コジ苑です。


2008年3月に起こった「芦原本騒動」の大まかな流れです(加筆修正お願いします)

時系列順

2008年2月下旬

「芦原英幸伝我が父、その魂」の出版を目の前にしてコジは不可解な発言を公式ブログ、日記(ともに現在は削除済み)残す。(例:BOSS喧嘩をしてください。自分にも非があるが、今回は和解した、などなど)

2008年3月上旬

出版が迫り、コジは「芦原の遺言を託されました」などの発言をブログ以外のプチプロフなどでも営業に努める。参考 http://s01.megalodon.jp/2008-0312-1546-14/blog.liv... 「芦原英幸伝」 笑い、驚き、しかし涙が嗚咽に変わった…

2008年3月14日

3月18日の全国発売の前に芦原会館側から突如として「芦原英幸伝我が父、その魂」について一切問い合わせに応じられない、という公式コメントが発表される。現館長の名前がクレジットされている先代館長関係の発行物へのコメントとしては前代未聞であり、「芦原英幸伝」の発行において致命的なミスがあったと予想する声が高まる。http://s03.megalodon.jp/2008-0317-1037-31/www.ashi...
この公式コメントは、過去2008年2月頃の公式ブログ、日記での「BOSS喧嘩をしてください」などのトラブルを目下に抱えているような発言の原因であると推測する者もいる
この状況に対しコジは「ネットでの悪口は最大の宣伝なり」と廬山氏が発言したとし、あたかも盧山氏がコジの擁護をしているかのようなブログ記事を書くなどの混乱した発言をする。

2008年3月16日

芦原会館加古川支部ブログにおいて、同支部長が「芦原英幸伝我が父、その魂」について、「あまりにひどい内容、ひどい出来でした」と酷評する。その後、コジの日記において「掛川支部長」と名乗る人物から脅迫電話があり、芦原会館西山支部長に相談した旨が明らかにされる。

2008年3月17日

公式ブログ、日記において『「芦原英幸伝」の発売にあたって/芦原英典氏の主張に対する小島の見解』と題し、 コジ自身が「芦原英幸伝我が父、その魂」が発売に至るまでの経緯を芦原秀典氏とのやりとりを交えて発表。再販以降は更に「文責・小島一志」の文言が入ることを明らかにする。

2008年3月18日

「芦原英幸伝我が父、その魂」全国発売
全国発売前からamazon.co.jpでのレビュー合戦が始まっていたが、更に加速の傾向を見せる。評価は☆5つと☆1の極端に分かれる形となり、☆5つの評価は芦原英典氏を誹謗する内容が必ず含まれているという異様な様相を呈する。そしてアマゾンはレヴューの消去、掲載を繰り返すことになった。

2008年3月下旬

コジは重版確定、などと強がるが売れ行きは芳しくなく、コジのテンションは次第に降下していく。やがて日記に「私とは何の関係もない、ただの作品です」などという、イタチの最後っぺのような捨て台詞を残して多くの人たちに失望される。

そして公式ブログ、日記を全て削除し、携帯からしか見られないような設定とする。PC閲覧者を排除するためと思われるが、その内容は携帯電話閲覧者、又はWindowsMobile搭載スマートホンでの閲覧者により2ちゃんスレに転記され、結果的にPCでもその動向を追うことができた。

2008年4月

しばらく冬眠する、と12日に宣言するが大方の予想通り15日にブログを再開する。自らを「冬眠熊」と称し、無難な内容を発表するように心がけていたようだが、20日には「親が高名な空手家というだけで団体のトップに安住できる」と、後の芦原会館への宣戦布告を思わせるコメントが文の前後の脈絡に関係なく突然飛び出し、21日より空手団体への批判が顔をのぞかせはじめ、22日には「正道会館と協力共存関係を結びます」宣言を発端とした芦原会館への混乱した中傷誹謗と絶縁宣言、芦原先代への支離滅裂な謝罪などを継続して発信しつづける。

2008年4月29日深夜

芦原会館、芦原英典氏への攻撃、加古川支部長への誹謗内容を含んだブログを掲載、さらに手裏剣画像まで掲載する。手裏剣画像についてはhttp://s01.megalodon.jp/2008-0502-0710-28/blog.liv...《冬眠熊の懺悔》拝啓 芦原会館館長・芦原英典さま (最終改訂版) に再掲載されている。

