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予備知識なき社会勉強は時に迷惑な行為


 一言:確かに予備知識ないから社会勉強するのだけど、差別意識も含め、きちんと勉強すべきと思った体験。

 児童養護施設ではワークキャンプというものがある。それぞれの施設に応じてワークキャンプの形態が変わると思うが、自分のいた施設は多くの身しょう者の授産施設を経営してもいるので、同系列である児童養護施設の児童が、夏になると重度身体障害者授産施設へ手伝いに行っていた。

 コンセプトは「社会勉強の為」という事だった。

 わたし達には身しょう者に対する予備知識は全くなかった。しかし、彼らを初めて見た時に受けたショックは大きかった。今まで見た事がない身体の不自由さに驚いた。車椅子の大柄な男性がわたしに勝手に名前を付けた。その当時はやっていたアイドルタレントに似ていると言われ、その名でコールされると身の置き所がなかった。彼らは声がまず大きかった。

 わたしはこの人たちとどう接して良いか分からなかった。なるべく近づかないようにするのが精一杯だった。その気持ちが偏見や差別心なのか、単に初めてみた彼らの存在に驚いていたのか今でも分からない。それでも彼らと共に朝から夕方まで授産施設で作業をし続けた。
 
 でも、ある日、彼らの中でも一番声を掛けてきた車椅子の男性が、休み時間?に抱きついてきた。それが人の目の前だったかそうでなかったかは覚えていないけれど、抱きつかれた事に一瞬・拒否感が生じた。覚えているのは強い体臭だった。それなのにまるで子どものようにすがり付いてくる人だった。こんな時、一体どうしたらいいのか・・・。ワーク最終日だったのでお別れの時がやってきた事に対する彼の反応に、ただ、すくむ思いだった。その結果、きちんとしたあいさつも出来ずに逃げるように施設へ帰った。 

 その時わたしは対処を知らなかった。予備知識を持たずに現場に行く事、しかも社会勉強の為にその施設に行く事はかなり一方的で傲慢で迷惑な事ではないかと思った。わたしにとっては、生まれて初めて接した彼らが怖く見えて仕方なかった。予備知識をせめて持って、その現場に行く事は最低限自分側がしなくてはいけない事だと思った。

 確かに社会勉強になったと思う。

 彼らの生活圏に勝手に上がり込んで、勝手に身の回りの世話や作業を行い、勝手に消えてゆく事を、社会勉強の為と称して別の施設でやっていた事が割り切れなかった。この体験を通して、自分達が生活している児童養護施設にも年間、どれだけの人々がやってきて満足して去って行ったか。人々の往来の中で、スクランブル交差点で生活しているようなものだ。と改めて思う。

 そして今、複雑な心境だ。

 社会勉強系ボランティアを全て悪いと言わないが、それでもわたしにとってどんなボランティアも実習生も期間限定の人々も、もしこれが一般家庭なら勝手に上がり込んで勝手に好きな事をして、勝手に満足して去ってゆくような事をしないのに・・・と思うと、自分の置かれた立場、社会的養護を受ける身では、何事も自ら選択することができないのかと思った。

|  養護施設にいる間の問題 | 01時24分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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