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それでも「虐待を受けてない施設出身者」という感覚


 まだちゃんとこの部分を話し合ってないうちに、Aさんはブログを又閉鎖。いつもの事ながら、読んでいると思うので書いておこう。

 わたしと同じように施設を出た彼女が「虐待を受けてないと言われ、傷ついた」と言ったので彼女に謝罪した。謝罪してから随分経ったが、どうにも何か謝罪した事への納得感がない。謝罪は必要だ、納得出来なくても謝罪すべき時は謝罪すべきだ。謝罪撤回のつもりはない。人が傷ついたと言うのだから・・・。

 でも施設に、そもそも虐待があるんだろうか?という、今まで誰もそこは言わなかった事についてはわたし自身、とくに掘り下げなかったが、やはり記事を書くことにした。わたしが虐待を受けてないと思うのは、一つは虐待の記憶がない事と、施設の世界は暴力が横行していたけれど、それも知ってたけれど、ここはそういう場所だという認識があった事もあり、それは虐待というよりも、単に暴力的な奴らがいっぱいいただけ。という認識なのだ。

 施設では運悪く、機嫌の悪い上級生のそばにいたかどうかで、施設生活の生き辛さが決定してしまうところがある。それは固定された親との関係とは違う(*これはまだ未整理だが)、施設では誰かから暴力を受けることに必然性はないのだ。
 
 たまたまそこにいたのだ。その子でなくてもいい。他にも子どもは沢山居るのだ。知り合いの男性などは養護施設の世界を入れ食い状態だと言っていた。(← 当然怒ったが)

 その運の悪さから逃れるために、集団の中に居続ける子も居る。そのような子は自分の身を守る代わりに、時にはイジメに加担する事になってしまう。上下関係の中で命令されれば、イジメをする実行隊にされてしまう。そんな事をしたくないから集団から距離を置く。1人でいる子はそのようなイジメをしたくないから、1人を選ぶ。

 でも職員は、集団に入らない子を、集団に入れない子と断罪する。

 わたしの感覚、イメージ内にある児童養護施設は常に、なるべくしてなっている世界に感じられる。施設の様々な暴力や割れた窓は、間違った用い方とは感じられない、こういう場所なのだから当然こうなっていくのは当たり前という感覚がある。

 間違った用い方(不適切)は、本来そういう場所ではなく、本来そういう相手ではない全き信頼を置いている相手から一方的に裏切られ続ける事を指していると思う。だからそこに深い怒りと悲しみと、裏切られた気持ちがあり、何故こんな風にされてしまったの?と最終的には自分の身に起きた事を嘆く道が残されている。

 「定義として本来安全な筈の場所と相手」から「ありえない事をされたら」人は傷つく。でもスラム街を無防備に出歩けばどんな目にあうか想像できる。養護施設には虞犯の少年達が出入りしている、彼らはやってきては散々騒いで消えてゆく。一生付き合う関係ではない事を理由に何でもやる。でも整合性はある。

 そして家庭で虐待を受けた子も施設内で再現行動を行う。100人規模大舎制の施設で、いっせいにその子らが自分の怒りの捌け口になり得る小さな子どもを探し回る。そのような場所で生きる感覚の中には衝撃的な現実なんてどこにもない。
 
  そういう意味ではわたしを裏切った人は誰もいない、わたしから気持ちを寄せてもらうために温もりを与えるような面倒な事は誰もしない。たんに時間を短縮する為に、目的を達したら消えてゆく人間群像のイメージ。
 
 そう考えると養護施設の場合、そこに、固定された関係性を持たない事をいいことに、したい放題の大人や上級生がいるという事実を、どうしても伝えねば、死んでも死に切れない子ども達がいるように思う。

 捨てられた命は、せいぜい役に立つ臓物程度しかないのなら、人は何でもやる。ぬくもりを求めて虐待環境に身を置く再現行動はわたしにはない。ただ、ぬくもりなき再現行動はしてしまう。そして流動的相手でなくては何も伝えられなくなる。
 