2008年4月30日

一夜明けて、芦原会館HPのトップページから声明文へのリンクが外されていること(注)に気が付いたコジは、一変して懺悔と称した謝罪日記を掲載(注2)。一時の乱心で芦原にケンカを売るような内容を発表してしまったと自己弁護に努める。しかしながら謝罪とはほど遠い内容でさらに読者を失望させる。特に加古川支部長への誹謗は一時の乱心というレベルを超えている、そして芦原への要望内容を追加し、「平山みたいなクズ支部長なんか、こっちに回さず身内で制裁してもらいたいものです。」「そもそもはあのような挑発的な声明文からつまらないトラブルが始まったのです」などの、到底謝罪する人間の態度と思えない内容をエスカレートさせる(注3)
(注:芦原会館側のトップページからリンクしていないだけで内容そのものは削除されていない)
(注2:注3:芦原への発言内容については魚拓参照のこと)

2008年5月2日深夜

芦原会館に対して政治的圧力・加古川支部長に身体・職場・家族に危害を加えると言う内容のブログ記事を掲載する。芦原会館・加古川支部長の連絡を待っていたようであるが、返事が全く返ってこないことに対しての揶揄挑発だったと思われる。http://s04.megalodon.jp/2008-0503-0040-51/blog.liv...脅迫罪成立の要件を満たす内容である。

2008年5月3日早朝〜夕方〜夜間

早朝から過去のクレームを記したコラムを4つ立て続けに掲載。さらに夕方には芦原英典氏と加古川支部長の携帯に連絡がとれないことにコジは苛立つ。コジの携帯電話に非通知で電話が何度も来てそれは加古川支部長がし向けている、と根拠も無くコジの妄想は加速する。そして21時過ぎには加古川支部長の携帯番号をブログに掲載する(携帯番号はその後の加筆訂正時に消去された)

2008年5月4日〜5月5日夕方

該当の中傷誹謗記事を消去し、無難な記事を掲載する。しかし昼頃にまた加古川支部長の携帯番号を掲載し、すぐに消す。その後頻繁に記事を更新し、複数人の携帯電話番号を掲載し、誹謗中傷、脅迫を行う。(魚拓参照のこと)

2008年5月5日夜〜

相変わらず芦原会館への和解を求めるために誹謗を繰り返すという支離滅裂な言動をブログで発信する。6日1:00頃に、公衆電話からのイタズラ電話の主をコジの協力者の手下が捕獲、謝罪させて解放したという記事が追加される。しかし、直後に捕獲された人物と同じ道場生からの告発(注)が某巨大掲示板に掲載。常にその掲示板を監視してると思われるコジはその告発に気づいたらしく、1:40分頃、前記の記事ごと、芦原関係、遺言、正伝関係の記事が全部消去される。
(注)捕獲された人物と同じ年齢の道場生は確かに一人存在するが、その時期、その道場生は彼女と旅行中であったとの事

2008年5月6日朝

6日朝3:00頃、再び冬眠宣言。4月12日分の冬眠宣言に加筆されたものを掲載する。日付はなぜか5月8日付。

2008年5月9日

芦原会館加古川支部の掲示板に「荒らし」が入る。
http://s03.megalodon.jp/2008-0509-1654-47/www4.roc...
そして、同掲示板は全文削除され事実上、閉鎖状態となる。

2008年5月10日 16:23

冬眠宣言するも10日にはブログ更新。「義」によって芦原会館に挑戦!!と題したブログで団体戦7人による「試合」または「私闘」を申し込んだことを明かす。条件には3つあり、
?@(某会会員の)相手は支部長である事。
?A英典氏は息子と戦う事。
?B支部長の平山は私と戦う事。
さらに試合は公開。
文章は非常に攻撃的であり「決して許さない。如何なる手段を使っても謝罪を迫る」などと脅迫に近い内容を含んでいる。読者からは法律に抵触する可能性があるとも言われている。

2008年5月11日 午前

前日のブログを数回修正した後に 《咆哮》「義」によって、芦原会館にケジメつけさせて貰います!(5/11新版) と改題し内容を加筆する。「筋」を通すことに相変わらずこだわるコジは執拗に芦原側に謝罪をブログ内で要求している。芦原側の「芦原本」に対する公式見解がコジのプライドを傷つけたらしい。「アナタの言葉は物書きのプロである私の尊厳と誇りをズタズタに切り裂いたのだ。」そしてコジは芦原本を絶版にしたことを発表した。「「芦原英幸伝」は実質的な絶版を版元に依頼した」。コジが執拗に芦原側からの謝罪にこだわる理由はこれであろうと推測される。なお加筆した内容にはコジの携帯電話番号も含まれている。

2008年5月12日 14:30頃

咆哮! 「義」によって芦原会館にケジメつけさせて貰います!(5/12最新版) といつものように加筆修正。コジは自分から連絡をとろうとするが「英典氏また平山氏からの連絡は一切ない」そして「私の電話、Faxにはイタズラ&脅迫が耐えない。状況からその中に平山氏が確実にいる」と根拠の無い被害妄想に走っている。

2008年5月19日

TBSラジオ「ストリーム・コラムの花道」にて吉田豪氏により芦原本が紹介される。
コジの痛さがマニアックに注目されている事が伺える。
http://wiki.livedoor.jp/kojiwiki/d/%a5%b3%a5%e9%a5...

