わたしが書く体験記は事例の紹介と捉えてほしい
時々わたしは、自分が覚えてる限りの体験や夫婦のやりとりや、絆相手との出来事などを書く事がある。その為、いろいろ心配させてしまう事がある。レスコメントを下さる方々も心配して下さっていたのだとわかり、説明不足だったと反省。
わたしが時々体験記を書くのには理由がある。それは、自分の意見を述べるだけではどうしても足りない時、現実世界での体験話などを参考にしてもらって、何故普段、わたしはこういう意見を持っているのか、その考え方に至った背景を漠然と捉えていただきたいから。
普段絆相手や夫から言われてる事などを通して、施設育ちと接する事に苦労している彼らが、一体どういう事に困惑しているかを伝える手段として、体験記を書いている。自分が書くので何でも分かっていると思われるかもしれないが、絆の認識がない、帰属意識がない、愛着が持てないなどについては、自分がここで書くほどは自覚を伴っていない。まだ整理段階なので、時々悩み事に見えてしまうことについても反省中。
わたしが書く体験記は、悩み事ではなく、ケースファイル程度に考えておいてほしい。里親さんなどが守秘義務などがあり、里子の事を事細かに書けない事などもあり、とても代わりにはなりえない事を知っているが、施設全部育ちとしての気持ちをここに記しておけば、もし似ている事態に陥ってる人の参考になるかもしれず、書いておこうと思った。
もし、わたしがわたしに関わる人々との体験を書いた時、その内容に応じて心配をせずとも大丈夫。ここに書けるという事は危機ではないという事。本当にどうにもならないものはここに書けない。それでも、一端を書くことで、それぞれお読みになる方々に、無愛着というものや集団養育などのキーワードが頭の一部に残される事を願ってやまない。
いつも読んでくださり、感謝。
| └ スタンス | 18時04分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