 わたしは数年来の付き合いを持つ相手には、だんだん何も言えなくなる。よっぱらってこの人はこの場限りの人だと思い込めば、何でも言えるのだけど。

 Aさん、やはり、わたしは虐待を受けた感覚がない、いえ、施設に虐待がそもそもあるのだろうかと、考え込んでしまうのだ。その延長上で、母親から刺されたのにPTSDにならなかったのは、裏切られ感が無いため。ありえないと感じる心のショックがないから。

 もしMariaやWolfから包丁で刺されたら、カラダよりも先に死ぬのはココロかもしれない。

 でも、わたしを刺した血縁女はわたしを育てた事もない人、親子間の、たとえば歪んだ関係性さえも築けなかった人。通り魔にあったような事、通り魔的な出来事は、わたしは耐性があるようだから全くショックではなかった。

 よってPTSDになるのは無理がある。

 誰からもかつて関わりを持たれた事がないという事はそういう事だ。裏切られて悲嘆にくれたり、傷つき感の為に苦しい思いさえない世界、対象者がいない世界、それが施設全部育ちの内面世界だと思う。

|  養護施設を出てからの問題 | 19時32分 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

>施設育ちが家庭育ちを差別しても何も起こらないから差別する。
>そういう解釈でいいのかな。

 atomさん、冗談としては大変おもしろいコメントだと思うわ。「差別」というのは、多数派が少数派をカテゴライズし、不利益を与えることなの。少数派が多数派を「差別」するのは、そもそも「差別」の成立要件を満たしていないの。

 あたしが、アイロニーとして出した「少数派が多数派を差別する」ことを、文字どおり受け取るとは思わなかったわ。

 わかりました。あなたには、アイロニーが通じないようなので、具体的に細かく説明致しますわ。

 少数派が多数派を「差別」することは、ありえないの。
 「black」と呼ばれて蔑まれていた黒人が、白人を「white」と呼んで対等にしようとしたら、白人が怒り出したのは有名な話。

 「施設育ち」「家庭育ち」というのは、「シセツ」と呼ばれて蔑まれていたあたしたちが、せめて対等な関係での整理をしたいという思いからの区分けでしかない。

 それを「差別」ととるのであれば、「施設育ち」という言葉に、そもそも蔑視があるということ。あたしたちは、過去にいわれてきたことを、単に「施設」を「家庭」と言い換えただけ。

 それから、赤ちゃんポストに関するあなたの記述や「いまがよければ過去は問題ではない」と受け取れるあなたのコメントなどから、あたしは、あなたへの人物イメージを作り上げています。

 それが、ちびこさんのレスコメントの引用で、「やっぱり」と思う気持ちもあり、前述のコメントになりました。
 引用という、いわゆる全文を読んでのコメントでないということについては、申し訳ないと思います。ごめんなさい。

 ただ、あたしは、あなたのコメントから、「施設育ちの人」に対する複雑な印象(あなたの無自覚な不快感)を受け、それが引用されたレスコメントに凝縮されたことだけはいっておきます。あなただからこそ、このようなコメントをしたのです。誰にでも、このようなコメントをするわけではないの。印象の蓄積があるのよ。

 あなたの過去のコメントがなければ、あたしやLeiちゃんの、このような反応は無かったことは、強くいわせていただきます。

 それから、「撃退」というキーワードを持ち出すのであれば、「撃退」された相手も出して欲しいと思います。

 過去に、Leiちゃんのブログで「撃退」されたのは、「家庭で育った人」よりも、「施設で育った人」や、短期間の「施設経験者」が多いことを断っておきます。

 途中から来た方には、過去ログを全て読んで下さいとまでいいませんが、過去ログのキーワードを持ち出すのであれば、キーワードの対象も含めてお願いしたいと思います。

 このブログに来た方が、少数派というレトリックも、詭弁を弄していると思いますわ。

 その論でいけば、ブログ主は、そのブログおいて多数派であり、ブログにコメントする人は全員差別される少数派であるということですわね。
 冗談としてはおもしろいんですけど…。

