおりから、かおりへ渡される事で、いつも色んなかおりが交じり合い、嗅覚の混乱した犬のように、人と人の間をうろうろ歩き回るしかない。誰が自分の関係者なの?誰がわたしに固定された人となってくれるの?と問うたかどうか知らないが、現実的に考えて、固定された人間のいない子どもというのは、ほんとうに、心のストリート・チルドレンだなと思った。

 わたしの感覚には、往来のど真ん中で誰か優しい人が、ほんの僅かの優しさくれたら、それを集めてだんごにして、一個にするというイメージがあった。施設職員でも、多くの人から善意を頂いた事を糧にしていると語った人がいた。その人は施設出身者で施設職員になった人。施設の子はかき集めるのが好きだ。

 だから、粘土で足し算を習った時、この感覚が先行して大変な事になった。

 家庭の子は、粘土がくっつく事は知ってるが、足し算を習っているという目的は熟知しているので、1+1=2と答えられる。でもわたしは、物理的に粘土を一個に丸めるから、一個の小さい粘土と一個の小さい粘土は、二倍の一個の大きい粘土になるだけ。と答えていて、バカ呼ばわりされてしまった。

 でも、いくらかき集めてもキメラのせつな的な関わり。

 施設の子っていうのは、最近は家庭の子が多いから、乳児院からの要養護児童の子どもの存在とその問題はあまりに地味で目立たない。無愛着というのは実はけっこうとても激しい怒りを里親たちにもたらすのに、取りざたされない。

 ところで無愛着で生きられる哺乳類はいるんだろうか?と思った事がある。どんな種類の動物もその固定された親の動物を真似て、その親の庇護の元生きている。時に少しばかり、能力が低い親がいても必死にしがみついている子どもの動物がいて微笑ましいとナレーションが語る。
 
 微笑ましいか

 微笑ましいという事は、相手がたとえ動物でもシンクロする部分を持っている人類として反応したという事なのだ。同じ哺乳類のこの、わたしからみたらウェットな関係は、本来的にとても必要だった筈なのに、愛着回路は作られなかったので、動物の親子を見ても何も感じない。
 
 単にわたしにはなかった。夫が「君は昆虫的」と言ったのも笑える話。

 夫から見て、わたしは哺乳類の域から外れている感覚を持っていると言われた時に、そう感じさえる何かがわたしにはあるんだと思った。

 話、外れた。

 ともかく、固定された相手がいない事と、常に固定された相手から虐待を受け続ける怒りとは、やはり本来違うカテゴリであると改めて言わざるをえない。機能不全家庭の子の怒りが何故生じるか?それは、怒るだけの正当な理由があるから。
 
 養護施設では、怒る相手もいないのに正当もへったくれもない。相手がいないのに怒り続ける事はできない。裏切られ感覚がないという事は、愛着の回路が世界でたった一人の大人へ開く事がなかったから。(*ただし、親とも思う職員からの裏切りを感じた園児についてはまた、別の話と思うし、記憶がある為、虐待の有無がはっきりしている場合もまた違う流れになると思われる)

 まあ、スクランブル交差点で、ちょっと足を踏まれたくらいで、一体だれが怒り続けられるだろうか。というのが、わたし独自の感覚なのである。

|  養護施設を出てからの問題 | 07時29分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

 hanahanaさん、おはようございます。

>脳の発達の時期に必要とされなかったもの、あるいは必要と出来なかったものは形成されないという事から、幼児期の愛着形成がその後の人生すべてに大きく影響する現実

 ありがとうございます。里親として里子を預かる時に、虐待を受けていたと分かっている子とはまた違い、ただ養育者が変化している落ち着かない環境の子、養護施設にいた子という情報だけでは、やっと家庭に迎えられた子どもなのに、その子どもが取る態度の意味が理解できないと思いまして、自分を例題に、できるだけ率直に書きました。
 
 hanahanaさんのお返事は大変うれしいもので、自分の記事の方向性は少しずつ近づいているのだなと感じさせられました。

 主観に基づく記事と、過去の出来事、現在の出来事を判断材料にして書いていますので、資料にもなりませんが、1施設出身者としての意見として参考になればと思います。

 どうもありがとうございました。

| レイ@hanahanaさん | 2007/04/03 09:07 | URL | ≫ EDIT

児童相談所・一時保護所での児童達の「自分だけの大人」を本当に強く求める様子を見た事がきっかけで里親の重要性を肌で感じ里親について勉強を始めました。このHPを見始め、レイさんのお話を聞く(読む)毎に更にその思いは強くなって行きます。

今回の記事で「愛着シナプス」「流動的」「信じていないものからは裏切られない」という内容と言葉が心に残りました。

脳の発達の時期に必要とされなかったもの、あるいは必要と出来なかったものは形成されないという事から、幼児期の愛着形成がその後の人生すべてに大きく影響する現実をレイさんのお話から伺い知る事が出来ました。
幼児期の愛着の重要性は知っていてもその後の人生にどういう風に影響してくるのかを具体的に私達に伝えてくれるレイさんに心より感謝を・・・

私にはレイさんたちの気持ちは本当にはわからないのではないかと日々思います。でも判らないなりに自分の出来る事を考えて行きたいなと思います。

| hanahana | 2007/04/02 23:04 | URL |

 Maria、この親記事、ほとんど直し無しで一気に書けた。前の記事では、 http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/blog-entry-129.html 愛着が固定される期限があるという意味の記事を書いてみたけれど、それと繋がってる記事かもしれない。

 愛着を育てる時期を逃したら、こういう感じの気分になるかな?と・・・。

| レイ | 2007/04/02 14:53 | URL | ≫ EDIT

(^^)//""""""パチパチ

いつもながら、物事の本質をついた小気味いい記事ね。
すべて施設で育つって、こんな感覚なのよね。

家庭から途中から来た中途施設生活者が、「施設当事者」として発言する場合が多いけど、どこか家庭育ちだなぁって思ってしまう。

Leiちゃん、書いてくれてありがとう。

| Maria | 2007/04/02 13:13 | URL | ≫ EDIT














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