2008年5月23日

武術研究家、長野峻也氏に芦原本騒動についてコメントを頂く。
http://s04.megalodon.jp/2008-0523-2008-44/yusin6.b...

・同日、発売された、「ゴング格闘技」7月号の連載コラム吉田文豪[人生劇場]新★書評の星座35(文=吉田豪)において芦原本のレビューが掲載される。見出しに「共著者・芦原ジュニアの指摘に激怒した著者がなんと私闘を要求!実質的な絶版が決定」と書かれ、本そのものの紹介より、一連の芦原本騒動がレビューの主題となっている。
「物書きとしてプロじゃないからこそこんな事態にまで発展したはずなのである」とコジの作家としての姿勢を痛烈に批判している。
(同記事は「極真秘宝館」にアップされた)

2008年5月30日

武術研究家、長野峻也氏が新★書評の星座35(文=吉田豪)を読んでブログでコメントする。
http://s03.megalodon.jp/2009-0612-0231-09/yusin6.b...

2008年6月12日 6:58(のちに改訂)

《冬眠熊の寝言》いま、改めて「芦原英幸伝」を想う… (改訂版)
で芦原本が絶版に至った経緯をコジの立場から説明。「そもそもトラブルの発端を作ったのは私である。」としつつもトラブルが解決しなかったのは芦原英典氏によるものである、と説明している。「芦原英幸が後世に伝えたかった幾つかの話を彼の遺言と捉え、それを本書の中に倅である英典の言葉として生かさせてもらいたい…」というコジの主張は吉田豪氏がコラムの花道で指摘した「息子さんの語り下ろしの語り口調で自分の話も全部いっぱいいれちゃってるわけですよ」に合致する。そしていつものように芦原英典氏への個人攻撃で締めくくっている。「オマエは父親の尊厳を冒涜した裏切り者だ。オマエに芦原会館館長の資格は全くない」

なお付記によれば、加古川支部長とも連絡がついた、とコジは説明。加古川支部長はコジに会うつもりは一切無いらしい。電話による話し合いは「これで、もう話は決裂だから、後は一切俺は関知しない」という結論に至ったと書かれている。

2008年6月13日 8:09

私、改めて地下に潜行して《冬眠》いたします!
前日のコラムを削除。そして「いやあ怒られてしまいました。昨夜深夜と朝いちばんの電話で…。」「私には何人もの後見人というか各方面に顔が利く大物の後援者がいる。その中で私が最も頭の上がらない先生からお叱りを受けてしまった。」とし、仕事に専念するように言われた、と記している。

「改めて反省します。トラブルはみなお任せします。」「私はひたすら原稿を書いていきます。次は「大山倍達の遺言」です。」と述べている。また芦原本については「ただ一言だけ。「芦原英幸伝」が今となれば愛おしく不憫でならない。」

2008年6月14日深夜

先述の後見人に内容が不正確である、コジの態度が不真面目であるとさらに叱られた模様。ブログ記事を消せとの指示に対し、
「なんとか先生に謝り、私の立場上、今回だけはどうしても掲載させて下さい…。そうお願いしました」とのことである。
「私は真面目に地下に潜ります。今後はどうでもいい気楽なコラムや情報をお楽しみ下さい」

2008年6月22日早朝

冬眠と称し、ブログを更新するだけの小康状態が続いていたが、今朝(日時不明)A会館のH支部長から早口で電話があり期限区切りで「○○日以内にBlog上で謝罪がなければ裁判に持ち込む」と言われたと自らのBlogで発表する。

2009年3月31日

芦原会館 加古川支部長が芦原会館を退会する。
この一連の事件の影響が原因で、内部的に退会へと追い込まれたようだ。

2009年8月

2日付のブログにおいて、
「ご無沙汰しています。単刀直入に申します。そろそろ互いに和解する潮時ではないでしょうか!?芦原会館の為にも、また私にとっては尊敬する先代の為にも、互いが友好を深めるのが得策だと思いますが…如何ですか?」
という文面の和解提案を英典氏にメールで送付したと発表。
しかし返答は無かったようで、その後の更新では「新アシハラ会」「2代目アシハラ会」「※↓新芦原会には芦原英幸の空手も精神も100%残されていません。最弱の空手です。」などと現芦原会館を揶揄するような記述を行っている。
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