 冷蔵庫につながれいていた里子のことは知らないけど、そもそも、そのような事実があれば、そのような人を里親にし、チェックではない里親制度の問題であると思うの。
 できましたら、ニュースソースを教えて下さいね。真実かどうかを確認したいと思いますし。
 あたしたちは、里親家庭の虐待にも、無関心ではいらないのよ。問題のある里親家庭なら、それはそれで問題にしていきたいの。

 あたしたちが「子どもたちを施設ではなく里親家庭で育てて欲しい」ということは、不適切な里親を排除できる里親制度を含めてのことなの。
 虐待(正しくは暴力・性暴力)のない施設、虐待のない里親家庭を前提として、その上で、子どもたちは里親家庭で育って欲しいということ。

 あと、あたしたちが訴えることを、多くの「家庭で育った人」に理解してもらえるためには、現在の態度では問題あり云々という点に関しては申し上げますわね。

 あたしたちは、あたしたちだけがこの問題を訴えているわけではないし、この問題の中心でも、主流でもないの。

 あたしたちの態度が気にくわないからといって、「子どもは里親ではなく施設で育ってもいい」と思う人がいるとしたら、そもそも、その程度の人だと思っている。

 このブログに文句をつけた人の多くは、あなたのように、あたしたちの態度を問題にしたの。だから、「またか…」と思うだけ。

 家庭の複雑な問題を持ち出した人もいた。だけど、そのような人も、家庭に対する否定感だけが前面に出て、「では、子どもはどう育つべきか」という理念や思いは出せなかったの。

 atomさん、お聞きしたいのだけど、あなたの理想として、子どもはどう育つべきだと思うのかしら?

| Maria | 2007/03/26 22:49 | URL | ≫ EDIT

 区分けについては「区分け以外の意味を持たず」という事で了解です。

 そして家庭育ち、施設育ちという表現を、家庭育ちの人、施設育ちの人という表現にします。

 abuseを単体では、このブログではあまり取り上げてきませんでした。養護施設では無愛着を放置させるだけの環境下だと感じてるので、そのような場所で育った自分を例題にしながら、無愛着となればどんな苦労があるか、周囲がどんな違和感や怒りをそんな施設育ちの人に覚えるかを書いてきたのだけど、

 自分の実例を挙げる為、自分の悩み事(だけ)に関連した記事だと思わせてしまっていた。

 その辺りをもっと誤解なきように表現を変えたり、注釈を入れるようにしたい。

| レイ@ちびこさんへ | 2007/03/26 07:19 | URL | ≫ EDIT

 
 atomさん、わたし自身の感じ方というものを探ってそれを文章化するには少しだけ時間が欲しい。

>レイさんへ
>これレイさんのブログだし、レイさんはどう感じるのだろう。

 確かにMariaとほぼ同じ感性や受け止め方をするが(だから仲もよい)厳密にはわたしにもわたしだけの感じ方があり、わたしの姿勢というものがあるので、少し心と気持ちを沈めて、ブログを書く際の自分のスタンスというものを改めて提示したいと思います。

