田辺祐晟の「社会保障から見る資本主義・貨幣制度」

「議論百出の社会保障改善案に待ったをかける!社会保障ブログ」

「歴史」からみる社会保障~年金は国家ぐるみのねずみ講?

前回、911に米国政府が関与していたという数々の疑惑について国会レベルで追求されていることに触れた。そんな馬鹿な?ということが実は事実だったりすることが歴史上多くあるものだ。

例えば戦争を始める時がそうだ。1960年代初め、キューバ侵攻するための「ノースウッズ作戦」機密文書が明らかになっている。アメリカの都市で罪のない人々を殺し、キューバ難民の乗った船を沈め、航空機をハイジャックする。こうした全てのヤラセをキューバのテロのせいにして開戦に利用する。この作戦は統合参謀本部が書面で承認し、ケネディ大統領下の国防相マクナマラに提示された。幸いに未遂に終わったが911を再考するときの重要なファクターだ。

こうした類の自作自演は枚挙に暇がない。1898年米西戦争の引き金となった「メイン号事件」がそうだ。キューバのハバナ湾でアメリカ海軍メイン号が爆発して沈没し260名の国民が政府の手で殺戮された。1964年のトンキン湾事件、1989年パナマ侵攻、1990年湾岸戦争も米国政府の自作自演がトリガーとなっている。

事実は小説より奇なり、ということを裏付ける事例がある。アーロン・ラッソ(1943-2007)は、エディー・マーフィー主演「大逆転(1983)」やベッド・ミドラー主演「ローズ(1979)」ではアカデミー賞4部門にノミネートされた著名な映画監督だった。彼が友人であったニコラス・ロックフェラー(デビッド・ロックフェラーの従兄弟)から、911が起こる11ヶ月前に「911が起こり、その結果アフガンやイラクに攻め込み、カスピ海からアフガンへパイプラインを引くことやイラクの油田を確保すること」などを聞いたということである。さらには相手のいない(でっち上げの)対テロ戦争に米国が巻き込まれ、米兵がアフガニスタンやパキスタンの洞窟を探しまわることなども述べている。

アーロン・ラッソがロックフェラーとの会話を語った衝撃のインタビュー(日本語字幕版)http://video.google.com/videoplay?docid=-5219614342883260978

アーロン・ラッソは昨年8月に亡くなった。ガンということらしい。

本題に入ろう。
私は社会保障、特に年金問題の解決策を探そうとすればするほど、混迷の中に入っていくことに気付き「これは国家のよるねずみ講ではないか?」と仮説を持つに至った。前回に引き続き近代社会保障の父:独ビスマルクを分析してみることとしよう。

近代社会保障の発展に貢献したと言われるビスマルクも驚くほど自身が制定した社会保障制度について語りたがらなかったと言われる。その裏付けとして彼が退任した後の1893年に以下のコメントを残している。「彼ら(社会主義者)は国内に横行するネズミであり、根絶やしにするべきだ」。またビスマルクは社会民主党勢力を「市民社会の首を切り落とすことだけを狙っている、略奪と血に飢えた敵の群れ」と見なしていた。

この根拠としてビスマルクが法律を制定するはるか以前から社会主義運動とは無関係に幾度も社会保障の法的手段による制度化が図られていた。既にビスマルク立法時には医療保険と似た共済金庫制度が出来上がっていた。ビスマルク立法は既存の共済金庫をそのまま公的医療保険の保険者とし、管理運営をそれらに委ね、旧来の拠出と給付の仕組みを踏襲しながら社会保険として制度化を図ったものと言える。

<ビスマルクが政治的策略で社会保障を手掛けた理由>

①.ビスマルク以前のドイツでは、日常生活に根ざした相互扶助の伝統的な共同体が形成されていた。

②.社会保険3法制定前に保護関税+間接税導入があり、穀物に関税がかかるとパンの価格が上がり、大衆および労働者を抱える工業企業家(国民自由党陣営)の猛反発があった。

③.1877年文化闘争に失敗した後、国民自由党左派を進歩党からどうしても奪い返したかった。しかしこれが自由主義者の不満を誘い、減り続ける議席をリカバリーするために保護主義に走らざるを得なかった。

ビスマルクは台頭する自由主義と、反発する社会主義との狭間において奔走した宰相と言える。しかし彼が心から憎んだ社会主義勢力に対し社会保障制定を良心的に行ったとは思えない。しかもそれまでに自然発生的な相互扶助組織があったことを考えると、国家による戦略的な制度化と判断して良いと言えるのではないだろうか。特に敵視するフランスに対し国家制度の優位性を展開したかったという意図が伺える。

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ビスマルクは当初、1850年のフランス老齢金庫法に感銘を受け年金法案を手掛けたと言われているが結局のところ次世代に負担を負わせる構造であり、意図は不明であるが、結果“ねずみ講”の定義に合致してしまう。もし国家が意図してこの制度を構築したのであれば犯罪であるし、意図がしたことでは無いにせよ、“ねずみ講”のであれば一刻も早く制度存続の是非について検討を始める必要があるのではないだろうか。

次に、日本の現状を見てみる。

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第二次大戦下という背景があるにせよ「豪華客船」や「グリーンピア」を巡る利権を貪る行為、年金利権を「特別会計」という傘に隠し「財政投融資」という名のもとバラマキ行政に利用し、さらには天下り先特殊法人設立の理由にするなど、官僚・政治家の私服を肥やす手段に使われてきたことから考えると、所詮政府の都合の良い打ち出の小槌に過ぎず、年金を納めるという行為は、泥棒に警備を頼むようなものである。

以上のことから、社会保障制度そのものが政治の都合で使われてきた背景がある。「では結局のところ、あなたは無政府主義者(アナキスト)ですか?」と問われたとする。私は逆に質問で返したい。「あなたは既に犯罪を働いた政府という組織体をどうやって信じるようにしてるのですか?」と。私は信じられる政府なら是非国民の幸福を司ってもらいたいと願う。ただ911の事例やビスマルクや厚生官僚の行ってきた事実で明らかな通り、猫はワンと鳴かないのである。

従来の~イズムに当てはまらない概念で一つ挙げるとすると「ローカリゼーション」の支持者であると思う。自分と家族や仲間達を取り囲む適正規模の地域単位があるはずだ。次回「政府の役割」について総括した上で台頭する「社会セクター」について考えていきたい。

プロフィール

田辺祐晟 (たなべ・ゆうせい) 社会起業家 NPO法人社会保障研究所代表1969年生まれ。同志社大学卒業後、損害保険業12年間、生命保険業4年間で、法人・個人など数千件のフィナンシャルコンサルティングを経験。 2008年3月ビジネス・ブレークスルー大学院にてMBAを取得。同時に社会起業家として活動を開始。社会保障の在り方の視点から現在の資本主義、正確には「貨幣制度」の在り方に問題提起をしている。

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