 でも少しだけ時間を要します、すみません。文章が出て来ないという感じ、キーワードや感覚は溢れてる気がするけど。
 

| レイ@わたしの感じ方、ちょっと待って下さいね | 2007/03/26 07:12 | URL | ≫ EDIT

Mariaさん、
私はいたって単純な人間です。
ここで、争う気も毛頭ないです。
ここは、私にとっても大切な場所だからです。

ここのブログに来てるのは
あなたたちが素晴らしいからです。
何度、心を打たれたかしれません。

人間として、自分のおごりを確認する時もあります。

私が最初のatomさんのコメントにレスしたのは、【家庭育ち】という
言葉の聞こえ方について、
私の感じたことを書きました。

atomさんが使った【差別】という言葉も
多分、彼女も悩みながら使った感じがしたので、【区別】ではないでしょうか?と
私が思ったことを書きました。

それは、レイさん、Mariaさんがカテゴリーを分けて話をしているのを知っていたからです。

私が言いたかったのは、
自分自身を【家庭育ち】、【施設育ち】と
言う分にはいいのですが、
今回のMariaさんのコメントの
【家庭育ち】という言葉がとても
強い響きのある言葉に変化したような気がします。

カテゴリー分けと頭でわかっていても、
心が引っ掛かってしまったんですね。

その心で引っ掛かったことが
atomさんと共感した部分という意味でコメントしました。

>とりあえず「家庭育ちの人」と言ってくてたら
私はコメントしませんでした。

と、atomさんも言ってますので
そこは私と同じ気持ちだったのではないでしょうか?

>レイさん、記事と関係ない事でごめんなさい。
でも、この記事とMariaさんのトラバの記事は、とてもわかりやすく【虐待を受けていな施設出身者】が書かれていると思いました。

日本人の私は、英語で失敗すること沢山あるけど
レイさんの英語の受け止め方はすごいです。

日本語にも、カテゴリー分けされた言葉がもっとあったら、わかりやすいのにと思いました。

| ちびこ | 2007/03/26 03:54 | URL | ≫ EDIT

マリアさんへ

私がコメントを書いている間に先にマリアさんが投稿してしまったみたいで、そのせいでマリアさんは
ちびこさんが転記したたった2行だけを読んでそれがすべてだと思っちゃったんだなぁ・・・atomです。

「差別」という言葉が乱暴か、そうでないか、わからないから訂正しようとしてたのに。
私とマリアさんは目線が違うので、きっと理解されないだろうと思いつつ、いい機会だから私の思いを全部書きます。

>施設育ちが家庭育ちを差別するっていう事は、被差別部落の人が一般の人を差別するのに等しいの。

あ−、やっぱり差別なんだ。

>圧倒的多数の家庭育ちから差別を受けている施設育ちの現実を、無視したすり替えはやめてくださいね。

そんな気さらさらないのに。
ブログの中でマリアさんが「家庭育ち」連発したことについてのコメントなのに。

>仮に少数派の施設育ちが多数派の家庭育ちを差別して、家庭育ちが地域に居られなくなったり、
 学校を辞めたり会社を辞めたりする現実はあるのかしら?

私はこのブログを最近知ったのだけど、いろいろ見てるうちに、いろんな所で「撃退」という言葉を見つけたよ。
レイさんのブログにいろんな人が来て「撃退」されていく・・・
このブログは施設で育った「レイさんとマリアさん」のブログでしょ。
その中でコメントしていく人間は少数派ではないですか?
このブログの中で多数(正確には2人だから複数だけど)の施設で育った人に対して
1人でコメントしている少数派の家庭で育った人が差別されて、コメント内で居場所を失い消えていく。
それが「撃退」なんですよね?
ブログの中でマリアさんがしていることはマリアさん自身が上で書いている通り「差別」以外のなんだろう。

>施設育ちが家庭育ちを差別して、そうできるのであれば、
 あなたの言うとおりだとあたしは謝る覚悟があります。

施設育ちが家庭育ちを差別しても何も起こらないから差別する。
そういう解釈でいいのかな。

私は最近このブログでコメントするようになって
「このブログのコメント欄て何の目的であるのだろう」と思ったよ。
レイさんとマリアさん二人の世界のものなのか。
レイさんとマリアさんとすでに里親さんになっている人のものなのか。
前者だとすれば、コメント欄なんていらない。
後者だとすれば、私は間違ったところにコメントしてしまったことになる。
それでも、前に

>違う立場からのやりとりは大事だと思う。わたしも書く、あなたも書く(コメントやその他の方法で)、
>お互いに自分が知っている世界を持ち寄り、子どもにとってどう育てられる事がいいのかを、
>考えていきたい、だからコメント感謝です。

とレイさんは返してくれた。

でも違う立場からコメントすると「違う立場=家庭で育った人」に対して
なぜか喧嘩腰で、「理解してない」だの「そんなに簡単じゃない」だの
終いには今回のマリアさんのように「〜としたら謝る覚悟があります」とか
「差別され続けた立場としてとことん、やり取りをさせていただきます。」
なんてコメントが返されてくる。

自分の知っている世界を持ち寄ろうとすると、

>atomさんのいう家庭はあたし達の想定外。
>atomさんの言う家庭に子ども達が育って欲しいとも思わない。

これじゃぁ違う世界なんて持ち寄れない。

私はただ施設の子どもの事が知りたかった。
「何かをしたい」と思った時、その何かが独りよがりにならないように
何をしたらいいのかを知るためにここのブログに来てたのに。
それと同時に「こんな見方もある」「こんなふうな考え方もある」ということが
少しでも施設を出た人に伝わって、違う立場の人間同士で、レイさんの言葉のように
「子どもにとってどう育てられる事がいいのかを考えていきたい」と思ってたのに。

「赤ちゃんポスト」の方で私宛にコメント返してくれてるけど、
施設で育った子どもだけが、
「血のにじむような努力をし、全てをぶち壊したい気持ち」を持っているとは私は思わない。
子どもは何か起こった時、ひとりひとり本当に必死で考え悩んでる。
私は施設で育った子どもの方ががんばったとは思ってない。
施設にいる子どもの出生の事や環境については、本当に私なんかの想像の範疇を超えるだろうけれど、
家庭という括りの中の千差万別さというのも「家庭育ち」の一言では表せない。
家庭で育った子も、施設で育った子も、必死で生きてるのは同じだと思う。

マリアさんの言うところの「ごく普通に絆を持てる家庭」がどのくらい世の中にあるのだろう。
ましてや「ごく普通に絆を持てる里親家庭」がどのくらいあるのだろう。
sidoさんはきっとすばらしい家庭を築かれているのだと思う。
でも、すばらしい家庭を築こうとして、挫折した里親家庭だってある。
15年位前、問題行動が多かったからと冷蔵庫に鎖でつながれた里子がいた。
結局、施設に返っていったけれど。
いろんな家庭があるように、いろんな里親家庭があるはずで、
そこで起こったいろんなことを解決する窓口だって今少なくて、
里親になりたい気持ちがあっても、気軽になれない人もたくさんいる。
レイさんとマリアさんの「施設の子どもを里親家庭で育てたい」っていう思いを
本当に実現しようと思ったら、今よりいろんな人に関心を持ってもらう必要があると思う。
でもその「いろんな人=世間」ていうのは、施設を知らない多数の家庭育ちの人たちなんだよ。
その人たちを相手に喧嘩腰で撃退ごっこをしていたら、私はなにも進歩がないように思う。

>圧倒的多数の家庭育ちから差別を受けている施設育ちの現実を、無視したすり替えはやめてくださいね。

その差別についてだって、その良くない現実を施設で育った少数の人だけで変えていくのは無理なのに。
圧倒的多数の家庭育ちの人たちを変えていかなければならないのに。

>atomさん、ここまで言うのであれば、子どもを育てるにふさわしくない家庭の例を示すべきではないかしら?

ふさわしくない家庭の例として私が自分の家庭を事細かにマリアさんに語ったとしても、それはきっと無駄に終わる。
だってマリアさんを私が理解できないように、マリアさんは私を理解なんてできないのだから。
どちらの境遇が不幸かなんて、ほんとに無意味でどうでもいい話だし、もしかしたらマリアさんがは私の家庭のどこが問題かをわからないかもしれない。
家庭に問題があっても、虐待を受けていても、レイさんのブログのリンクに張られている里親さんのように
立派に子育てしている方を知ると、私自身それなりに家庭に問題があったからといって、それが原因ででこういう人間なのか、
それともこれが持って生まれた性格なのかすらわらなくなってくるくらいなのに。
それにふさわしくない家庭の例って、一言で言えるんだろうか。

時間をかけて、読みやすく伝わりやすくと書いた文章もマリアさんには「レトリックを使うのはけっこうだけど」と言われてしまう。
今回は一応あまり改行しないように心がけたのだけど、これで気が済んだかなぁ。

マリアさんがこのブログで一番したいことはなんですか?
自分の知っている世界だけで、大好きなレイさんととおしゃべりするだけのブログなら私はお邪魔はしませんし、
難しい言葉や理論をかざして、異物が入ると撃退する、今まで家庭で育った人間に受けた差別をやり返すだけのブログでも私はお邪魔はしません。そんなブログ私には必要ないし。

>とことん、やり取りをさせていただきます。

せっかくですが、私は今のままのマリアさんと不毛なやりとりをひたすら続ける時間も気力もないので辞退させてください。
偏見や先入観ありありで人に接すると、味方にできる人間も使える人間も誰もいなくなってしまうよ。

レイさんへ
これレイさんのブログだし、レイさんはどう感じるのだろう。

| atom@マリアさんへ | 2007/03/26 01:59 | URL | ≫ EDIT

コメント消して混乱させてごめんなさい。atomです。

今回ちびこさんが返してくれた私のコメントについては
言い回しが自分的に「感情的になりすぎて表現が乱暴かも」と思い、
訂正してすぐに投稿し直すつもりだったのですが、
席を離れたすきにダンナさんにPCの電源落とされてそれっきり。。。
せっかくコメント返してくれてたのに
ちびこさん、ほんとごめんなさいm(_)m

キャッシュも探したんだけどやっぱり残ってなかったから
思い出しながら書くとこんな感じだった気がする。。。↓

マリアさんのコメントには「家庭育ち」がかなり連続しているけれど
もしこの「家庭育ち」が私のことだとしたのなら
私は家庭育ちの犬でも家庭育ちの猫でも家庭育ちの牛でもなく
「家庭育ちの人」だと思うのだけど。

今まで周りの人にそういう扱いしかされてないから
そういう言い方しか知らないというのなら
今まで周りにいた誰だかわからない何人いるかわからない人たちに
腹立たしさを覚えるよ。

それから「家庭育ちのたしなめるコメント」って
これが私の書いたコメントだとしたら
あの表現がたしなめるにあたるかどうか疑問だよ。
私は彼女のブログを全否定したつもりだから。

私は精神病んでる人に対しても施設で育った人対しても
もちろん家庭で育った人に対しても
不愉快なことをされれば
当たり前のように腹が立つよ。
それが皇室でも王室でも温室でもない家庭での育ちのせいか、
私の持って生まれた性格なのか、わからないけど。

レイさんへ
手違いで消してしまったコメントは
「赤ちゃんを救うという救いの範囲」での最初の私のコメントです。

ちびこさんへ
『家庭育ち連発』に関する今回の私のコメントは大きく言えば
「家庭育ちも施設育ちもお互い人扱いしましょ−よ。」的な趣旨と捉えてください。
とりあえず「家庭育ちの人」と言ってくてたら
私はコメントしませんでした。

| atom | 2007/03/26 00:02 | URL | ≫ EDIT

 atomさん、ちびこさん。施設育ちが家庭育ちを差別するっていう事は、被差別部落の人が一般の人を差別するのに等しいの。レトリックを使うのはけっこうだけど、圧倒的多数の家庭育ちから差別を受けている施設育ちの現実を、無視したすり替えはやめてくださいね。

 仮に少数派の施設育ちが多数派の家庭育ちを差別して、家庭育ちが地域に居られなくなったり、学校を辞めたり会社を辞めたりする現実はあるのかしら?施設育ちが家庭育ちを差別して、そうできるのであれば、あなたの言うとおりだとあたしは謝る覚悟があります。

 差別という言葉を持ち出すからには、こちらも差別され続けた立場として、とことん、やり取りをさせていただきます。

| Maria | 2007/03/25 22:46 | URL | ≫ EDIT

 わたしが施設育ち、家庭育ちと表現するのは、記事を書く際に区分けをする必要を感じる時に多様します。

 とくに施設を出てからのその後の施設育ちの社会生活、施設から里親家庭へ委託されてる児童などの陥りやすい事などを話す時には、区分けしています。
 

| レイ@区分けのつもりです | 2007/03/25 20:50 | URL | ≫ EDIT

atomさん、ちびこさん。レスをどうもありがとう。ちょっと慌しくしていて今日はなかなかPCに向かえなかったです。

 ちびこさん、とりあえずatomさんのコメが消えたのは手違いとの事です。ちびこさんのレスの引用文が一部分だけになるので、atomさんがよろしければもう一度投稿していただければと思いますが、atomさんのご判断にお任せします。

 取り急ぎの返事ですみません。

| レイ@反応遅れてごめんなさい | 2007/03/25 20:23 | URL | ≫ EDIT

あれれ?
Atomさんの
コメントが消えちゃってるけど・・・。

私のはどうしたらいいのかしら・・・。

| ちびこ | 2007/03/25 19:02 | URL | ≫ EDIT

>atomさん、はじめまして。

>マリアさんのコメントで
「家庭育ち」が連発されてるけど、
それが差別的に聞こえるのは私の気のせいかな。

そうですね、
差別じゃなく区別なんだろうと思うけど、
atomさんの言いたいニュアンスが
わかるような気がします。

多分、家庭育ちの次に人が入ると
かなり、サウンドが緩和されると
思うんだけど
私も、今回のMariaさんのコメの
この【家庭育ち】の言葉に
言葉の聞こえやその言葉の持つ感情の難しさを感じます。(言いたいこと、わかるかな?)

でも、私も彼女を100%理解して
書いてるわけじゃないので
何とも言えませんが、
彼女には【家庭育ち】に対する
怒りとは違うかもしれないけど
何か、ネガティブな感情をこの言葉に感じます。

だから、私達にはそう聞こえるのかな?

でも、【家庭育ち】にそんな感情を持ってしまったという事も
施設で育ってしまったからなのだと思います。

【施設育ち】も【家庭育ち】も、
生きていく上では、
相互理解が大切ですよね。

不愉快じゃないんだけど、
心地よくないというか、
私なんかは、反対に
彼女に【家庭育ち】だから、
恨まれてるのかな?
と、錯覚するような言葉の響きを感じました。

もしそうでも、仕方はないけど
ちょっと寂しいかなと
思った私でした。


| ちびこ | 2007/03/25 18:58 | URL | ≫ EDIT

 家庭育ちに意見するLeiちゃんの意見に対するAさんの態度は、まるで、皇室への不敬罪に怯えるかのよう。

 たしかに、施設育ちのあたしたちにとって家庭というものは、皇室や王室への一般庶民のあこがれに近く、自分には関係のない世界とあきらめているところがあったわ。

 だから、あたしたちが意見しても態度を変えなかったのに、家庭育ちのたしなめるコメントで、あわててブログを閉鎖したのね。

 Leiちゃん、施設の「虐待」という概念について書いたわ。不適切なところは、適当に修正しておいてね。あたし、これから出張だから、明日の夜までnetをみれないと思うわ。
 ま、接待だからいい景色があったらとっとくわ。

| Maria | 2007/03/25 08:51 | URL | ≫ EDIT














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